2-17
――そもそも、偽の竜は人類の敵なのか?
根拠はない。でも、少なくともここにいる全員が、戦うことを選んだ。
その不気味な様相からは、愛を感じない。きっとそれは、この世界の人間も感じていることなのだろう。
そして今、皆の選択が正しいことが証明された。
「オッ、おッ、おっ、殺さ、オッ、なくちゃ、全部、殺そっ」
脳に届く低い声。それは呪文と同じ、魔力を震わせて発した音に違いない。
明らかな殺意――それは一瞬で、全員の背筋を凍らせた。
裂け目から最初に姿を現したのは、二本の太い触手。
それは強引に人間の首を引き延ばしたかの如く、皮が張り、血管が浮き出ている。
その先端に貼り付けられたような人面は、歯をむき出しにして目を見開いていた。
それが全身を現す前に、砲撃の一斉射撃が空気を揺らす。
爆炎に混じって耳を劈くのは、まるで人間の悲鳴。
数分にわたる砲撃が止むと、次第に煙が散って行く。
伸びていた触手は跡形も無く消し飛び、その根元だけが無残な形で残された。
「ふん、竜といってもこの程度か」
ヒュリューカが鼻で笑う。
残念ながら、それはフラグってやつだ。
「待ってください、まだ動いてます! 本で見た通りの姿だぁ!」
ルーパが欄干から体を乗り出して叫ぶ。
巨大な昆虫の脚が、割れ目から飛び出して地面に突き刺さる。
地表に現れた胴体と尾は、絵画で見た通りだ。
目算だが、胴体だけで全長50メートル以上はある。
「再生……してる?」
誰かが言った。
吹き飛んだはずの二本の触手が、ぐちゃぐちゃと音を立てて、再び長く伸び始めた。
「魔法を放て!」
ヒュリューカの合図と共に、ありとあらゆる攻撃魔法がまばゆい光を放つ。
小刻みに聞こえる、風を切る音。不快感を募らせるそれは、巨大な体を浮かび上がらせた。
甲殻は全ての魔法を弾き飛ばし、傷一つ付かない。
比較的防御力の低そうな後ろ羽根には、それ自体が引き起こす突風の所為で魔法が届かない。
ダメージを与えられたのは、海ブドウのような尾と長い首。
魔法を受ける度、紫色の液体を散らす。
「砲撃に切り替えろ! 胴を狙うぞ!」
ヒュリューカの判断は間違っていないと思う。
強い衝撃を伴う砲撃であれば、硬い甲殻を破れるかもしれない。
しかし、攻撃手段を切り替える瞬間、魔法攻撃が止んだ僅かな時間で、偽の竜は驚異的な速度で触手を再生させた。
「おっ、ぱっ、死んで、ねっ」
触手の先で嗤う人面が、大口を開けて光線を放つ。
左の船は燃え上がり、右の船は船体が割れて落下してゆく。
たった一度の反撃で、俺たちは三分の一の戦力を失った。
「【主人公には、決して弾は当たらない】!」
人面がこちらへ視線を移すのと同時に、俺は宣言した。
再び放たれた二本の光線は、いずれも俺たちの船を狙ったもの。
船首に限りなく近い場所にいる俺を避けるように、光は船の端を貫通した。
どういう仕組みでこの船が飛んでいるのかは知らない。
だが、少なくとも帆は無事だ。多少傾けど、落下する様子はない。
「ロウラ……!」
俺は咄嗟に叫んだ。
それは、彼女を引き留めるための叫びだったが、本人がそう受け取るはずもない。
「いざ!」
ロウラは跳んだ。その衝撃で、船首が割れるほど強く。
そして、二本の触手の間に剣を突き立てた。それを弾くようにして、剣を振り上げる。
「キゃあああああああああああああ、おっ、キッ」
偽の竜は再び悲鳴を上げた。
再生できても、痛みを感じているのなら死ぬはずだ。
偽の竜は体を大きく揺らし、旋回しながらロウラを振り落とそうとする。
ロウラは上手く体をひねり、その全身を走りまわった。
