第25話 本音の吐露
俺の服の裾を握る手は、小さくて頼りなかった。
いつもなら、禁書『桃源聖交録』の一節を暗唱し始めるか、「ああ、導師様のお慈悲……」と教義に結びつけて大げさに感動してみせるはずだ。しかし、熱に浮かされた彼女の口から紡がれたのは、宗教の教義とは全く無縁の、あまりにも無防備な本音だった。
「伍東くん……私、あなたが転校してきたときから、ずっと、見てた……」
「え……四ノ宮、さん?」
彼女は目を閉じたまま、ふふっ、と幸せそうに微笑んだ。
「教室で……いつも落ち着いてて……優しくて。私、一目惚れ、だったんだよ……」
俺は息を呑んだ。
彼女が教団の怪しい教義に開眼したのは、俺が桃源導師だからだと思っていた。だが、その熱烈な信仰の根底にあったのは、ただの「伍東奏多」という一人の男子生徒に対する純度百パーセントの片思いだったのだ。
「……お母様に無理やり連れてこられて、この教団の怪しい教義は、ずっと嫌いだった……」
「四ノ宮さん……」
「……でもね」
「え?」
「一目惚れした伍東くんが新教祖になったって聞いて、私、最低なことを考えちゃったの。『熱心な信者として洗脳されているフリ』をすれば……教義を言い訳にして、堂々と伍東くんと結ばれることができるんじゃないかって」
「沙蘭……」
「恥知らずで、軽い女だって嫌われたくなくて……狂信者のフリをして、教義のせいにして、伍東くんに触れたかったの……ごめんなさい……っ」
熱のせいか、彼女の言葉は途切れ途切れだったが、その一つ一つが俺の胸に深く突き刺さった。
狂信的な信者としての姿は、すべて俺への想いを正当化し、そばにいるための精一杯の言い訳だったのだ。
『教祖だから』崇拝していたわけじゃない。『伍東奏多だから』好きだったのだ。
俺は、彼女の小さな手をそっと握り返した。
俺の真っ当なカウンセリングが裏目に出て、大勢の女子たちが教団に集まってしまった。彼女は「沙蘭さんだけに独占させるわけにはいきません!」と迫る生徒会長などの新参者たちに激しい対抗心を燃やし、俺のためのお茶汲みなどの献身的なお世話に一人で奔走していた。
それは、筆頭信者としてのプライドなどではなく、ただ他の女の子に好きな人をとられたくないという、恋する少女の必死な足掻きだったのだ。
そんな純粋な思いを知ってしまっては、もう彼女を「やばい筆頭信者」として見ることはできない。
俺の目に映る四ノ宮沙蘭は、教義に狂った信者ではなく、「一人の恋する女の子」だった。俺は彼女の熱い手を握りしめながら、自分の中で強烈な意識の変化、はっきりとした恋心が燃え上がるのを確信していた。
「……ごめんな、無理させて。もう、一人で頑張らなくていいから」
俺が優しく語りかけると、沙蘭は安心したようにふっと表情を和らげ、やがて静かな寝息を立て始めた。
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数時間後。
窓の外がオレンジ色の夕焼けに染まる頃、ベッドから「ん……っ」という小さな声が聞こえた。
「四ノ宮さん、目が覚めたか?」
俺が椅子から立ち上がって声をかけると、沙蘭はパチリと目を開けた。
彼女はぼんやりとした様子で天井を見つめ、それから部屋の光景、傍らに座る俺、そして自分が寝かされているベッドを交互に見比べた。
「……ここは?私、お茶をお持ちしようとして……」
「倒れたんだよ、熱中症で。ここは俺の部屋だ」
「ど、導師様の……寝室!?」
その瞬間、沙蘭の顔がボンッと音を立てんばかりに真っ赤に染まった。
彼女はバサッと掛け布団を引き寄せ、口元まで隠しながらパニックに陥ったように目を泳がせた。
「わ、私としたことが、とんだ失態を……!導師様のお世話をするはずが、逆に看病していただくなんて……っ」
「気にするな。熱はもう下がったみたいだな」
「い、いえ!これはきっと、私の至誠を試すための試練……!現世の暑さに惑わされるなど、いち信者としてあるまじき……っ」
沙蘭は必死に教義と結びつけてクールな顔を取り繕おうとしているが、布団から覗く耳の先まで真っ赤になっている。
普段なら「また教義の曲解か」と頭を抱えるところだが、彼女の本当の想いを知ってしまった今の俺には、その必死な照れ隠しがどうしようもなく可愛らしく見えた。
「……試練なんかじゃないよ。伍東くんのために頑張りすぎただけだろ?」
俺がわざと『伍東くん』と強調して言うと、沙蘭はビクッと肩を震わせた。
「な、何を仰っているのか……私は、導師様のために……」
「寝言で、全部聞いてたよ。俺に一目惚れしたって」
「〜〜〜〜っ!?」
沙蘭は声にならない悲鳴を上げ、今度は布団を頭まですっぽりと被ってしまった。
布団の塊が小刻みに震えている。完全にキャパオーバーを起こしたらしい。
「四ノ宮さん。出ておいで、また熱で倒れるぞ」
「む、無理です……!恥ずかしくて、もう今すぐにでも桃源郷に逃げたいです……!」
「一人で桃源郷には行かせないよ。俺はここで、四ノ宮さんと過ごす普通の時間の方が好きだから」
俺の言葉に、布団の動きがピタリと止まった。
やがて、モゾモゾと布団の端がめくれ、潤んだ黒い瞳だけがひょっこりと顔を出した。
「……本当に?」
「本当だ。だから、これからはやばい信者としてじゃなくて……一人の女性として、俺のそばにいてくれないか」
俺が真っ直ぐに見つめると、沙蘭の瞳からポロリと大粒の涙がこぼれ落ちた。
それは、教義による狂信的な成就の涙ではない。恋する女の子の、純粋で温かい涙だった。
「……はいっ。伍東、くん……っ」
彼女は布団から這い出し、俺の胸に飛び込んできた。
俺は彼女の華奢な体をしっかりと抱きとめ、その温もりを噛み締める。
教団に押し寄せる居場所のない女子たちの暴走や、通帳に振り込まれ続ける莫大なお布施の問題。さらには、常に隙を狙っている毒親の存在など、俺の平穏な日常を脅かす火種は山のように残っている。
だが、俺の腕の中で安心したように泣きじゃくるこの少女だけは、何があっても守り抜いてみせる。
狂ったセックス教団の「名義上の教祖」という不本意な立場から始まった俺の波乱の生活は、一人の少女への確かな恋心と共に、新たな決意のステージへと歩みを進めたのだった。




