2-19
そんな魔法とは関係なく、正真正銘重力のままに落下する者があった。
それはピュナと俺の僅かな距離の間に穴を開けた。
「きゃっ!」
甲板の木片が轟音と共に飛び散り、ピュナは尻餅を突いた。
「お嬢!」
真っ先にジェラコが駆け寄る。
「な、なんだ!? 何があった!?」
偽の竜の攻撃は止んでいない。
次から次へと降り注ぐ光線を逸らすため、俺はその場を動くことができない。
だから少しだけ首を曲げて、背後へ目線を向ける。
穴の縁に、手が掛けられた。それは片腕だけで体を持ち上げて、穴から飛び出る。
「驚かせましたか? あの化け物に吹き飛ばされてしまいまして……」
そこには、息を整えながら話すロウラの姿があった。
「ロウラ! 大丈夫なの!?」
ピュナがその身を案じる。
「えぇ、大丈夫。内臓と……恐らく骨をいくつか。頭と心の臓、脚は無事です!」
ロウラは血を吐きながら、満面の笑みを浮かべた。
そして、再び駆けだそうとする。
「待って! その体では無理よ!」
「……ピュナ、見ていましたよ。あなたの魔法」
そう言って、ロウラは足を止めた。
「奴らは怯えています。ピュナの魔法を見て……もしくはその魔力に当てられて、泣き始めました。ほら、聞こえませんか?」
確かに聞こえる。「おっおっ」と騒めくように。
「今こそ勝機! 止まるわけにはいきません!」
「ダメッ、待ってロウラ!」
ロウラは跳んだ。いや、跳ぼうとした。
しかし、何かに躓いたように全身を床に打ち付けた。
「ぷべっ!」
可哀そうな声が短く響いた。
その体は、例の薄いピンク色の泡に包まれている。
「ごめんなさい、ロウラ。こうでもしないと、あなた本当に死んじゃう」
恋の魔法による足止めだ。
しかし、痛めた内臓と骨は、今の衝撃でさぞ響いただろう。
間抜けな声を上げるだけで済んだのは、それが”ロウラだから”に他ならない。
「お嬢、今の……呪文唱えてませんでしたけど」
「あれ? そうね。なんだか分からないけど、できちゃったわ」
流石主人公。つい先ほど、人生で初めての魔法を使ったばかりなのに、既に無詠唱とは恐れ入る。
「ピュナ! こいつらを全員、潰すことはできないか!?」
俺はピュナたちを現実に引き戻す。
先の様子を見る限り、複数の相手に対して同時に魔法をかけることができそうだ。
しかし、問題は幾つもある。
まず、敵の数と大きさ。小さな個体を相手取るのとはわけが違うだろう。
更に、偽の竜には驚異的な再生能力が備わっている。
完全にすり潰しでもしない限り、死なない可能性もある。
ピュナ一人で、それが可能なのか。
もし無理なら、それこそ満身創痍のロウラの力も借りなければならない。
「できる気がします。ふふ、だってわたくしは、由緒正しきロロナルタ家の令嬢――ピュナーク・ノノ・ロロナルタなのだから!!」
もはやピュナにのしかかるプレッシャーなど存在しない。
あるのは、圧倒的な自信。そして――。
「ロウラが騎士なら、わたくしは偉大な大魔法使いよ!!」
お互いを高め合う友への信頼。
「一途な愛に浮き立つ心は、積雲を越えて――浮遊する恋!」
その呪文は、重なって聞こえた。
魔力を震わせて発した音。それに加えて、ピュナは全力で腹の底から呪文を発声した。
「これが、魔法? こんなのは初めてだ」
ヒュリューカが空を見上げて声を漏らした。
空に広がる光景を見て、ブラニュートとルーパの顏にも生気が戻る。
「やっぱり主人公は、こうでなくっちゃな」
俺は眼前に立て続けた右手の人差し指を下ろした。
主人公補正はもう必要ない。
空を覆い尽くした黒い影たちは、尽くピンク色に染まる。
ハート形の泡の中で「おっおっ」という声が反響し、徐々に大きくなっていく。
その泡は西日に照らされて強く輝いた。
それは連鎖し、波紋のように広がって、空に光の結晶を形作る。
「さようなら、ごきげんよう。もう帰ってこなくてもいいわよ!」
ピュナがそう叫ぶと、ハート形の泡は天高く舞い上がって行く。
それは雲を越え、視界から消えるまで止まることはなかった。
宇宙空間で生命活動を維持できる生物はほとんどいない。
魔力という科学の外にある力を以てすれば可能かもしれないが、それは奴らがこの星に戻ってこられる保証にはならない。
「ピュナの魔法は、とても綺麗ですね」
倒れたまま、ゴロンと仰向けになったロウラが呟いた。
「あぁ、綺麗だ。これが”魔法陣”の代わりだな」
ピュナが見たかったと言っていた、竜星祭の魔法陣。
空高く、大気圏の外まで舞い上がる恋の魔法は、きっと竜星祭のそれとは比べ物にならない程美しいに違いない。
「よかった……アラタ様と一緒に……見ることが、できて……」
「お嬢! しっかりしい!」
杖を振り上げて、軽く反り返ったピュナの体は、ゆっくりと背中から倒れた。
それを透かさずジェラコが支える。
「ピュナ!」
痛みに耐えながら、ぎこちなく体を起こしたロウラも駆け寄った。
「大丈夫ですわ……。きっと魔力が尽きたのね」
ピュナは疲れ切っているが、意識はある。自己分析ができるほど頭は回っているようだ。
「無茶をしましたね」
「あなたに言われたくないわ……」
ロウラとピュナは、手を握って微笑み合った。
「魔力ってのは、使い切っても大丈夫なのか?」
「良くはないけど、まぁ、休めば大丈夫や。ホンマ……ホンマによかった……」
ジェラコは俺の問いに答えるや否や、ペタリとへたり込んで息を漏らした。
『アラタさん』
イグルが俺を呼んだ。
時刻は15時53分。もうこんな時間か。
偽の竜と戦い始めて、まだ1時間も経っていない感覚だ。
死の間際に見る走馬灯と違って、死線において生に執着する人間の感覚は加速するみたいだ。
「ジェラコ、次の戦いだ」
「……休憩もなしかいな」
世界は救われた。でも、それは俺たち次第。
本物の竜まで目覚めてしまったら、再びこの世界は窮地に陥る。
何としてでも、オワリを止めなければならない。
「ジェラコ、どこへいくの?」
「ちょっと悪い奴を倒してきます。必ず帰ってきますから、待っといてください」
名残惜しそうに、ジェラコはピュナの側を離れる。
「アラタ、私も行きます」
「無理に決まってるだろ。そんな体じゃ足手纏いだ」
「そんなことを言われると、ますます燃えてしまいます」
俺は吹き出して笑った。
別にロウラを馬鹿にしたわけでも、呆れたわけでもない。
彼女の無謀な信念と優しさが、あまりにも真っすぐに俺へ突き刺さったからだ。
「今度は、俺が無茶する番だ」
そう言うと、ロウラは諦めて視線を落としてから頷いた。
ようやくロウラは引いた。上辺だけでなく、本当に俺を信頼してくれたのだと好意的に受け止めよう。
「イグル、頼んだ」
『了解です。いいですか、座標移動は二度行いますからね』
一度目はキュレア氷河へ。
そこで周囲の生体反応をチェックし、二度目の座標移動でオワリの元へ。
『それでは、行きます!』
2ラウンド目のゴングは鳴った。




