第28話 学園祭
「規律」と「文武両道」を重んじる私立聖明学園高等学校にも、年に一度だけお祭り騒ぎが許される日がある。
十月。
秋晴れの空の下、学園祭の当日を迎えていた。
校庭には色とりどりの模擬店が並び、校舎内からは吹奏楽部の演奏や生徒たちの歓声が響き渡っている。誰もが非日常の空気に浮かれ、青春を謳歌しているように見えた。
しかし、俺の現実は、そんな華やかなものとは程遠かった。
「伍東くん。第一体育館のパイプ椅子の片付けが終わったら、次は正門前の来賓受付の手伝いに回りなさい。生徒会の名に恥じないよう、完璧にこなすのよ」
凜とした、しかし容赦のない声が俺の背中に突き刺さる。
振り返ると、完璧な制服の着こなしを体現した生徒会長、天王寺雅が腕を組んで立っていた。
「天王寺さん……俺、さっきからずっと力仕事ばかりで、休憩も取ってないんだけど」
「学校のルールにおいて、指示を出すのは生徒会長である私。そしてあなたは、この学園で最も立場の低い転校生でしょう?ヒエラルキーに従ってキビキビ動きなさい」
「いや、ヒエラルキーって……」
俺が反論しようとした瞬間、今度は横から白衣姿の女性が現れた。保健の伊佐美凪子先生だ。
「伍東くん、ちょうど良かったわ。救護テントに運ぶ氷が足りないの。家庭科室の冷凍庫から、全部運んできてちょうだい」
「先生まで!?俺、今から来賓受付に行かなきゃいけないのに!」
「教師の指示が聞けないのかしら?生徒会長の仕事より、急病人に備える救護所の仕事の方が優先順位は高いはずよ」
「……っ、そんなこと言われても」
俺は額に浮かんだ汗を手の甲で拭いながら、深く、重いため息をついた。
休日の『桃源会館』では、俺は教団のトップである「桃源導師」として絶対的な権力を持っている。天王寺会長は新参者の信者として俺にひざまずき、伊佐美先生に至っては一番下っ端の「迷える子羊」として床の雑巾がけをして涙を流しているのだ。
だが、一歩学校という枠組みに入れば、その序列は完全にリセットされる。
彼女たちは「学校には教団の序列を持ち込まない」という謎のルールを徹底しており、むしろ「学校のカーストという大義名分があれば、堂々と俺に干渉(命令)できる」とばかりに、朝から俺を雑用係として指名し、次々と群がってきているのだった。
「伍東くん、早くしなさい」
「氷が溶けちゃうわよ」
二人の容赦ない催促に、俺の体力と精神力はすでに限界に近づいていた。
そこに、さらにもう一人の人物が通りかかった。
透き通るような白い肌と、一糸乱れぬ長い黒髪。学園トップの高嶺の花として誰もが振り返る孤高の美少女――四ノ宮沙蘭だ。
「あ……」
俺と目が合うと、沙蘭の足がピタリと止まった。
教団では大司教として、そして何より俺の「彼女」として誰よりも俺を慕ってくれている沙蘭。しかし、この学校では彼女もまた、カースト上位の高嶺の花という仮面を被っている。
沙蘭は天王寺会長と伊佐美先生を一瞥すると、スッと冷たい表情を作り、俺に向かって歩み寄ってきた。
「伍東くん。私たちのクラスの模擬店、パンフレットの補充がまだなんだけれど。……至急であなたがやってくださる?」
「えっ、四ノ宮さんまで?」
「……っ」
冷たい言葉とは裏腹に、沙蘭の瞳は微かに揺れていた。
本当は俺を休ませたいのに、学校のカーストと周囲の目がある手前、冷たく接するしかないのだ。その証拠に、彼女の視線は「ごめんなさい」と訴えかけるように、痛ましげに俺を見つめている。
「四ノ宮さん、伍東くんは私が先に生徒会の仕事に指名したのよ」
「いいえ、教師である私の指示が絶対よ」
「同じクラスなのですから、クラスの仕事を優先させるのが筋ではありませんか?」
気がつけば、俺は学校カースト上位の三人……もとい、狂信的な信者たちに完全に包囲されていた。
周囲の生徒たちが「うわ、転校生が学園の三大美女に詰められてるぞ」「どんだけこき使われてんだよ」とヒソヒソと噂している。
