第2話 新教祖
車窓の景色が、高層ビル群から見慣れた郊外の街並みへと変わっていく。
着いたのは、栗ヶ丘市柿崎町。
駅前こそ栄えているが、少し車を走らせると、近代的な建売住宅が立ち並ぶ静かな住宅街が広がっていた。
「ここを右に曲がった突き当たりが、あなたの新居です」
白石さんの言葉に従い、タクシーが細い路地へと入っていく。
その瞬間、俺は窓の外の光景に違和感を覚えた。
「……なんか、変じゃないですか?」
路地を歩いていた近所の住人たちが、俺たちの乗るタクシーが向かう先を見るなり、露骨に目を逸らしたのだ。
犬の散歩をしていた老人は慌ててリードを引き返し、立ち話をしていた主婦たちは足早に家の中へと引っ込んでいく。
まるで、触れてはいけない『何か』から逃げるように。
「気のせいでしょう。さあ、着きましたよ」
白石さんがタクシーの代金を支払い、俺たちは車を降りた。
そこには、近代的な住宅街の区画にそぐわない、いびつな空間が広がっていた。
高い塀と鬱蒼とした木々に囲まれた、昭和の洋館風の古い家。
地元の不穏な都市伝説が、そのまま形になったような不気味な佇まいだ。
そして何より俺の目を引いたのは、門の横に掲げられた巨大な木製の看板だった。
「『桃源交霊会』……?」
俺は首を傾げた。
「公民館か何かの名前ですか?まさか、ここが俺の住む家ってわけじゃ……」
「ええ、ここがあなたの新しい家であり、城です。『桃源会館』へようこそ」
白石さんは無表情のまま、重厚な門扉を押し開けた。
ギイィッという錆びた音が、静かな住宅街に不気味に響き渡る。
俺はキャリーケースを引く手を止め、呆然とその洋館を見上げた。
俺が望んだ平穏な日常とは程遠い、嫌な予感しかしないその外観を見上げて、一呼吸した。
+++
「どうぞ、中へ。二階があなたの生活スペースになります」
促されるままに玄関をくぐり、一階の廊下を進む。
家の中は思いのほか綺麗に清掃されていたが、俺の『常識人』としての直感が、けたたましく警鐘を鳴らしていた。
「……なあ、白石さん。この家、なんか不自然じゃないか?」
俺は一階の居間やキッチンを軽く見回しながら尋ねた。
「不自然、とは?」
「部屋の広さに対して、壁の配置がおかしいっていうか……あの奥のふすまとか、備え付けの本棚とか、妙に浮いてる。まるで、後から増設したかのような間取りだ」
俺の指摘に、白石さんの眼鏡の奥の瞳がキラリと光った。
「鋭いですね。ですが、その探究心はひとまず置いておきましょう。まずは、今後の生活についての重要な説明があります」
白石さんは居間のテーブルに分厚いファイルの束をどさりと置いた。
「転校先である私立聖明学園高等学校への手続きは、全て完了しています」
「あ、ありがとうございます。それで、外にあった『桃源交霊会』って看板は一体……」
「仁社長が先日買収した、宗教法人の名前です」
「……はい?」
俺は間抜けな声を漏らした。
「宗教法人?親父が?なんでまたそんなものを!」
「『節税になるから』という、極めて不純かつ適当な理由ですね」
白石さんは淡々と、信じられない事実を口にした。
「はあ!?節税のために宗教を買った!?ふざけんなって。で、俺にそんな怪しい宗教施設に住めって?いや、ないない」
俺は慌ててスマートフォンを取り出し、父親の番号へ発信した。
数回のコール音の後、波の音と陽気な音楽を背景に、呑気な声が響いた。
『おう、奏多!新居には着いたか?こっちは最高の天気だぜ!』
「親父!てめえ、なんだよこの『桃源交霊会』って!宗教法人ってどういうことだ!」
『あー、白石から聞いたか。まあ気にするな。宗教というのは、要は救いだ』
「救い!?」
『お前、得意だろう?人を助けるの。向こうでもよく友達の悩み相談に乗ってたじゃないか』
「あれはただの友人同士の雑談だ!宗教と一緒にすんな!」
『似たようなもんだろ!学費と生活費と、広い一軒家は用意してやったんだ。あとはよろしく~!』
プツン、ツーツーツー。
一方的に電話が切れ、俺はスマートフォンを握りしめてワナワナと震えた。
「あのクソ親父……!本当に丸投げしやがった!」
「お怒りはごもっともですが、ひとまず現実を受け止めましょう」
白石さんはテーブルの上の書類を一枚、俺の前にスッと差し出した。
そこには『代表役員伍東奏多』と、俺の名前がはっきりと記されていた。
「なっ……なんだこれ!勝手に俺の名前が!」
「仁社長の指示で、既に代表役員の登記は完了しています。つまり、あなたが今日からこの宗教法人の新教祖というわけです」
「きょ、教祖?!冗談じゃない!今すぐ辞任する!こんな怪しい団体のトップなんて絶対にお断りだ!」
俺が書類を突き返そうとした瞬間、白石さんは冷徹な事務員としての顔を覗かせた。
「おすすめしませんねぇ。この法人は過去の活動により、少しばかり世間から目をつけられていまして。今すぐ代表を辞任して法人を放り出せば、不審な団体として、税務署や警察が即座に動くでしょう」
「え……」
「ガサ入れが入り、責任は全て現在の代表役員である『あなた個人』に降りかかります。お父様からの仕送りも無くなり、経歴に傷がつき、高校卒業はおろか、まともな進学も絶望的になるかもしれませんね」
白石さんの淡々とした事後報告が、俺の頭を鈍器のように殴りつけた。
辞めれば、警察沙汰。
残れば、怪しい宗教の新教祖。
「……嘘だろ」
俺はその場に崩れ落ち、頭を抱えた。
おとなしく高校を卒業し、平穏な日常を過ごす。
ただそれだけを望んでいた十八歳の俺の未来は、帰国初日にして、完全に絶たれてしまったのだった。




