第32話 証拠隠滅
十一月。
木枯らしが吹き始め、秋の深まりを感じる季節。
『桃源会館』の郵便受けに投函されていた一通の封書が、俺のささやかな平穏を木っ端微塵に打ち砕いた。
「『税務調査についての事前通知』……?」
差出人は国税局。
封筒の中に入っていたのは、七日後にこの法人に対して実地調査――いわゆる「ガサ入れ」を行うという、恐るべき宣告だった。
俺は血の気が引くのを感じながら、震える手でスマートフォンを取り出し、悪徳税理士である白石莉乃の番号に電話をかけた。
『はい、白石税理士事務所です』
「し、白石さん!大変です!税務署から、うちに調査に入るって通知が来ました!」
俺がパニック状態で叫ぶと、電話の向こうの白石さんは、まるで今日の天気を答えるような平坦な声で返してきた。
『ああ、やっぱり来ましたか。まあ、あれだけ不自然な大金が動けば、目もつけられますよね』
「やっぱりって……あんた、わかってて放置してたのか!?」
『心外ですね。帳簿の辻褄は完璧に合わせましたよ。ただ、急激な収入増という事実までは隠せませんから』
女性経営者や女医など、俺の真っ当なカウンセリングに感動した信者たちから振り込まれ続けた、百万円単位のコンサル料やお布施。あの莫大な収入が、完全に税務署のレーダーに引っかかってしまったのだ。
「ど、どうすればいいんですか!?俺、税務調査なんてどう対応していいか……白石さんも当日は立ち会ってくれるんですよね!?」
『申し訳ありませんが、その日はちょっとネイルサロンの予定が入っていまして』
「はあ!?」
『それに、代表役員はあなたなんですから、あなたが対応するのが筋でしょう?』
俺は耳を疑った。法人の危機だというのに、ネイルサロンを優先する税理士が存在していいのか。
「冗談じゃない!俺はただの高校生ですよ!今すぐ代表を辞任します!」
『おすすめしませんね。今辞任すれば、すべての責任はあなた個人に降りかかりますよ?経歴に傷がつき、進学も絶望的になるでしょうね』
またその脅し文句か。
俺が言葉に詰まると、白石さんは電話越しにフッと妖しく笑った。
『大丈夫ですよ。帳簿は完璧に作ってありますから。あとは、あなたがアメリカで培ったという得意の話術で、適当に調査官をごまかせばいいじゃないですか』
「いや、税務署相手に話術もクソも……!」
『では、そういうことで。ご健闘をお祈りしております』
プツン、ツーツーツー。
一方的に電話が切れ、俺はスマートフォンを握りしめたまま、玄関の冷たい三和土にへたり込んだ。
終わった。完全に終わった。
ろくでもない親父に押し付けられた怪しい宗教法人。その実態が税務署にバレれば、俺はおとなしく高校を卒業するどころか、警察沙汰になって人生が終了してしまう。
絶望の淵で頭を抱えながら、俺はどうやってこの危機を乗り越えるべきか、必死に思考を巡らせた。
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「――というわけで、数日後に税務署の調査が入ることになった」
その日の放課後。俺は一階の広間に、四ノ宮沙蘭、生徒会長の天王寺雅、そして保健の伊佐美凪子先生の三人を緊急招集した。
「うちにやましいことは何もない。だが、誤解を招くようなものがあれば厄介だ。だから、教団が健全な活動をしていることを証明するために、みんなに協力してほしいんだ」
俺が深刻な顔でそう告げると、長机の向かいに座る三人は、互いに顔を見合わせてから、一斉に立ち上がった。
「なんてこと……!現世の権力である税務署が、導師様の聖域を脅かそうとしているのですね!」
天王寺会長が、眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせて叫んだ。
「これは、導師様を守るための聖戦ですわ!」
「ええ、その通りよ!私たちの魂の救済場所であるこの桃源郷を、国家権力なんかに奪わせはしないわ!」
大人の女性であるはずの伊佐美先生までが、なぜか天王寺会長と同調して拳を握りしめている。
「いや、聖戦とか権力とか、そういう大げさな話じゃなくて……」
俺がツッコミを入れようとしたが、沙蘭が涼やかな、しかし絶対的な決意を秘めた瞳で俺を見つめてきた。
「導師様。ご安心ください。あなたの平穏な日常は、大司教である私が完璧に守り抜いてみせます」
「四ノ宮さん……」
「さあ、皆さん!導師様にご迷惑をおかけしないよう、現世の不浄なものはすべて隠匿し、完璧な聖域を偽装しましょう!」
「だから偽装とか隠匿とか言うな!印象が最悪になるだろ!」
俺の悲鳴は、熱狂し始めた信者たちには全く届いていなかった。彼女たちの暴走は、今回も完全に明後日の方向へと向かっている。
だが、俺自身にも隠さなければならない「不浄なもの」があるのは事実だった。
俺は冷や汗を流しながら、自室の段ボール箱を引っ張り出した。
中に入っているのは、前教祖が残した教団の禁書『桃源聖交録』。そして、かつて沙蘭の母親である妙子が持ち込んできた、数千個単位の「ロット買いされたコンドーム」だ。
こんなものが税務署の調査官に見つかれば、噂通りの「伝説のセックス教団」として一発でカルト認定され、警察に通報されて完全にアウトだ。
「これだけは、絶対に見つかるわけにはいかない……っ!」
俺は二階の自分の部屋の押入れを開け、天袋の一番奥深くにその段ボール箱を押し込み、毛布などで厳重に封印した。心臓がバクバクと嫌な音を立てている。
一階へ降りると、天王寺会長が腕まくりをして広間を走り回っていた。
「さあ伊佐美先生!指紋一つ残さないように床を磨き上げなさい!証拠隠滅も、生徒会の名にかけて完璧に行いますわ!」
「はいっ、天王寺先輩!余計な領収書は私がすべてシュレッダーにかけておきます!」
「待て待て待て!税務調査の前に領収書をシュレッダーにかけたら、それこそ脱税を疑われるからやめろ!」
俺は慌ててシュレッダーのコンセントを引き抜いた。
証拠集めや健全なアピールをするつもりが、見当違いの方向に張り切る信者たちのせいで、逆に怪しさが増している。
こんなドタバタな状態で、本当に税務署の調査を乗り切れるのだろうか。俺の胃は、すでにストレスでキリキリと痛み始めていた。




