第26話 学園カースト
9月。
夏休みが明け、私立聖明学園は体育祭の準備期間に突入していた。
「規律」と「文武両道」を重んじるこの学校では、体育祭であっても生徒たちに完璧な行動が求められる。残暑が厳しいグランドでは、各クラスや委員会の生徒たちが汗を流しながら設営作業に追われていた。
「天王寺さん、救護所のテントの設営は終わったみたいだけど、机とパイプ椅子の搬入もお願いできるかしら?」
グランドの隅で、白衣姿の伊佐美凪子養護教諭が、生徒会長の天王寺雅さんに指示を出していた。学校における教師という絶対的な立場からの依頼だ。
「はい、伊佐美先生。生徒会の方で完璧に手配いたしますわ」
天王寺会長は一糸乱れぬ黒髪を揺らし、隙のない姿勢で頷いた。
そして彼女は、近くで作業をしていた四ノ宮沙蘭へと視線を向けた。
「四ノ宮さん、生徒会の手伝いを頼めるかしら。そこの備品をテントまで運んでちょうだい」
「……わかりました、生徒会長」
学校内カーストの頂点に君臨する生徒会長からの指示に、学園の高嶺の花である沙蘭が涼やかな顔で応じる。
そして沙蘭は、たまたま近くでクラスの荷物を運んでいた俺を呼び止めた。
「ねえ、伍東くん。力仕事、手伝ってくださる?」
「えっ、俺?」
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……遡ること数日前。俺は桃源会館の広間で、天王寺会長や伊佐美先生、そして沙蘭たちに土下座せんばかりの勢いで頼み込んでいた。
「お願いだ!学校では絶対に俺を『底辺のパシリ』として扱ってくれ!少しでも敬意を見せたら、周りに怪しまれて俺の求める平穏な日常が学校でも崩壊する!」
「そ、そんな……絶対神である導師様をゴミのように扱うなど、私には到底……っ!」
天王寺会長が青ざめた顔で震え上がる。
「これは『試練』だ!俺の身を世間の目から守るための、お前たちにしかできない重要な『儀式』なんだよ!」
「……っ!導師様をお守りするための、尊き偽装工作……!わかりました、心は血の涙を流しながらも、表向きは完璧に冷酷な生徒会長(パシリ使い)を演じ切ってみせますわ!」
伊佐美先生も「私も心を鬼にします……!」と涙ぐみながら頷いていた。
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……という事前の取り決めがあったため、彼女たちは今、必死に「冷酷なカースト上位者」を演じてくれているのだ。
「遅いわよ、伍東くん。指示されたらもっとキビキビ動きなさい」
天王寺会長からも厳しい声が飛んでくる。
「あ、はい……」
俺はため息をつきながら、重いパイプ椅子を両手に抱え、グランドの端にある救護所のテントへ向かって歩き出した。
学校におけるカーストは、保健の先生(教師)が一番上で、その下に生徒会長、さらにその下に沙蘭がいて、一番下にただの転校生である俺がいる。これが、この聖明学園における絶対的なヒエラルキーだった。
「おいおい伍東、お前すげえな!」
汗だくで机を運んでいると、クラスメイトの半田哲がニヤニヤしながら肩を叩いてきた。
「何がだよ。こっちはパシリにされてしんどいんだよ」
「お前、わかってねえな!保健の伊佐美先生に、学園トップの天王寺会長、おまけに高嶺の花の四ノ宮さんにまでこき使われてるんだぞ?」
「だから何だよ」
「学園のカースト上位の美女たちに囲まれて、一番下っ端としてこき使われるなんて……ドMにはたまんないシチュエーションじゃんか!超うらやましいぜ!」
教団の裏事情を一切知らない半田は、底抜けにポジティブな勘違いを炸裂させていた。
「お前の脳みそはどうなってんだ……。俺はドMじゃない」
「強がるなって!天王寺会長のあの冷たい視線、俺も一度でいいから浴びてみたいぜ!」
馬鹿なことを言う半田を適当にあしらい、俺はテントの設営作業に戻った。
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テントへの備品の搬入が一段落した頃、「救急箱と追加のタオルを取りに行きましょう」と沙蘭が言い出し、俺たちは二人で体育館の裏手にある体育倉庫へと向かった。
薄暗い倉庫の中に入り、分厚い鉄の扉が閉まる。
周囲に誰もいないこと、完全な密室になったことを確認した途端、沙蘭の雰囲気が一変した。
「……ごめんなさい、伍東くん」
学校で見せる冷たい高嶺の花の仮面がスッと剥がれ落ち、沙蘭は眉を八の字に下げて、申し訳なさに押しつぶされそうな顔で俺を見上げた。
「みんなの目があったからって、あんなひどい態度とっちゃって……。本当は、私が全部運んであげたかったのに」
「いや、いいんだって。俺は男だし、力仕事くらい普通にやるよ」
「でも……っ」
沙蘭はポケットから綺麗にアイロンがけされたハンカチを取り出すと、背伸びをして、俺の額に浮かんだ汗をそっと拭い始めた。
石鹸のいい香りが鼻先をかすめ、彼女の顔がすぐ近くに迫る。
「私、伍東くんが他の人に偉そうにこき使われているのを見るだけで、胸が痛くて……」
「気にするなって。学校じゃ、俺が一番下っ端のただの転校生で、四ノ宮さんが高嶺の花。その扱いのほうが、変に目立たなくて済むし、俺にとっても一番安全なんだから」
「それは、そうかもしれませんけど……」
沙蘭は不満そうに唇を尖らせ、俺の服の裾をギュッと握った。
「私は伍東くんを崇める信者であると同時に……何より、彼女、なんだから」
消え入るような小さな声でそう言い、彼女は耳まで真っ赤にして俯いた。
その破壊力のあるデレっぷりに、俺の心臓は大きく跳ねた。
以前の看病の一件以来、俺たちは互いの気持ちを確認し合い、教祖と信者という狂った関係性を超えて、一人の男と女としての確かな好意を抱いている。
学校では周囲の目を欺くために冷たい態度をとっているが、こうして二人きりになった途端に見せる無防備な顔は、ただの恋する女の子そのものだ。
「……ありがとう、四ノ宮さん」
「……沙蘭、でいいよ。二人きりの時は」
「……うん。沙蘭」
俺が名前を呼ぶと、彼女は嬉しそうにふにゃりと笑った。
学校での息苦しいカーストの最底辺にいることも、この笑顔を見られるなら悪くないかもしれない。
俺は彼女の優しさに癒やされながら、倉庫を後にした。




