第15話 過激な宣言
5月。
日曜日の朝。
俺は庭のプランターに水をやりながら、空を見上げていた。
きゅうりやナスの苗はとっくに引っこ抜いて、無害なハーブに差し替えてある。これで余計な誤解は避けられるはずだ。
「今日こそは、来ないでくれ……」
呟いても、祈るような気持ちは消えなかった。
前回の日曜日、沙蘭がここに現れてからというもの、学校では意識して遠ざかり、なるべく視線を合わせないようにしている。そして、週末が来るたびに胃が重くなる。
――ピンポーン。
インターホンの音が、静かな屋敷に響いた。
俺は手を止め、深呼吸をしてから玄関へ向かった。
モニターに映っていたのは、予想通りの顔ぶれだった。
四ノ宮妙子。そしてその隣に、清楚な白いワンピースを着た沙蘭。
さらに後ろには、二十代から三十代の女性が八名ほど並んでいる。前回より人数が増えていた。
「……来るよな、やっぱり」
俺は覚悟を決めて扉を開けた。
「おはようございます、桃源導師様」
妙子さんが恭しく頭を下げる。沙蘭も静かに続き、他の信者たちも揃って一礼した。
「今日は……少し多いですね」
「ええ。沙蘭が開眼したと聞きつけて、皆さんも礼拝に伺いたがったものですから」
妙子さんの声は穏やかだが、目は笑っていない。
沙蘭は学校で見せるクールな表情ではなく、穏やかで、どこか確信に満ちた顔をしていた。不安や迷いが、ほとんど見えない。
「改装はまだ終わっていません。地下は危険なので、今日も一階でお願いします」
「もちろんです。導師様のお言葉に従います」
沙蘭が静かに答える。その声には、以前のような熱っぽさではなく、落ち着いた深みがあった。
俺は二人を一階の広間へと通し、他の信者たちもパイプ椅子に座らせた。
お茶を淹れて出す。普通の日曜日の応対を装いながら、俺は警戒を解かなかった。
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「導師様。前回、私の拙い悩みをお聞きくださったこと、心より感謝しております」
沙蘭が湯飲みを両手で包み込み、真顔で言った。
「ただの雑談じゃないか。特別なことは何もしてない」
「いいえ。あなた様が真正面から受け止めてくださった瞬間、すべてが繋がったのです。これぞ真の救済……」
他の信者たちも次々と口を開く。
「私も、今こうして導師様とお話しできていること自体がうれしくて」
「ええ。改装中でもこうして話を聞いてくださるお慈悲が、ありがたくて」
礼賛の言葉が、次から次へと重なっていく。
俺が「大げさだ」「ただの雑談だ」と否定するたびに、沙蘭の瞳がさらに穏やかに、しかし熱を帯びていく。
「導師様がそう仰るお姿こそ、偽りのない謙虚さ。真の救済者の証でございます」
沙蘭の声は静かで、迷いがない。
以前の狂信的な熱狂とは違う。もっと深く、教義に根を下ろしたような確信だ。
妙子さんが横で満足げに頷き、他の信者たちも同調するように目を細める。
感謝と尊敬が、どんどん歪んだ方向へ加速していくのが分かった。
俺の真っ当な対応が、彼女たちの中で「至誠の準備」へと勝手に変換されていく。
「……いいか、よく聞いてくれ。俺は特別な導師なんかじゃない。ただの高校生だ」
俺がもう一度否定しても、沙蘭は静かに微笑んだ。
「はい。だからこそ、私は救われたのです」
その穏やかすぎる笑顔を見て、俺は胸の奥で嫌な予感がした。
このままでは、彼女の思い込みが、さらに危険な場所まで行き着いてしまうのではないかと。
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沙蘭は湯飲みを静かに置き、椅子から立ち上がった。
他の信者たちが一斉に息を飲む中、彼女は真っ直ぐに俺を見つめた。
「桃源導師様。私、決めました。今日、あなた様に処女を捧げます……それが私の『救い』ですから」
「待って!?教義の解釈が間違ってるし、もっと言うと十八歳の俺と十七歳の君では犯罪になっちゃうんだけど!?」
俺は思わず声を荒らげた。椅子から半身を乗り出して否定する。
だが沙蘭の表情は、微塵も揺るがない。むしろ、俺の言葉を丁寧に受け止めたように、静かに首を傾げた。
「では私が十八歳になる十か月後の誕生日に、私の処女をお納めさせていただけるのですね」
