↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
22/42

第22話 ストレス浄化

【伊佐美凪子視点】


 通されたのは、一階にある長机とパイプ椅子が並ぶ殺風景な広間だった。

 私はパイプ椅子に腰を下ろしたが、警戒心は解いていない。周囲に怪しい祭壇や洗脳の道具がないか、目を光らせていた。


「冷たいものでも出そうと思ったんですが、冷房で体が冷えるかもしれないので、温かいお茶にしました」


 奏多君がお盆に乗せて持ってきたのは、淡い黄金色をしたお茶だった。

 湯呑みから立ち上る湯気を嗅いだ瞬間、私はハッとした。


「これ……レモングラスとペパーミント……?」


「はい、よくおわかりで。庭で育てたハーブです。先生、とてもお疲れのようだったので、リフレッシュできるブレンドにしてみました」


 私の数少ない趣味であるアロマテラピーとハーブティーのブレンド。その知識を持つ私から見ても、完璧な配合だった。

 一口飲むと、爽やかな香りと優しい温かさが、ガチガチに強張っていた胃の腑へと染み渡っていく。


「あ……美味しい……」

「よかったです。先生、目の下にひどいクマができてますよ。ちゃんと眠れていますか?」


 奏多君は私の向かいに座り、真っ直ぐに私の目を見た。

 その眼差しは、高校生とは思えないほど大人びていて、包容力に満ちていた。


「それは……養護教諭だから、色々と忙しくて……」

「生徒たちの重い悩みを、先生一人で抱え込みすぎているんじゃないですか?」


 図星を突かれ、私は息を呑んだ。


 大学で学んだ教育理論。教師としての矜持。それらで必死に鎧を作って自分を保ってきたつもりだった。だが、彼の温かいお茶と、否定せずに受け止めてくれるその姿勢に触れた瞬間、私の中で張り詰めていた糸が、ぷつりと音を立てて切れた。


「……わかってるの。私の力不足だってことくらい」


 気づけば、私は誰にも言えなかった弱音を、ぽつりぽつりとこぼし始めていた。


「学校のブラック労働に加えて、毎日毎日、生徒たちの重い悩みが保健室に持ち込まれる。でも、私には教育理論の教科書通りのアドバイスしかできない。根本的な解決になんてなっていないのに、私自身がもう、いっぱいいっぱいで……」


「先生は、十分すぎるくらい頑張ってますよ」


 奏多君は、私の言葉を遮ることなく、静かに相槌を打ってくれた。


「俺、アメリカにいた頃に、色んなバックボーンを持つ人たちの相談に乗ってきたんです。そこで学んだのは、教科書通りの『正解』を押し付けるんじゃなくて、まずは相手の『多様性』を認めて、寄り添うことの大切さでした」


「多様性……」


「先生だって、一人の人間です。完璧な教師であろうとして、自分自身を壊してしまったら、元も子もない。もっと周りに頼っていいし、自分の弱さを認めていいんですよ」


 彼の言葉は、私が大学で学んだどの教育理論よりも、的確に真っ直ぐに私の心に届いた。

 相手のバックボーンを尊重し、価値観を押し付けない。彼がアメリカでの実経験で培ったというその『多様性理論』は、疲れ果てた私の心に、すーっと浸透していった。


「私……完璧じゃなくて、よかったのね……」


 気がつけば、私の目からポロポロと涙がこぼれ落ちていた。


 生徒を守るために乗り込んできたはずなのに。養護教諭としての威厳を示さなければならなかったはずなのに。

 私は彼の前で、子供のように肩を震わせて泣きじゃくった。奏多君は困ったように笑いながら、そっとティッシュの箱を差し出してくれた。


 ひとしきり泣いて顔を上げると、視界が驚くほどクリアになっていた。

 心に重くのしかかっていたヘドロのようなストレスが、嘘のように消え去っている。


「……なんだか、とても安らいだわ。ありがとう、伍東くん」

「少しはスッキリしましたか?」


「ええ、身も心も軽くなったみたい。生徒たちがここに来たがる理由が、身に染みてよくわかったわ」


 私は白衣の袖で涙を拭い、照れくさく笑った。


「私があなたを指導しに来たはずなのに……なんだか立場が逆転しちゃったわね」

「俺はただ、話を聞いただけですよ。ハーブティーのおかわり、淹れましょうか?」


 奏多君の真っ当なストレスケア――ただの優しいカウンセリングは、私の心を完全に救済してくれた。

 彼なら、きっとどんなに深い心の闇を抱えた人でも救うことができる。

 私はこの感動を、同じようにブラック労働やストレスで疲弊している大人の友人たちにも教えてあげなければと、心に固く誓って教団を後にした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。