第10話 禁書『桃源聖交録』
「…………終わった」
冷たい玄関の三和土にへたり込んでいた俺は、ふらつく足取りで二階の自室へと逃げ帰った。
ベッドに倒れ込むと同時に、震える手でポケットからスマートフォンを取り出す。
以前、検索しようとしてやめた、あの言葉。
ブラウザの検索窓に『桃源交霊会』と入力し、今度こそ検索ボタンをタップした。
画面に表示された検索結果の羅列を見て、俺は息を呑んだ。
トップに躍り出てきたのは、目を疑うようなゴシップ記事の見出しだった。
『栗ヶ丘市の闇!怪しい儀式の噂、伝説のセックス教団がついに摘発か!?』
『信者は教祖に体を捧げると救われる?桃源交霊会の実態に迫る』
『前教祖、信者から数千万円を騙し取った詐欺容疑で逮捕!』
「っ……!!」
俺は言葉を失った。
伝説のセックス教団。
信者は教祖に体を捧げると救われる。
前教祖は詐欺事件で逮捕。
画面をスクロールするたびに、目まいがするようなパワーワードが次々と飛び込んでくる。
地下室での異常な出来事が、すべて一本の線で繋がった。
あの女たちが突然服を脱ぎだしたのも、信じられない量のコンドームがロット買いされていたのも、そういうことだったのだ。
俺はオヤジの気まぐれで、とんでもない倫理逸脱組織(しかも性的な)のトップに据えられてしまったのである。
「ふ、ふざけんなっ……!」
俺はすぐさま通話アプリを開き、税理士の白石莉乃の番号へ発信した。
数回のコールの後、一切の感情を感じさせない冷徹な声が響いた。
『はい、白石です。伍東代表、休日に何かトラブルですか?』
「トラブルどころじゃないですよ!白石さん、知ってたんですか!?この『桃源交霊会』が、詐欺で逮捕された前教祖のいる、伝説の、その、あの……いやらしい教団だってこと!」
俺が声を荒げて抗議すると、電話の向こうの白石さんは、わずかに息をついただけだった。
『ええ。前代表が色々とありまして、とお伝えしたはずですが』
「色々とありすぎだろ!性的なカルト宗教の代表なんて冗談じゃない!今すぐ辞任します!警察に行ってもいい!」
『おすすめしませんね』
白石さんの声は、絶対零度のように冷たかった。
『だから以前も言ったでしょう。今すぐ代表を辞任して法人を放り出せば、不審な団体として税務署や警察が即座に動く。その際、責任は全て現在の代表役員である「あなた個人」に降りかかると』
「そんな無茶苦茶な……!買ったのはオヤジだぞ!」
『ですが、登記上の代表はあなたです。警察が踏み込めば、真っ先に連行されるのは伍東奏多、あなた自身です。高校卒業どころか、人生が終わりますよ』
「…………っ」
反論の言葉が見つからなかった。
辞任すれば、俺が詐欺とカルトの教祖として逮捕される。
逃げ道は、完全に塞がれていた。
『大丈夫です。前にも言いましたが現在は休眠状態ですから、何もしなければ実害はありません。それでは、失礼します』
ツーツーツー……。
『おい待て!休眠なんかじゃ……』
無情な電子音が、俺の絶望を煽るように鳴り響いた。
スマホを取り落とし、俺はベッドの上で頭を抱えた。
(オヤジ……節税目的だかなんだか知らないが、よりによってこんな爆弾を買うなよ……!)
ギリッと奥歯を噛み締める。
だが、嘆いてばかりもいられない。
先ほど、あの狂信的な信者の代表格・四ノ宮妙子が、玄関で言い残した言葉を思い出した。
『教義の詳細は、禁書『桃源聖交録』をお読みくださいませ。あそこに、我々が桃源郷へ至るためのすべてが記されております』
敵を知り、己を知れば百戦危うからず。
この狂った教団から身を守るためには、奴らの思考回路の根源であるその『禁書』を読み解くしかない。
俺はベッドから跳ね起きると、一階へと駆け下りた。
居間、キッチン、そしてあの不気味な地下室へと続く本棚の周辺。埃を被った段ボール箱や引き出しを、片っ端からひっくり返していく。
やがて、本棚の最下段にある隠し戸棚の奥から、厳重に風呂敷で包まれた古びた和綴じの本を発見した。
「……これか」
表紙には、禍々しい筆文字で『桃源聖交録』と記されている。
俺はゴクリと唾を飲み込み、震える指でその禁書のページを開いた。
『人が現世の苦しみから抜け出し、永劫の楽園(桃源郷)へと辿り着くための三段階の道徳』
冒頭には、いかにも宗教らしい仰々しい前上が書かれていた。
読み進めていくと、その三段階のシステムが事細かに記されている。
【第一段階】 至誠捧呈
『教祖に対して自らの誠意を証明する唯一絶対の手段は、自らの肉体、とりわけ「純潔(処女)」という人生で一度きりの至誠を捧げることのみとされる』
「っ……!」
処女を捧げる。その文字を見た瞬間、全身の毛穴が開くような悪寒が走った。
あの女たちは、これを本気で信じて俺に迫ってきたのか。
【第二段階】 八百万交和
『教祖という絶対的な中心(太陽)を囲み、多くの信者が次々と身を捧げて交わることで、互いの霊気が巡り、至高の調和が生み出される。一人でも拒めば輪は乱れ、全員が桃源郷へ行けなくなる』
「なんだこのシステム……!」
信者同士で身を捧げることを強要し合う、恐怖の同調圧力じゃないか。
そして、最後のページに記されていたのは。
【最終段階】 桃源郷の開顕
『至誠を捧げた信者たちが霊気を高め合い、教祖との交合を通じて絶頂を迎えた瞬間、現世の肉体という檻が弾け飛ぶ。その時、信者たちの魂は永劫の快楽と救済の地、桃源郷へと一新される』
俺は頭をかきむしった。
もっともらしい宗教用語で飾られているが、こんなものは教義でもなんでもない。
「ただの……教祖が信者を洗脳して、セックスを楽しむためのマニュアルじゃないか……!!」
そのあまりにも身勝手で下劣な実態に、俺は怒りと恐怖で全身を震わせた。