その都度、剣は偽の竜の体を刻んでいく。
噴き上がる紫色の血飛沫が、鳴りやまない悲鳴と共に大地へ沁み込んだ。
ロウラが握っているのは、何の変哲もない剣だ。幾度も肉を斬れば、あっという間に鉄の棒と化す。
だが、絶え間なく噴き上げる血飛沫を見れば、それが剣としての役割を失っていないことが分かる。
刃を通す場所、角度、速さ――それら全てが、驚くほど緻密で繊細にコントロールされている証拠。
それほどの境地へ達するのに、どれほどの努力が必要だっただろうか。俺には想像することもできない。
「す、凄いな……まさかここまでとは……」
かつてロウラに敗れたブラニュートが、その様を見て感嘆する。
「ロウラ……」
その後ろで、ピュナは両手を握り合わせて祈っている。
皆がロウラに見惚れている中でも、偽の竜の動きに注視し続ける者はいる。
「あ、あれ……、あれを見てください!」
ルーパが声を上げて指を差した。
悶え続ける偽の竜が、激しく尾を振り始めた。
その尾に、数え切れないほど密集した円形の肉。それを割って、小さな蟲が空へ舞う。
小さいと言っても、牛ぐらいの大きさはある。
それが一斉に飛び立ち、空を覆った。
「竜の子供!?」
ルーパは驚いて尻餅を突く。
新たな敵の姿は、本体とはまた異なる。
蜂に似ていると言えなくもない。ただし、突出した眼は人間の眼球にしか見えない。
また、大量の脚がイソギンチャクのように、ぬらぬらと揺れている。
「魔法で迎撃しろ! 船に近づけさせるな!」
ヒュリューカも呪文を唱えて杖を振り、小さな化け物を退けようとする。
そいつらは魔法で簡単に潰れた。
だが、方々で呻き声が上がる。
「うぐあああ……熱い……痛いっ……!」
紫色の血を浴びた兵士が、転がってのた打ち回る。
「酸性の血か……?」
「違います。これは毒だっ!」
そう言って、ブラニュートとルーパが後ずさる。
「お嬢、アラタの側へ!」
「は、はいっ!」
ジェラコがピュナを安全な場所へ誘導する。
飛び散る毒の血液は、遠距離攻撃であると認識できる。
そうなると、最も安全なのは俺の陰だ。
「ロウラは……兵士が耐えられない程の痛みの中で戦っているんですね……」
ピュナが俺の脇に掴って言った。
そうだ。ロウラは偽の竜の返り血を浴び続けている。
同じ毒が含まれているのだとすれば、激痛に耐えながら剣を振っていることになる。
「……大丈夫。ロウラは大丈夫だ」
落雷の直撃を受けて、ものともしない奴だ。きっと、大丈夫。
俺は自分自身に言い聞かせるように何度も繰り返す。
直後、ロウラは俺たちの不安を察したかのように、圧倒的な強さを見せつけた。
小さな化け物を足蹴にし、空中を飛び跳ねる。
その軌道を、偽の竜は追いきれない。
触手の肉は切り取られ、遂には皮一枚残した所でポキリと折れた。
羽根の根元は抉られ、巨躯は重力のままに落ちていく。
幾度となく突き刺された脚の関節は、脚を繋ぎ留められずにバラバラに散る。
ズシン……と、台地が揺れる。
横たわった偽の竜の上で、ロウラは静かに剣を掲げた。
「はは、ロウラの勝ちだ……!」
俺は安堵のあまり、ピュナの体を抱き寄せた。
ピュナは頬に涙を伝わせながら、ロウラの無事を喜ぶ。
しかし、次の瞬間――。
台地の根元から複数の光の柱が空を突いた。
巻き込まれた二隻の船が、炎を上げながら視界から消える。
俺は何故、偽の竜が一体だけだと思い込んでいたんだ。
光線により赤く焼けた穴から、更に二体の偽の竜が地表へ這い出てくる。
光の柱は台地を中心に次々と空へ上る。
それは、地平線まで続いた。




