2-21
女型の化け物は、バタバタと手を動かしてエニシとの距離を詰めた。
「キキ、キャキャキャ!」
それは化け物らしく、甲高い鳴き声を上げる。
振り上げられた鎌の先が、エニシの刀とぶつかる。
その金属音は、氷に反響して氷床を揺らす。
「むむ……!」
エニシは唸った。
受けきったにも拘わらず、その胴は粗雑に千切れた。
女型の化け物は間髪入れずにエニシの上半身を掴み、鎌の先を脳天へ振り下ろす。
「かか、愉快愉快!」
千切れたエニシの下半身が、独りでに地面を蹴った。
それは女型の化け物の顎へ、踵を滑らせる。
ドロンとエニシは消え、次に現れた時には上半身と下半身は繋がっていた。
「”斬るろう”」
エニシは刀を振り抜いた。
「ギッ……」
たった一振り。しかし、女型の化け物は砂のように斬り刻まれた。
だが、風に乗った体は渦を巻き、再び元の姿を形作る。
「ふふ、良きかな良きかな。確殺の斬撃をいなすとは……お主の命は、幾つあるのかのう」
確殺……それがエニシの能力なのか?
「キキキキャアアアアア!!」
女型の化け物が叫ぶ。その大口から、雪崩の如く鋼の荊が噴き出した。
触れれば、一瞬で肉片になるだろう。
それに対して、エニシは刀の柄を口元に当て、切先を真っすぐ前へ向けた。
「”法螺ぶき”」
刀の峰を走らせるように息を吹く。
それは吹雪となって、鋼の荊を凍り付かせた――かに思えた。
鋼の荊は物質をすり抜け、構わずエニシへ向かう。
ドロン――エニシは即座に背後へ飛んだ。
その瞬間、女型の化け物の背骨が、噛みつく蛇の如く跳びかかり、エニシの腹に風穴を開けた。
背骨は黒い火花を上げて爆発し、エニシごと氷床のほとんどを消し炭にする。
「アラタはん、はよ逃げなっ!」
うずくまった俺を、ジェラコが必死に引きずって行こうとする。
その脇には、吹き飛んだ俺の左腕を抱えている。
それでも俺は、化け物共の決着を見届けたかった。
「しし、感服感服。儂の術が尽く通用せんとはのう」
やはり、エニシは死んでなどいなかった。
いつの間にか氷塊の頂に腰掛け、まるで他人事のように嗤う。
「エニシでも勝てないか。まさか、アラタが”アレ”に頼るとは想定外だった」
オワリが憎たらしく語る。
「アレがなんなのか、知っているのか?」
「もちろんだ。アラタを境界技研に引き入れたのは、この私だからね」
キュウスイの問いを濁すことなく、オワリは答えた。
「もう飽きた。去ぬぞオワリ、キュウスイ」
エニシが空を斬ると、そこに黒い裂け目が現れる。
『ちょ、え? あれ、別の異世界と繋がっちゃってますよ!』
イグルが慌てふためく。
イヤホン越しに、キーボードを叩く音が鳴りやまない。
「かか、さればよさればよ。殺意を魅せねば動かぬか」
エニシは、既に見破っていた。
女型の化け物は、立ち去るだけのオワリたちへ見向きもしない。
「……オワリ、答えろ。壊した世界は、元に戻せるのか!?」
オワリには逃げられる。それは受け入れよう。
この世界は救えた。あとは、ロウラの世界を取り戻す方法が必要だ。
「何を甘いことを言っているんだ。消えた世界は二度と戻らない。それがこの世の理だ」
そう言って、オワリは氷河中に響き渡るほど大きく笑い続ける。
答えは最初から分かっていた。それでも、たとえ敵にだって縋りたかった。
俺は……ロウラにどう報いればいい?
「折時アラタ!」
不愉快な笑い声を掻き消す叫びが、俺の顔を上げた。
「これは、嘘だ」
キュウスイは、真っすぐ目を合わせて言いきった。
「探偵として断言する。僕は、嘘を見抜けなかったことは一度もない」
分からない。どう受け取ればいい?
それ自体が、俺とロウラを腐らせないための嘘かもしれない。
だが俺は、キュウスイも主人公の一人であることを思い出す。
「……探偵が、嘘をつくはずがない」
これは、希望だ。
「キュウスイ、君はまた余計なことを……」
「すまない。だが、探偵の前で嘘をつく方が悪い」
「全く……食えない奴だ」
そうして二人は、次元の裂け目へ姿を消す。
「また逢おう」
エニシはこちらを向かずに言い残し、二人の後を追った。
「はよ転移してや! アラタはんが死んでまうで!」
「ジェラコ……腕返せ」
「はぁ!?」
俺は強引にそれを奪い取り、左の肘に押し当てた。
「何やってんねん! はよ……あ、あぁ……」
ジェラコは、俺に近づく女型の化け物に気が付いた。
僅かに躊躇した後、俺を残して凄い速さで後ずさる。
そいつは、ゾンビみたいな顔を俺に近づけて囁く。
「コノ世界ハ、違ウ、ネ?」
「……あぁ、違う」
「早ク、君ノ世界ヘ、行コウ?」
「ダメだ」
「一緒ニ、死ノウヨ。ミンナデ死ノウヨ。キット楽シイヨ?」
「そう、かな?」
「ソウダヨ。連レテ行ッテ。ワタシヲ君ノ世界ヘ」
「俺は……」
俺は、何をしてたんだっけ?
『アラタさん! 返事してください!』
耳元で聞こえるこの声は、誰だっけ?
「ア、アラタはん、こっちきいや! 化け物に喰われてまうで!」
後ろで聞こえる声は、誰だっけ?
「君ノ左手デ、マタ一緒ニ、行コ?」
そうだ、俺は俺の世界にもどらなくちゃ。コイツを連れて行くんだ。
それで、世界を。
「――アラタ! 私はあなたを愛しています!」
忘れてしまったはずの声が、記憶の中で響く。
「一緒ニ、イコ?」
「気持ちわりぃこと言ってんじゃねーよ」
全部思い出した。馬鹿みたいに走り回る無邪気なロウラが、朦朧とした俺の意識を撹拌した。
「そんなに連れてって欲しいなら、お望み通りにしてやるよ」
俺は右手で左手を支えながら、女型の化け物へ突き出す。
「ヤメテ! ヤット自由ニナレタノニ!」
「掴んで離さねぇよ。お前は一生、俺の手の平の中だ!」
俺は必至に左手の指を曲げて、手の平を握り込もうとする。
この場から逃げ出そうと暴れる女型の化け物は、体の端から黒い塵になって俺の左手に吸い込まれていく。
「嫌ダ! 嫌ダ! 嫌ダ! 嫌ダ! 嫌ダ! 嫌ダ! 嫌ダ!」
何度化け物がそう叫んでも、何も変わらない。
全ての塵が収束したとき、俺は左手を閉じだ。
「はぁ、はぁ……」
「ななな、何やったんや!? てか、何で手ぇ動くん!? 何でくっ付いてるん!?」
ジェラコの疑問はもっともだ。でも、答える気力がない。
『すぐにこちらへ転移させます!』
「待って、くれ。ピュナの所へ、俺を送ってくれ」
『血を流し過ぎです! 死んじゃいますよ』
「……頼む」
『ダメです。転移させます』
「イグルっ、あと5分でいい。俺に時間をくれ」
『……分かりました。バイタル次第では、無視して転移させますからね!』
「ありがとう……」
俺とジェラコは、再び船の上へ戻る。




