第12話 美少女との接触
月曜日。俺はひどく疲れた顔で、私立聖明学園の教室の自分の席に突っ伏していた。
週末のあのトラウマ――伝説のセックス教団の信者たちに囲まれ、あわや貞操を奪われかけた恐怖から、ろくに眠れなかったのだ。
「おいおい伍東、どうしたんだよその目の下のクマ!ゾンビみたいになってんぞ!」
人懐っこい声と共に背中をバンバンと叩いてきたのは、クラスメイトの半田哲だ。
彼は俺にとって、この学校で唯一の常識的理解者であり、とにかくポジティブで明るい男友達だった。
「……半田か。ちょっと、週末に色々あってな」
「色々って?あ、もしかしてアメリカの彼女と時差ボケの遠距離恋愛でモメたとか?」
「そんなんじゃねえよ。ただ……親の都合で、変な組織の代表を押し付けられちゃってさ」
俺は机に突っ伏したまま、重いため息をついた。
本当は『ヤバいカルト宗教の教祖にされて、地下室で狂信的な女たちに服を脱がされた』と叫びたかったが、そんなことを言えば一発で変人扱いだ。
だから俺は、詳細をぼかしつつ、半田に今の状況を相談してみることにした。
「なんか、その団体のメンバーが……やたらと俺に迫ってくるんだよ。年上の女の人ばかりなんだけど、距離感がバグってるっていうか、マジで貞操の危機を感じるレベルで……」
「はぁっ!?」
俺の深刻な相談を聞いた瞬間、半田はガタッと立ち上がり、信じられないものを見るような目で俺を見下ろした。
「お前……それ、エロゲのハーレム展開じゃん!!」
「は?」
「年上の綺麗なお姉さんたちに迫られる新代表!?なんだそれ、超うらやましい設定なんですけど!俺と代われよ!」
鼻息を荒くして興奮する半田に、俺は心底ゲンナリした。
彼からすれば男の夢のようなシチュエーションに聞こえるのだろう。だが、相手はロット買いされたコンドームの海で、俺に狂信的な目を向けてくる変態教義原理主義者たちだ。
「お前は何も分かってない……。あれはうらやましいとか、そういう次元の話じゃないんだ。異常事態なんだよ」
俺が心底疲れ切った声で否定すると、半田は「贅沢な悩みだなあ」と腕を組んで笑った。
「まあ、伍東がそこまで言うなら相当クセが強い人たちなんだろうけどさ。そういう時は逆に堂々として、アメリカでやってたみたいに、得意のカウンセリングで話を聞いてやればいいんだよ!」
「……カウンセリング?」
「そう!アメリカで色んな奴の悩み聞いてたんだろ?年上の女の人だって、話を聞いてくれる余裕のある男に弱いって言うし。伍東のその落ち着いたキャラで『どうしました?』って真っ当に受け止めてやれば、相手も落ち着くかもしれないぜ?」
半田の無責任かつポジティブなアドバイスに、俺はハッとさせられた。
(なるほど……相手の話を真っ当に聞く、か)
俺には、海外生活で身につけた先進的な『多様性理論』がある。
これまでは相手の狂信的なペースに呑まれて逃げ回るばかりだったが、俺の方から冷静に彼女たちの悩みや日常の不満を聞き出し、健全なカウンセリング(という名の対話)に持ち込めばどうだろう。
相手の心に寄り添い、過激な教義から目を逸らさせる。そうやって少しずつ軌道修正していけば、あのおぞましい旧教義を無力化できるかもしれない。
「半田……お前、天才かもしれない」
「だろ?俺のアドバイスに感謝しろよな!」
ニカッと笑う半田に、俺はわずかな希望の光を見出していた。
次にあの信者たちが来たら、逃げるのではなく、真っ当なカウンセリングで迎え撃つ。それが俺の出した結論だった。
+++
それから数時間後。昼休みの教室で、俺はふと奇妙な感覚に襲われた。
誰かに見られている。
それも、ただの好奇心ではない。体がジリジリと焦げるような、熱烈で粘着質な視線だ。
(なんだ……?)
俺は不審に思い、お弁当を食べる手を止めて、教室を見回した。
その視線の主を見つけ、俺は少し驚いた。
前の席に座り、手鏡を使ってこちらをじっと見つめていたのは、四ノ宮沙蘭だった。
彼女は、この聖明学園において誰もが振り返るような、透き通るような肌と長い黒髪を持つ、孤高の美少女だ。
成績優秀で品行方正。学校の男子たちからは「高嶺の花」として一目置かれている存在である。
当然、転校してきて数日の俺とは、これまで一言も言葉を交わしたことがない。
(なんで、学園トップクラスの美少女が俺を……?)
不思議に思いながら彼女をチラ見していると、あることに気がついた。
沙蘭は俺を鏡越しで真っ直ぐに見つめながら、微かに唇を動かしているのだ。
ブツブツと、何かを必死に呟いている。
(もしかして……英単語の暗記か?)
窓際で一人静かに呟くその姿は、いかにも真面目な優等生が休み時間さえ惜しんで勉強しているように見えた。
彼女の唇が何かを紡いでいるのを遠目に見て、俺はただ「すごい集中力だな」と感心して、前へと向き直った。
ただの同級生。少し変わったところがあるかもしれないが、俺の平穏な日常を脅かす存在ではない。
この時の俺は、彼女からの熱烈な視線の意味を、そんな風に軽く考えていたのだった。
+++
その日の午後の授業中。
歴史の教師が黒板に単調な声で年号を書き連ねる中、俺は眠気と戦いながらノートを取っていた。
前の席に座っているのは、学園トップクラスの美少女と名高い四ノ宮沙蘭だ。
彼女の背筋はピンと伸びており、板書を写す手元にも一切の隙がない。やはり、学校で「高嶺の花」と呼ばれるだけのことはある。昼休みに窓際で俺を見つめながらブツブツと呟いていたのとは打って変わって、完璧な優等生の姿だ。
――コトッ。
静かな教室に、小さな音が響いた。
見ると、沙蘭がふとした拍子に机から消しゴムを床に落としてしまっていた。
消しゴムはコロコロと転がり、俺の机のすぐ横で止まった。
彼女は自分の落としたものに気づき、ハッとして身を乗り出そうとするが、長い黒髪を気にしているのか、少し取りづらそうにしている。
「はい、これ」
俺は足元に落ちていた消しゴムを拾い上げ、彼女の方へと差し出した。
微かに、石鹸のような清潔な香りが漂う。
「落としたよ、四ノ宮さん」
「あっ……」
普段はクールで隙のない表情を崩さない彼女が、俺から消しゴムを受け取った瞬間、その反応は予想外のものだった。
ビクッと肩を震わせたかと思うと、透き通るような白い頬が一気に林檎のように真っ赤に染まったのだ。
彼女は消しゴムを両手でギュッと握りしめ、うつむき加減で震える声を絞り出した。
「あ、ありがとう……ございます……っ」
それは、誰もが振り返る孤高の美少女とは思えないほど、初々しく、どこか怯えた小動物のような反応だった。
俺は少し驚きつつも、そのギャップを好意的に受け止めていた。
(なんだ、クールに見えて、意外と可愛いところがあるんだな)
男子に話しかけられることに免疫がないだけなのだろうか。
いずれにせよ、転校してきて数日の俺にとって、クラスメイトの意外な一面を見られたのは少し嬉しかった。




