第14話 沙蘭の事情
俺は頭を抱えたくなった。
学校でクールな高嶺の花として通っている同級生が、いま目の前で俺を神様みたいに崇拝している。
「ちょ、ちょっといいかげん起きてくれ、四ノ宮さん!君の膝が、汚れるだろ!」
「もったいないお言葉でございます。ですが、この膝を折ることこそ、私の至誠の第一歩にございます」
「至誠って……もういい、とりあえず中に入って!とにかく話し合おう」
俺は半ば強引に沙蘭の腕を取って立たせ、二人を一階の居間へと誘導した。
パイプ椅子と長机が並ぶ、殺風景な空間だ。妙子さんは慣れた様子で椅子を引き、沙蘭も静かに隣に腰を下ろす。
俺は二人の向かい側に座り、深呼吸をした。
「……で、四ノ宮さん。なんで君がここにいるんだ。妙子さんとは家族なのか?」
沙蘭はゆっくりと顔を上げ、黒い瞳に熱い光を宿したまま答えた。
「はい。私は妙子の娘にございます。幼い頃からお母様に連れられ、この桃源交霊会に入信しておりました。生粋の宗教二世でございます」
「宗教二世……」
「母は……昔、父を事故で亡くして心が弱り切っていた時に、前の教祖に付け込まれたんです。彼は優しい言葉で母を社会から孤立させ、『外の世界は不浄だ、この桃源会館で教祖に身を捧げることでしか魂は浄化されない』と洗脳しました。
数年前、前教祖が多額のお布施を持ち逃げする投資詐欺で逮捕された後も、母の心に掛けられた呪縛だけは解けなかった……。だから、すがりつくように新しい導師様の降臨を待っていたんです」
沙蘭は伏し目がちに、教団の暗い過去を吐露した。
「私自身、最初は教団の教義や雰囲気に、正直嫌気が差しておりました。怪しくて、怖くて。でも——」
沙蘭の声が、ふっと柔らかく変わった。
「転校していらした伍東様が、新しい桃源導師様になられたと、お母様から家で伺った瞬間……すべてが繋がったのです。これぞ真の救済……!と」
俺は思わず身を乗り出した。
「繋がったって……どういうことだよ。俺はただ、親父の都合で名義を押し付けられただけなのに」
「いいえ。私は学校で、ずっと伍東様のことを拝見しておりました。クールで、落ち着いていて、でもどこか優しくて。……一目惚れ、だったのかもしれません」
沙蘭の頬が、わずかに紅潮する。学校でのクールな表情とは全く違う、年相応の無防備さがあった。
「だから、導師様として降臨されたと知ったとき、私は確信したのです。この方こそが、私を導いてくださる真の救済者だと」
俺は頭を掻いた。
片思いの延長で教義に開眼した、だと?あまりにも純粋で、あまりにも危うい。
「……一つ聞いてもいいか。君も、前の教祖と……その、体を?」
沙蘭が慌てて首を横に振る。
「いえ!お母様は私を桃源会館へ連れて来ることはあっても、前の教祖様の時代には決して地下へは連れて行かれませんでした。私は……純潔を保ったまま、新しい導師様をお待ちしていたのです」
妙子さんが横で満足げに頷く。
「ええ。娘には、最も清らかな形で新たな導師様へ至誠を捧げさせたかったものですから」
俺はこめかみを押さえた。
話が通じる相手ではなさそうだ。それでも、半田のアドバイスを思い出す。逃げ回るのではなく、真っ当に話を聞いて、軌道をずらす。
「……わかった。とりあえず、今日はゆっくり話そう。君たち、最近何か悩んでることとかないか? 学校のことでも、家庭のことでも。俺、そういうの聞くの、わりと得意なんだ」
沙蘭の瞳が、さらに輝いた。
「導師様が……私の悩みに耳を傾けてくださるのですか?これぞ、至誠の準備段階に他なりません……!」
「違う!ただの雑談だ!カウンセリングっていうか、相談に乗るだけだ!」
俺が否定しても、沙蘭は超絶ポジティブに曲解したまま、両手を胸の前で組む。
妙子さんも「導師様のお慈悲……」と嬉しそうに呟いている。
対話で変えようとした第一歩が、早くも裏目に出始めていた。
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沙蘭の瞳がますます熱を帯びていくのを見て、俺は内心で深くため息をついた。
真っ当に話を聞こうとしただけなのに、「至誠の準備段階」だの「お慈悲」だのと、すぐに旧教義に接続されてしまう。この調子じゃ、カウンセリングどころじゃない。
