2-20
「さッ……むくないな」
様変わりした景色は、曇天の氷河。
吹き付ける風は一瞬で生物を氷結させる。
だが、着込んだ燕尾服は元の世界で用意したもので、体温調整機能が備わっている。
そのお陰で厚着でなくとも、丁度良い心地だ。
『言っときますけど、むき出しの部分はこっちで調整してあげてますからね』
イグルがムスッとした声で捕捉した。
顔面が凍らないのは、肌に触れる温度を世界に干渉して調整しているからだ。
『……見つけました。約4キロ先に人間の生体反応が二つ。そこにオワリがいます!』
そう聞いて、俺はジェラコの肩を持った。
「手筈通りに頼むぞ」
「あぁ、分かっとる」
短くやり取りし、俺たちは紫色の光に包まれる。
次に目の前にするのは――。
「また会ったな、オワリ!」
俺は氷塊の中腹に立つ、オワリとキュウスイの姿を見上げて言った。
「……アラタか。来るとは思っていたさ。なぁ、キュウスイ」
オワリに驚きはない。キュウスイが事前に伝えていたのか、それとも彼の単独行動から察していたのか。
「【主人公は、問答無用に愛される】!」
ジェラコが宣言する。洗脳の先制攻撃だ。
だが、当然それは通用しない。
「分かっているだろ。私には通用しない」
オワリは溜息をついてから、宣言する。
「【探偵は、決して被害者とならない】」
主人公補正は、意識するだけで発動できる。
なんなら、常時発動させ続けることも可能だ。
事の起きる事前や事後で、俺たちがわざわざ主人公補正を口に出して宣言するのは、その効力と精度を維持し続けるためだ。
「やっぱり、洗脳は”被害”と捉えられるか……」
ここまでは想定内。
目的は、オワリに主人公補正をハッキリと宣言させること。
世界に干渉する明確な意思表示は、強い証跡を残す。
『最後の解析が終わりました! ”必殺技”行きます!!』
”被害”の想定範囲。それを知る必要があった。
その解析を、イグルはたった今終えたのだ。
途端、オワリの胸を円柱型の何かが貫いた。
「なっ……これは……!」
オワリはそれを掴もうとする。しかし、その手はすり抜けてしまう。
円柱は物質ではない。プログラムコードが刻まれたブロッカーだ。
『更にもう一発!!』
二本目の円柱が、オワリの腹を貫いた。
「そいつは、危害を加えるものじゃない。お前を守るためのものだ」
オワリの持つ主人公補正の存在を、ウィルスと判断して凍結させる。
それがイグルの必殺技。
「これでもう、お前は主人公補正を使えない!」
「面倒なことをしてくれたな……、アラタっ!」
これでオワリは、普通の人間と変わらない。
あとは奴を拘束して元の世界へ連れて帰れば――。
「まだだ」
声は聞こえなかった。でも、キュウスイの唇がそういっているように動いた。
膝を付いたオワリの背後で、氷塊にピシリと亀裂が入る。
良く見ると、氷塊の中で何かが凍っている。
「これが……本物の竜」
映画や漫画で見たままの、俺の想像する竜がそこにいた。
棘棘しい鱗を纏った巨大なトカゲに巨大な翼。
ギョロリと見開かれた目玉が、亀裂の陰に見える。
だが、オワリの主人公補正は凍結させた。本物の竜が復活することはない。
俺は、キュウスイが視線を上に向けたのに気が付いた。
氷塊の頂。そこに、化け物はいた。
戦国の武士を思わせる甲冑。そして腰には長い刀。
下顎は髑髏。左目の眼球は存在せず、同じく白い髑髏がむき出しになっている。
長い黒髪は針金のように固く、幾つもの毛束が風に靡く。
火の玉……いや、魂のようなものが周囲を飛びまわり、体に纏わりついている。
こいつが、水鏡エニシか。
『気を付けてください。そいつ、生体反応がありません!』
イグルの警告と共に、俺はジェラコの方へ向いた。
「やれ、ジェラコ!」
「あいよ! 【主人公は、問答無用に愛される】!」
人間でなかろうと、生き物ですらなかろうと、心があれば愛の洗脳は有効だ。
「ああ、愛おしい愛おしい」
エニシは、無機質に繰り返した。
「エニシ、まさかあいつらを見逃そうなんて言うまい?」
オワリは胸を押さえたまま、エニシに問う。
「はは、まさかまさか。愛した者は、一人残らず斬り捨ててきたわ」
エニシは、鞘から刀身を僅かに見せた。
ただそれだけで、風が大地を断つ。
「なっ!? これ、ヤバいんちゃうか!?」
ジェラコのすぐ横を、見えない斬撃が駆け抜ける。
分厚い氷床は、始めからそうであったかのように二分し、氷河全体の軋む音が響き渡った。
「【主人公には、決して弾は当たらない】」
反応する暇もなかった。
俺は出遅れて、主人公補正を宣言した。
「くく、面白い面白い。儂が斬ると決めて斬れなんだは初めてじゃ」
エニシは上唇だけで不気味に笑う。
「どうすんねん、どないすんねん! あんなん勝てるわけないやん!」
ジェラコは俺の頭を鷲掴みにして左右に揺らしながら喚いた。
「落ち着け! 俺に手が――」
言い切る前に、ドロンと音を立ててエニシが眼前に迫る。
まるで陰囃子が鳴ったように、本当に”ドロン”と姿を現した。
足を広げ、腰を落とし、刀に手を掛け、今にも抜こうとしている。
狙いは――ジェラコだ。
「あっ」
ジェラコは息を呑んだ。
死を覚悟する間もなく、それが訪れると確信したのだ。
「――左を持ってけぇぇぇ!!」
俺が叫ぶと、ヒンと小さな音が左の蝸牛を震わせた。
真上へ抜かれた刀は、ジェラコではなく俺の左腕の肘から先を吹き飛ばす。
そのまま斬撃は、曇天を裂いた。
エニシは再びドロンと音を立てて消えた。
一瞬にして、数メートル先にその姿を現す。
「むむ、不可思議不可思議。まるで籠手を掴まれたようじゃ。斬るつもりもない物を斬ってしもうた」
近接攻撃は、俺の主人公補正では避けられない。
どうしても奥の手が必要だった。
「アラタはん……、何が起きてるんや。それ、何なん……?」
ジェラコは俺の背後を見上げて、腰を抜かした。
「はっ、久しぶりに見たぜ。その薄気味悪い姿」
左腕を失ったことで現れたそいつに、俺は嫌悪感をぶつけた。
全長4メートルはある女型の巨体。薄汚れた包帯が全身を覆い、ボロボロのケープが瘴気のように揺れる。
爛れた四本の腕は関節を無視して曲がり、二つの手はその巨躯に負けない程大きな黒い鎌を抱えている。
更に二つの手は、その全身を支えるために氷床を掴む。
そう、この化け物には下半身がない。
むき出しの背骨の先は尖り、氷床に突き刺さっている。
「ほほ、怖い怖い。まるで死神。これは骨が折れそうじゃ」
エニシは、ゆっくりと刀を立てて構えた。




