第27話 教団カースト
放課後。
体育祭の準備が終わり、俺は重い足取りで自宅である『桃源会館』へと帰宅した。
学校では一番下っ端のパシリとして散々こき使われ、体は汗と疲労でクタクタだ。だが、俺にとって本当に疲れるのはここからだった。
ガラガラと玄関の扉を開け、一階の広間へと足を踏み入れる。
殺風景なパイプ椅子と長机が並ぶその空間には、すでに放課後の教団活動(?)にやってきた信者たちが集結していた。
その中には、学校で俺をパシリとしてこき使った生徒会長の天王寺雅と、保健の伊佐美凪子先生の姿もあった。
学校という表の枠組みの中では、教師である伊佐美先生が一番偉く、次いで生徒会長の天王寺、そして高嶺の花である沙蘭がいて、俺が最底辺だ。
だが、この『桃源会館』の一階に足を踏み入れた途端、そのヒエラルキーは完全に崩壊し、学校とは真逆の力関係が発動するのだ。
「ああ、桃源導師様! お帰りなさいませ!」
一階の広間に入るなり、学校では絶対的な威厳を放っていた生徒会長の天王寺が、俺の足元にひざまずかんばかりの勢いで駆け寄ってきた。
彼女の完璧主義な性格は、この教団では「完璧な信者であろうとする」という最悪の方向に振り切れている。
「ご苦労様、天王寺さん。えっと、とりあえず立って……」
「いいえ! 絶対神であらせられる導師様を前においそれと頭を上げるなど、新参者の私にはおこがましい所業!」
俺の言葉など全く耳に入っていない。
この教団における真のカーストは、絶対神である俺を頂点とし、古株の沙蘭、その下に新参者の生徒会長、そして一番下に迷える子羊である保健の伊佐美先生、という序列になっているのだ。
「天王寺さん。導師様がお疲れのようです。新参者のあなたがいつまでも導師様の御前を塞がないでちょうだい」
涼やかな、しかし絶対的な威厳を含んだ声が響いた。
見ると、沙蘭が腕を組み、先輩信者としての貫禄をたっぷりと漂わせて天王寺を見下ろしていた。
昼間の体育倉庫で見せた、あの恥じらいに満ちた可愛らしい「沙蘭」の面影はどこにもない。ここでは彼女は、教祖の右腕たる大司教なのだ。
「天王寺さん、桃源導師様へのお茶出しを頼むわ。至誠を証明したいのなら、温度から茶葉の開き具合まで、完璧にこなしてみなさい」
学校では沙蘭に指示を出していた生徒会長が、ここでは顎で使われている。
俺はハラハラしながら見守ったが、天王寺は屈辱を感じるどころか、目をキラキラと輝かせて完璧な所作で深くお辞儀をした。
「はいっ、先輩! ご指導ありがとうございます。桃源郷の扉を開くため、完璧な一杯を淹れてみせますわ!」
そう意気込んだ天王寺は、今度は部屋の隅でモップを持っていた白衣姿の大人――伊佐美先生に向かって、鋭い声で指示を飛ばした。
「伊佐美先生! あなたはこの教団では一番下っ端の『迷える子羊』なんですから、ボヤボヤしないでさっさと動きなさい! 床の拭き掃除が甘いわよ!」
高校生が生徒会長という立場をかなぐり捨て、教師に向かって偉そうに掃除のダメ出しをしている。
普通なら激怒してもおかしくない状況だ。俺は慌てて「ちょ、天王寺さん、先生に向かってなんてことを!」と止めに入ろうとした。
だが、当の伊佐美先生の反応は、俺の予想を遥かに超えて狂っていた。
「はいっ! 申し訳ありません、天王寺先輩!」
「せんぱい!?」
「ああ……この無心になって床を磨く単純作業……! 学校でのブラック労働とプレッシャーに塗れた私の魂が、みるみるうちに浄化されていくのがわかります……!」
伊佐美先生は全く嫌がるどころか、大粒の涙を流して感動しながら、床に這いつくばって猛烈な勢いで雑巾がけを始めたのだ。
目の下にクマを作った大人の女性が、女子高生に罵倒されながら、恍惚とした表情で床を磨いている。控えめに言って地獄絵図だ。
「これこそが私の魂を解放する修行……! そうだわ、交和の準備のために、私が完璧なアロマを焚きましょう!」
伊佐美先生は趣味のアロマテラピーの知識をフル活用し、カバンから怪しげな香炉とハーブを取り出すと、部屋の四隅に火をつけ始めた。
「導師様の霊気を高めるための、至高のブレンドです……! さあ、皆で太陽を中心に霊気を交わらせましょう!」
「やめろ! 変な匂いのお香を焚くな! ご近所さんに怪しまれるだろ!」
俺のツッコミも虚しく、一階の広間には怪しげな煙と匂いが充満していく。
「素晴らしい心意気ですわ、伊佐美先生! 私がお茶を淹れる間、あなたは一心不乱に床を磨いて魂を清めなさい!」
「はいっ! 天王寺先輩!」
「二人ともよく働きなさい。すべては導師様の御心と、桃源郷の開顕のために」
一番下っ端の教師が泣きながら床を磨き、その上で生徒会長が完璧な所作でお茶を淹れ、高嶺の花の同級生が偉そうに腕を組んでそれを見下ろしている。
学校と教団、二つの世界で完全に逆転したカースト。
「お前ら……情緒どうなってんだよ!」
絶対神として一番上に君臨しているはずの俺は、誰にも届かない悲鳴を上げながら、一人で深く頭を抱え込んだ。
昼間の学校では、あんなに息苦しいルールの下で「完璧な役割」を演じていた彼女たち。
だが、一歩この異常な空間に足を踏み入れた途端、彼女たちは教義という名の免罪符を得て、抑圧されていた自分を最悪の形で解放してしまうのだ。
カーストの底辺でパシリにされる学校と、カーストの頂点で狂信者たちに囲まれる教団。
果たしてどちらがマシなのか。モクモクと立ち込めるお香の煙の中で、俺の望む平穏な日常は今日も音を立てて崩れ去っていくのだった。