ドMにはたまらない状況かもしれないが、俺にとってはただの地獄だ。逃げ場がない。おとなしく平穏に学園祭を回るというささやかな願いは、彼女たちの包囲網によって完全に粉砕されようとしていた。
「おい伍東!お前、こんな所で何油売ってんだ!」
絶体絶命のピンチに、聞き慣れた陽気な声が響いた。
群がる女子たちの輪を強引に掻き分けて入ってきたのは、俺のクラスメイトであり、唯一の常識的理解者である半田哲だった。
「半田……!」
「探したぜ!お前、うちのクラスの出し物のシフト入ってるぞ!お化け屋敷のゾンビ役、早く交代してくれって!」
半田はそう言うなり、俺の腕をガシッと掴んだ。
「え、ちょっ……シフトなんて入ってたか?」
「いいから来い!お客さんが並んでてヤバいんだよ!」
半田は天王寺会長や伊佐美先生の冷たい視線など全く意に介さず、俺を強引に包囲網から引き剥がした。教団の裏事情を一切知らない半田だからこそできる、天然のナイスアシストだ。
「あ、ああ!そういうことなら仕方ないな!すみません、天王寺さん、伊佐美先生、クラスのシフトなんで!」
俺はここぞとばかりに半田の嘘に乗り、その場から逃げ出そうと足を踏み出した。
だがその瞬間、俺のすぐ横に立っていた沙蘭と目が合った。
彼女の瞳には、寂しさと、俺への確かな好意が滲んでいた。こんな賑やかなお祭りの日くらい、彼女と一緒に過ごしたい。俺の中で、そんな思いが強く込み上げてきた。
「……四ノ宮さんも、手伝ってくれ!」
「えっ?」
俺は無意識のうちに、沙蘭の白く細い手首をギュッと掴んでいた。
「わ、私……?」
「ほら、パンフレットの補充の前に、ゾンビのメイクを手伝ってほしいんだ。急いでるから、行くぞ!」
俺は沙蘭の手を引いたまま、天王寺会長たちが制止の声を上げるよりも早く、半田と共に全速力で廊下を駆け出した。
「ちょっと伍東くん!?勝手に四ノ宮さんまで連れ出して!」
「待ちなさい伍東くん!氷はどうするの!」
後ろから呼び戻す声が聞こえたが、俺たちは振り返らずに人混みの中へと逃げ込んだ。
しばらく走り、模擬店の賑わいが少し遠のいた階段の踊り場で、俺たちは息を切らして立ち止まった。
「はぁっ、はぁっ……助かったよ、半田」
「へへっ、いいってことよ。お前、さっきからずっとあいつらに詰められて困ってたみたいだからな」
半田はニカッと笑い、それから俺と沙蘭が繋いだままになっている手へと視線を移した。
「……それにしてもお前ら、学園祭で駆け落ちか?青春だな!」
「か、駆け落ちっ!?」
沙蘭が顔を真っ赤にして叫び、俺の手から慌てて自分の手を引き抜いた。
学校での完璧な「高嶺の花」の仮面が剥がれ落ち、ただの年相応の女の子のように狼狽している。
「俺、さっきから気づいてたんだぜ。お前ら、無言でずっと視線合わせまくってたろ?見てるこっちが恥ずかしくなるくらいにさ!」
「なっ、ば、馬鹿言うなよ!」
図星を突かれ、俺も顔が熱くなるのを感じた。
「いいよいいよ、クラスのシフトなんて嘘だから、二人でゆっくり回ってこいよ!俺は他の奴と焼きそば食ってくるわ!じゃあな!」
半田は爽やかな良い笑顔を浮かべ、的外れながらも最高の気遣いを残して、足早に去っていった。
階段の踊り場に、俺と沙蘭の二人だけが取り残される。
遠くから聞こえる吹奏楽の音色と、人々の楽しげな歓声。
「……あの、伍東くん」
沙蘭が上目遣いで、恥ずかしそうに俺を見上げた。
「さっきは、ごめんなさい。私、伍東くんを助けたかったのに、冷たいこと言って……」
「気にするな。学校のカーストがあるから仕方ないだろ」
俺は苦笑いしながら、先ほどまで彼女の手首を掴んでいた自分の手のひらを見つめた。
「それより……せっかく抜け出したんだ。二人で、学園祭を回らないか?」
俺が提案すると、沙蘭はパッと花が咲いたような笑顔を見せた。
教団の怪しい教義も、学校の息苦しいカーストも関係ない。ただの普通の高校生としての時間が、今ようやく始まろうとしていた。