「……いいか、よく聞いてくれ。俺は特別な導師なんかじゃない。ただの高校生だ。君たちが言うような『救済』とか、大げさなことはできない」
「いいえ、導師様。あなた様がそう仰るお姿こそが、偽りのない謙虚さ。真の救済者の証でございます」
沙蘭が真顔でそう返す。
話が全く通じない。
そのとき、妙子さんが椅子からゆっくりと立ち上がった。
「さて、お話も一通り伺いましたことだし……今日こそは、地下の桃源の間へ参りましょうか」
「は?」
「娘も開眼したことですし、導師様のお導きのもと、改めて教義を体現する機会かと存じますわ」
妙子さんの声は穏やかなのに、目が笑っていない。明らかに、今日こそはと腹を括っている気配だった。
「ちょっと待ってくれ。地下は……」
「何でしたら、私と沙蘭を同時に……」
「ちょ、お、お母様!私はまだ、その……!」
沙蘭が慌てて母親の袖を引く。頬を真っ赤にして、視線を泳がせている。学校で見せるクールな顔とはまるで別人だ。
「だったら、私と桃源導師様の二人で地下へ参りましょう。娘がまだ覚悟を決めきれないようですので、先に私が至誠をお示ししますわ」
「おいおい!俺抜きで勝手に決めるな!」
俺は思わず声を荒らげた。
妙子さんが一歩、居間の奥——あの不自然な本棚とふすまの方へ踏み出そうとする。
沙蘭は「お母様、いってらっしゃいませ!」と常軌を逸した発言で深々と頭を下げて送り出そうとする。
「いい加減にしてくれ!俺は今日、そんなつもりで話を始めたんじゃない!」
「導師様。私たちがここまで参りましたのは、教義に従うためですもの。言葉だけでは、至誠は証明できないのですよ」
妙子さんの言葉は柔らかく、しかし絶対に引かない強さがあった。原理主義者の執着だ。
俺は焦った。このまま押し切られたら、前回の悪夢の再現になる。沙蘭まで巻き込まれたら、もう取り返しがつかない。
「……わかった。正直に言う」
俺は二人の前に立ちはだかり、両手を広げて道を塞いだ。
「地下は、今、改装中なんだ。床を剥がしたり、照明を変えたりしてて……危険だから立ち入れない。しばらくはどうしても無理だ」
「改装、ですか?」
妙子さんが薄く目を細める。信じきってはいない様子だ。
「ああ。前の……いろいろあった後で、安全確認も含めて工事してる最中なんだ。完成するまで、あそこには入れない。本当だ」
嘘だ。
改装なんてしていない。ただの苦しまぎれの言い訳だ。
それでも、俺は真剣な顔を崩さなかった。沙蘭が少し困ったように母親を見ている。
「……導師様がそう仰るのでしたら」
沙蘭が静かに口を開いた。
「改装が終わるまで、お待ちします。その代わり——」
彼女は俺を真っ直ぐに見つめ、声を落とした。
「完成した暁には、どうか私の至誠を、受け止めてくださいませ」
「……ああ、まあ、そのときは改めて話し合おう」
俺は曖昧に頷いた。これ以上深く約束するのは危険すぎる。
妙子さんは不満そうに唇を尖らせたが、娘が引いた以上、無理押しはしなかった。
「わかりましたわ。では、改装が終わり次第、改めて伺います。それまで、どうかお体を大切に」
「はいはい。今日のところは帰ってくれ。お願いだ」
俺は二人を玄関まで誘導した。沙蘭は何度も振り返りながら、名残惜しそうに頭を下げ、妙子さんは「来週も楽しみにしておりますわ」と意味深な笑みを残して出て行く。
バタンッ。
俺は重厚な扉を閉め、すぐに内鍵を二重にかけた。
背中を扉に預けたまま、その場にへたり込む。
「……はぁっ、はぁっ……」
心臓が早鐘を打っている。今日も、なんとか回避できた。
でも、沙蘭の最後の言葉が耳に残る。
『完成した暁には、どうか私の至誠を、受け止めてくださいませ』
あの子は本気だ。片思いと教義が混ざった、純粋で危うい本気。
そして妙子さんは、隙あらば旧教義に引き戻そうとしてくる。
俺は天井を見上げ、ぼそっと呟いた。
「改装中、か。……いつまで通用するんだ、こんな嘘」
教室で隣り合わせになる同級生が、週末には俺を「導師様」と呼んで平伏する。
学校と教団の二重生活が、これからどれだけ地獄になるのか。想像しただけで胃が重くなった。
それでも、逃げられない。
おとなしく高校を卒業するために、俺はまだ「名義上の教祖」を続けなければならないのだから。




