第1話 クソ親父
3月。
「カナタ!本当に帰っちゃうのかよ!?」
「寂しくなるわ、カナタ。あなたがいてくれたから、私、自分らしくいられたのに」
アメリカ国際空港の出発ロビーは、別れを惜しむ声で騒がしい。
俺、伍東奏多は、たくさんの友人たちに見送られながら、様々な人種の波の中に立っていた。
金髪で白人のジョンが泣きそうな顔で俺の肩をがっしりと掴み、褐色の肌を持つエミリーが目に涙を浮かべながらハグをしてくる。
「大げさだな、お前ら。スマホでいつでも連絡取れるだろ」
俺は苦笑いしながら、エミリーの背中を軽くポンポンと叩いた。
「でも、直接相談に乗ってもらえないじゃない。私、親の期待が重くて潰れそうだった時、カナタの言葉にどれだけ救われたか……」
「俺は何も特別なことはしてないよ。ただ、君が君らしく生きていいって、当たり前のことを言っただけだ。多様性ってやつさ。親の価値観に縛られる必要なんてないんだから」
「それがすごいことなのよ!カナタのカウンセリング、いつも的確だったんだから!」
幼い頃に母親を病気で亡くし、父親の気まぐれな都合で海外生活が長かった俺は、ここに来たばかりの頃、理不尽な差別を受けた経験がある。
言葉の壁、人種の壁。その孤独で過酷な環境の中で生き抜くために身につけたのが、他人の多様な背景を論理的に理解し、尊重する『多様性理論』だった。
俺としては、ただ真面目に話を聞いて、真っ当なカウンセリング(俺としては普通に相談に乗っているだけのつもり)をしていただけなのだが、なぜか友人たちからはやたらと感謝され、いつの間にか頼られる存在になっていた。
「オーイ、奏多!そろそろ搭乗ゲートに向かわないと置いていくぞ!」
友人たちとの感動的な別れの空気をぶち壊す、軽薄な声が響いた。
声の主は、アロハシャツにサングラス、そして日焼けした肌という、一年中リゾート地にいるような出で立ちの男――諸悪の根源である俺の父親、伍東仁だ。
「オヤジが急に『日本に帰る』なんて言い出したんだろ!少しは待てよ!」
「ハハハ!人生はバカンスだ!立ち止まっている暇はないんだよ!」
「バカンスって……だったら、なおさらゆっくり歩めよ!」
この男には親としての責任感というものが皆無だ。
金銭に対して貪欲で無責任であり、面倒なことはすべて他人に押し付ける自己中心的な人物。
俺は呆れ果てながら、友人たちに向き直った。
「……というわけで、俺は行くよ。みんな、元気でな」
「カナタもね!日本に行っても、その持ち前の前向きさで頑張ってね!」
友人たちの温かい声援を背に受けながら、俺は搭乗ゲートへと向かった。
ろくでもない親に振り回される苦労性の人生だが、日本に帰れば、きっと平穏な日常が待っているはずだ。
日本での新しい高校生活。おとなしく、目立たず、普通の高校生として平和に卒業する。
それだけが、オヤジの波乱な人生に巻き込まれ続けていた俺のささやかな願いだった。
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十数時間のフライトを終え、飛行機は無事に日本へと降り立った。
「フライトお疲れ様でした、仁社長、奏多くん」
成田空港の到着ロビーを抜けると、タイトなスーツを着こなした女性が出迎えてくれた。
初めて会った彼女に話を聞くと、父親に雇われている実務担当の税理士、白石莉乃と名乗った。
29歳という若さながら、どこか冷徹で計算高い空気を纏っている。
「おう、白石!出迎えご苦労さん!で、俺の乗り継ぎ便の手配はバッチリだろうな?」
父親がサングラスをずらしながら、ニカッと笑う。
俺は思わず耳を疑った。
「……は?乗り継ぎ便?」
「ああ、言い忘れてたか?俺はこのまま別の国へ行くんだよ。ちょっと南国のビーチでデカいビジネスの匂いがしてな!」
「はあ!?オヤジ、俺と一緒に日本に住むんじゃないのかよ!」
俺が声を荒らげると、こいつは悪びれる様子もなく肩をすくめた。
「俺みたいな自由人が、日本の窮屈な社会で生きていけるわけないだろ?安心しろ、お前の住む家はちゃんと用意してあるし、高校の転校手続きも白石が全部やってくれた」
「そういう問題じゃ……!俺一人でどう生活しろって言うんだよ!」
「学費と生活費は毎月振り込んでやるから安心しろ。時間だ!じゃあな、奏多!日本の生活を楽しめよ!そして、あとはよろしく頼んだぞ、白石!」
ヤツは俺の抗議を完全に無視し、キャリーケースを転がしながら、足早に出発ロビーの方へと消えていった。
嵐のように現れ、嵐のように去っていく。本当にどこまでも身勝手な男だ。
俺は大きなため息をつき、痛むこめかみを揉んだ。
「ったく……相変わらずだな、あいつは」
「仁社長らしい、迅速な意思決定ですね。では、奏多くん。私たちも行きましょうか」
白石は表情一つ変えず、淡々と告げた。
「行くって……どこにですか?俺の新しい家って」
「ええ。社長があなたの為に用意した、素晴らしい物件です。栗ヶ丘市という、都心から電車で一時間ほどの閑静なベッドタウンにあります」
「ベッドタウン……まあ、普通の住宅街なら静かそうでいいかも」
俺は少しだけ安堵した。
都心から離れた静かな街なら、俺の望む平穏な日常が送れそうだ。
住宅街での一人暮らしというのも、悪くないかもしれない。
「ええ、とても静かですよ。少し自転車を走らせれば古くからの住宅街が広がっていますし……周囲の住民も、あの家には『誰も寄り付きません』から」
白石がボソッと呟いた言葉が、妙に引っかかった。
「え?今、なんて……」
「いえ、こちらの話です。車を手配してあります。さあ、どうぞ」
白石に促され、俺は空港の外へと歩き出した。




