第31話 偽装工作
【奏多視点】
俺は、秋の穏やかな休日の午後を満喫していた。
「導師様。温かいほうじ茶をお持ちしましたわ」
「ありがとう、沙蘭。ちょうど一息つこうと思っていたところだ」
桃源会館の縁側に腰掛けていた俺の隣に、四ノ宮沙蘭がちょこんと座る。
学園祭の日の夕暮れ、屋上でのキスの後から、俺と彼女の距離は少しだけ変わった。相変わらず他の信者たちの手前、教団内では『導師様』と『大司教』という役割を演じているが、こうして二人きりになった時は、ただの恋人同士のような穏やかな空気が流れるようになっていた。
「庭のハーブ、すっかり秋の顔になりましたね」
沙蘭が湯呑みを両手で包み込みながら、俺が手入れをした庭を眺めてふわりと微笑む。
「ああ。来月になればもっと寒くなるから、冬越しの準備もしないとな」
「ふふっ。導師様……いえ、伍東くんと一緒に庭のお手入れをするの、私、とても好きです」
少し頬を染めて上目遣いに俺を見る彼女の姿に、胸が温かくなる。
学校では相変わらずカースト最底辺のパシリ扱いだし、教団には相変わらず居場所を求める女子たちが押し寄せてくる。だが、それでも俺の日常は、以前のような絶望的なカオスからは少しずつ抜け出しつつあるように感じていた。
俺の真っ当なカウンセリング(という名の対話)によって、天王寺会長や伊佐美先生たちの暴走も、以前よりはマイルドなものになってきている(はずだ)。
「……やっと、少しは平穏な高校生活になってきたかもしれないな」
秋の高い空を見上げながら、俺は温かいほうじ茶を啜った。
親父の気まぐれで押し付けられた宗教法人の代表という立場。莫大なお布施が振り込まれ続ける通帳の存在にはまだ頭を悩ませているが、それもいずれ時間をかけて、真っ当な形に清算していけばいい。
ようやく訪れようとしている穏やかな日常を、俺は疑うことをしなかった。
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【白石莉乃視点】
深夜の税理士事務所。
私は、ディスプレイの光に照らされながらキーボードを叩く指をリズミカルに動かしていた。
「さて、錬金術の時間ね」
画面には、桃源交霊会の法人口座のデータが表示されている。
富裕層の女性たちから振り込まれた、百万円単位の莫大な『コンサル料』や『相談料』。これらをそのまま申告すれば、宗教法人の本来の目的以外の『収益事業』とみなされ、間違いなく多額の法人税が課せられる。
伍東社長の指示は「非課税枠でうまく処理しろ」というものだ。
「健全なカウンセリングの対価だなんて、馬鹿正直に帳簿に残すわけにはいかないわね」
私は冷たい笑みを浮かべ、データの摘要欄を次々と書き換えていく。
『コンサル料』を『桃源郷への祈祷代』へ。
『相談料』を『伝統的な宗教儀式に対する浄財』へ。
実態を完全に伏せ、すべての莫大な入金を、宗教法人として非課税となる「本来の宗教活動に伴うお布施」という枠組みの中に強引に押し込んでいくのだ。
「これでよし、と」
ただ名目を書き換えるだけではない。私は法律の抜け道を異常なほど熟知している。税務署が怪しんだ時のために、架空の儀式の開催記録や、それに伴う経費の領収書(社長が南国で使った経費を巧妙に付け替えたもの)などをでっち上げ、書類上の辻褄を完璧に合わせる。
真っ黒な金の流れが、見事なまでに純白の『非課税の宗教資金』へとロンダリングされていく。
「完璧ね。これなら、書類上は一切の隙がないわ」
完成した決算書と確定申告書をプリントアウトし、分厚いファイルに綴じる。
この偽装工作の対価として、私には社長から多額の成功報酬が支払われる約束だ。
「もしこれで税務署に踏み込まれたとしても、私には『代表役員から提出された資料に基づいて作成しただけ』という言い逃れができる。すべての責任を負うのは、代表のあの高校生」
私は、自分が仕掛けた完璧な罠にほくそ笑んだ。
矢面に立たされる奏多くんのことなど、知ったことではない。金こそすべてのこの世の中、他人の平穏など、一円の価値もないのだから。
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数日後。
私は完成した『桃源交霊会』の九月決算の法人税確定申告書と関連書類一式を携え、管轄の税務署へと足を運んだ。
「お預かりします。……宗教法人、桃源交霊会ですね」
提出窓口の担当者が、無機質な声で書類を受け取る。
「はい。よろしくお願いいたします」
私は完璧なビジネススマイルを浮かべ、軽く頭を下げた。これで私の仕事は完了だ。あとは多額の報酬を受け取るだけ。
踵を返して税務署を出ようとした、その時だった。
「……ん?これは……」
背後から、窓口の担当者の小さな呟きが聞こえた。
振り返らずに耳を澄ませると、担当者が書類のページをめくる音が聞こえる。
「……休眠状態だったはずの法人が、たった数ヶ月でこんなに急激な収入増……?しかも、寄付金の額が異常ね……」
担当者の声に、明らかな警戒の色が混じっていた。
書類上の辻褄は完璧に合わせている。だが、「不自然なほどの急激な大金の動き」という事実そのものを隠すことはできない。
私の背中に、チリッと嫌な視線が突き刺さるのを感じた。
窓口の奥。一般職員のデスクのさらに奥から、タイトなダークスーツに身を包んだ鋭い眼光の女性調査官が、提出されたばかりの桃源交霊会のファイルに目を留めていたのだ。
一切の隙を感じさせない冷徹な仕事人の佇まい。彼女の瞳が、書類の代表役員欄に記された『伍東奏多』という名前を射抜いているのが、見なくてもわかった。
「……あらあら。どうやら、敏感な猟犬の鼻を刺激してしまったようね」
私は誰にも聞こえない声で呟き、口角を上げた。
書類は完璧だ。だが、税務署のキレ者たちは、書類の奥に潜む『不審な匂い』を嗅ぎ取るプロフェッショナルでもある。
急激に膨れ上がった莫大なお布施。
そして、それを取り仕切る高校生の代表役員。
彼らがこの『不審な法人』を見過ごすはずがない。
秋の冷たい風が吹く税務署の入り口で、私はこれから始まるであろう波乱の展開に胸を躍らせていた。