「捧げるとか納めるとか、君はものじゃないんだから」
俺はこめかみを押さえた。話が全く通じない。
沙蘭は真顔のまま、まるで当然のことを確認するように頷いている。
妙子さんが横で満足げに目を細め、他の信者たちも「素晴らしい覚悟ですわ……」と囁き合う。
これ以上何を言っても無駄だと、俺は悟った。
十か月もあれば、いずれ目が覚めるだろう。そう自分に言い聞かせて、曖昧に口を開く。
「……そのときは、改めて話す。今日はもう帰ってくれ」
「はい。お約束、確かにいただきました」
沙蘭が深く頭を下げる。その声には、一切の迷いがなかった。
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信者たちは大満足の様子で帰っていった。
妙子さんが「改装が終わりましたら、改めて」と意味深な笑みを残し、沙蘭は名残惜しそうに何度も振り返りながら門を出ていく。
バタンッ。
俺は重厚な扉を閉め、すぐに内鍵を二重にかけた。
背中を扉に預けたまま、その場にへたり込む。
「十か月……長いようで、短い」
ぼそっと呟いた。
約束してしまった自分が、急に馬鹿らしくなった。
沙蘭の本気は純粋すぎて、むしろ守りたい気持ちさえ出てきてしまう。だが、教義と混ざったその思いが、どこまで危険な方向へ進むのか想像しただけで先が思いやられる。
一階の奥、不自然な本棚とふすまの方を睨んだ。
改装中の嘘が、いつまで通用するのか。
俺は天井を見上げ、長く息を吐いた。
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翌日。
月曜日の教室は、いつも通りの張り詰めた空気に包まれていた。
聖明学園の校風は、相変わらず「完璧であること」を静かに強いてくる。俺は自分の席に座り、教科書を開きながらも、前の席に座る彼女へ視線を移した。
四ノ宮沙蘭が、そこにいた。
いつもならクールで隙のない表情を崩さない彼女が、今日はどこか違っていた。
不安や迷いが、ほとんど見えない。穏やかで、安定した笑顔さえ浮かべている。学校での「高嶺の花」としての仮面を、意識的に緩めているような印象だった。
(昨日のあの宣言の後で、あんなに落ち着いていられるのか……)
俺は内心で首を傾げた。
十か月後の約束を、彼女は本気で受け止めているのだろう。その確信が、表情にまで現れている。
休み時間になると、沙蘭の周りに数人の女子が集まってきた。
同じクラスの、どちらかといえば目立たない子たちだ。成績は悪くないが、生徒会長や沙蘭のような「完璧な層」には属さず、どこか居場所を探しているような雰囲気がある。
「四ノ宮さん、最近すごく穏やかだよね」
「なんか、前より表情が柔らかいっていうか……何かいいことでもあったの?」
一人が遠慮がちに声をかける。沙蘭は教科書から顔を上げ、静かに微笑んだ。
「ええ。心が救われる場所が見つかったんです」
「救われる場所……?」
「そこでは……心が軽くなる話を聞いてもらえて」
沙蘭の声は控えめだが、確かな手応えがあった。
女子たちは互いに顔を見合わせ、興味を示したように身を乗り出す。
「セラピーみたいなの? 四ノ宮さんが行くなら、変なものじゃないよね」
「私も最近、親の期待が重くて……少し話を聞いてみたいかも」
そんな囁きが、静かに広がっていく。
俺は自分の席からその様子を眺めていて、胸の奥が冷たくなった。
(……おいおい。勝手に布教活動をしてんじゃないよ!)
沙蘭の穏やかな姿が、居場所のない女子たちを引き寄せ始めている。
彼女の「救われた」という実感が、本物に見えてしまうからこそ、危険だ。
俺の真っ当な対応が、またしても裏目に出て、教団へ人が流れ込むきっかけを作ってしまった。
授業が再開しても、沙蘭の周りで交わされた会話の余韻は消えなかった。
俺は教科書に目を落としながら、昨日の約束を思い出した。
十か月後。
彼女が十八歳になる誕生日。
そのときまでに、彼女の目を覚まさせなければいけない。
だが、こうして新しい興味が芽生え始めている今、時間は決して余裕があるわけではなかった。
俺は小さく息を吐き、ペンを握り直した。
おとなしく高校を卒業したいという願いが、また一歩、遠ざかっていく気がした。




