第24話 看病
8月。
うだるような夏の暑さの中、『桃源会館』はかつてないほどの異常な熱気に包まれていた。
「導師様!本日は私が、導師様の身の回りのお世話を完璧にこなしてみせますわ!」
「ちょっと天王寺さん、抜け駆けはずるいよ!私も霊気を交わらせるんだから!」
「みんな落ち着いて。導師様が困っているじゃない。……ほら伍東くん、私の淹れた緑茶でリラックスしてね」
一階の広間は、もはやカオスだった。
教団が大盛況となり、完璧主義のプレッシャーから解放(暴走)した生徒会長の天王寺雅や、ストレスから解放された保健の伊佐美凪子先生など、居場所のない女子たちが続々と集まっていたのだ。
彼女たちはすっかり旧教義を独自の解釈で信仰し始めており、隙あらば俺に迫ろうとしてくる。
「だから、身の回りのお世話とか霊気とかいらないから!天王寺さんはちゃんと受験勉強して!先生も生徒に混ざって俺を崇めないでください!」
俺は押し寄せる彼女たちの暴走を、真っ当な理屈で抑え込むのに必死な日々を送っていた。
だが、俺が真っ当に諭せば諭すほど、「ああ、導師様の厳しいお言葉……これぞ至誠を試す試練!」と勝手にポジティブ変換されてしまう。まさに地獄だ。
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そんなカオスな状況の中、一人静かに、しかし強烈な対抗心を燃やしている少女がいた。
教団の筆頭信者である、四ノ宮沙蘭だ。
「沙蘭さんだけに、導師様を独占させるわけにはいきません!」
天王寺会長が俺に迫りながら宣言すると、沙蘭は涼やかな、しかし絶対に引かない笑顔で立ちはだかった。
「新参者の方々に、導師様のお世話は任せられませんわ。古株の信者である私が、すべて行います」
沙蘭はそう言うと、天王寺会長たちを牽制するように、俺のためのお茶汲みから、広い桃源会館の掃除、さらには庭の草むしりまで、献身的なお世話に一人で奔走し始めた。
「四ノ宮さん、そんなに一人で全部やらなくても……」
「いいえ、導師様。これも私の至誠の証明ですから。どうか、私だけを見ていてくださいませ」
彼女は額に汗を浮かべながらも、決して他の女子たちにそのポジションを譲ろうとはしなかった。
新参者たちへの対抗心に加え、彼女自身が抱く俺への純粋な思いが、彼女を突き動かしているのは明らかだった。だが、連日の猛暑の中、無理を重ねる彼女の顔色は、日に日に青白くなっていた。
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そして、事件は起きた。
ある猛暑日の午後。沙蘭がいつものように、冷たい麦茶を乗せたお盆を運んできたときのことだ。
「導師様、お茶をお持ちしまし……あっ」
不自然に足がもつれ、沙蘭の体がグラリと傾いた。お盆からグラスが滑り落ち、ガシャンと床で砕け散る。
「四ノ宮さん!?」
俺は慌てて駆け寄り、床に崩れ落ちそうになった彼女の体を間一髪で抱きとめた。
「だめ、です……私、導師様の、お世話を……」
「バカ、喋るな!体がものすごく熱いぞ!」
抱きとめた彼女の体は、炎のように熱かった。無理を重ねた過労と、夏の暑さによる熱中症だ。
俺は意識が朦朧としている沙蘭を抱き上げると、慌てて二階にある自分の居住スペースへと運んだ。
クーラーの効いた俺の部屋のベッドに彼女を寝かせ、保冷剤をタオルで包んで首元や脇の下を冷やす。
「まったく、無茶しやがって……」
俺が濡れタオルで彼女の汗を拭っていると、背後のドアがバンッ!と勢いよく開いた。
「あああっ!ついに、ついに娘が導師様の寝室に……っ!」
そこに立っていたのは、沙蘭の母親である妙子だった。彼女はベッドに横たわる沙蘭と俺を見て、顔を紅潮させ、両手で頬を押さえて歓喜の悲鳴を上げた。
「素晴らしいわ!夏の暑さで現世の理性を溶かし、ついに至誠を捧げる段階へ……っ。私も微力ながら、お手伝いさせていただきますわ!」
「あんたは帰れ!!ただの夏風邪と過労だから!!」
俺は全力でツッコミを入れ、服を脱ごうとする妙子さんの肩を掴んで、部屋の外へと強引に押し出した。
「きゃっ!手荒な導師様も素敵……」
「いいから大人しく下で待っててください!」
バタンッ!ガチャン!
俺はドアを勢いよく閉め、内鍵を厳重にかけた。本当に油断も隙もない。あんな毒親がいれば、沙蘭が休まる暇もないだろう。
俺は大きくため息をつき、再び沙蘭のベッドの傍らへ戻った。
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「……ん、ぁ……」
ベッドに横たわる沙蘭が、苦しそうに寝返りを打った。
「四ノ宮さん、大丈夫か?水、飲めるか?」
俺が声をかけ、彼女の額に冷たいタオルを乗せようとした、その時だった。
沙蘭の白く細い手が伸びてきて、俺の服の裾をギュッと、力弱く握りしめた。
「……いかないで」
熱に浮かされ、潤んだ瞳が俺を見つめている。
普段の彼女なら、ここで教義の禁書『桃源聖交録』を暗唱するか、「導師様」と呼んで崇めるはずだ。
しかし、彼女の小さな唇から紡がれたのは、全く違う言葉だった。
「いかないで……伍東くん……」
「え……?」
教祖に対する「導師様」ではなく、同級生としての名前。
学校で見せる「高嶺の花」の仮面も、教団での「狂信的な信者」の仮面も完全に剥がれ落ちた、ただの一人の弱い女の子としての姿がそこにあった。
俺は目を見開き、服の裾を握る彼女の小さな手を見つめた。
ドクン、と。またしても、俺の心臓が大きく跳ねる音がした。




