第2話 夢見人
「ここが、カウニータ・ウニア……」
そのあまりに美しい、現実離れした風景に思わず声が出た。レーヴェでも雪が降ることはあったが、私のいた地域には、ここまで降り積もることはなかった。
街は色鮮やかで賑やかな雰囲気を感じられる一方、雪の降り積もるその景色はどこか切なさを帯びていた。それは今が夜だからなのだろうか。
ひとまず、船を停めて上陸しようと、港を探してみたが、それらしきものは見当たらず、少し離れた場所に、誰もいない静かな砂浜があったので、そこから上陸することにした。必要最低限の荷物を砂浜へ投げ飛ばし、甲板から砂浜の方へ向かってジャンプした。そのとき足にかかった潮水が、ジワジワと足の傷口を痺れさせた。あまりの痛さに、一瞬顔を顰めてしまった。それまで、自分の足がこんなにも怪我をしているとは気づかなかったから、それに気づいた瞬間、ドッと今までの悲劇が思い出され、胸が締め付けられた。
砂まみれになった荷物を背負い、何かを求めて歩き出す。それが人なのか食べ物なのか家なのかはわからない。ただ、何かを求めて歩き続けた。
砂浜の近くには小川が流れており、それに沿って歩く。人はだれもおらず、時々木々の分かれ目から小動物がこちらへ顔を出す。この葉の隙間から差し込む月だけが、私の足元を照らしている。ときどき雪のせいで足を滑らせ、川へ足先が滑る。それを流れる水の冷たさが、この絶望が夢でないことを自覚させた。
さらに進むと、少し開けた場所に出た。そこには雪に覆われた大地が広がっており、その隅に、一軒の家がポツリと立っている。木で建てられた、かなり古い家。もう何年も手つかずで、人が住んでいそうな雰囲気は感じられない。それでも何か手がかりがあるかもと、朽ち果てたその扉に手を掛けた。
『ギギギィ』
壊れないようにゆっくり扉を開ける。木で作られた腐った扉が、その破片をパラパラと散らしながらゆっくり開いた。その中は予想通りの汚さであった。ベッドや机など、家具はそのままにしてあるが、もう使えそうにもない。二階があり、階段からそこに上がれるようになっている。
「ゴホッ、ゴホッ」
酷い埃だ。何年どころか何十年、もしかしたらそれ以上、誰にも気づかれていないのではないだろうか。今にも壊れそうな階段に足をそっと掛けながら二階へ向かってみると、そこには大量の本が保管されていた。もともとこの家に住んでいたであろう人は、かなりの読書好きであったのだろう。
この家のかつての姿を想像しながら、並べられた本に目を通していく。ジャンルは様々で難しそうな本も多かった。その中でも一際私の目を惹いた本たちがあった。気になって手に取ってみると、そのボロボロの表紙には、消えかけの文字で『夢見人伝記』と書かれていた。
ペラペラとページを捲り、その内容に目を通した。どうやら、『夢見人』という架空の人物たちについてまとめた作り話らしい。こんな話、聞いたことがない。でも、この本には、あたかもその人物が実存したかのように記されている。
馬鹿馬鹿しい。こんな作り話を読んでいる暇も理由も私にはない。そう思い、立ち去ろうと本棚にそっと戻したとき、その隣も、そのまた隣も、『夢見人』について記された本でいることに気づいた。
『夢見人、それは、とある別の世界からやってくる、異能者達の総称である。彼らは私達人間では到底届かないほど、現実と乖離した能力で、その時代の運命を握る』
パラっと最後までページを捲る。
『そんな彼らも、長くても一年経てば、必ず死に至る。彼らは死ぬ間際、彼らがいた元の世界で叶えることの出来なかった夢を叶えるために、さらに逸脱した力を神に授けられる。そこから私達は、彼らのことを夢見人と呼んだ』
まったく、よく作り込まれたおとぎ話だ。
もともとこの家に住んでいた人は、こんなにもこの逸話が好きだったのだろうか。だが、異常なほどの多さに、また一冊、手にとってしまった。
『この国には朝が来ない』……なんて、嘘に決まっている。ありえない。
でも、不気味だった。『夢見人』に関する本だけで、こんなにもあるということが。これ以上読み進めるのが怖くなり、一旦本を閉じ、元あった場所にスッとはめ込んだ。
一階に戻り、色々と物色していると、何だか眠たくなってきたので、一度休むことにした。この周辺には、魔獣が出そうな雰囲気も無かったし、この家の中なら安心して休むことができるだろう。今日のところはこの汚さには目を瞑ろう。家から持ってきていた一枚のブランケットを羽織り、家の角で、包まるように眠った。
────目が覚めて、重いまぶたを擦り、ゆっくりと起き上がると、辺りが暗く、まだ夜であることに気づいた。あまり良く眠れなかったのだろうか。祖国も、何よりも大切な人を奪われたのだ。当たり前だ。
もう眠気は覚めてしまっていて、もう一度眠る気にもなれなかったので、一度辺りを散策することにした。
空にはわずかに雲がかかっており、それが月と重なったり、重ならなかったりして、幻想的な空気を醸し出していた。雪は止んでおり、私の足跡は消えること無く残り続けている。これなら、少し遠くまで行っても安心だと思い、歩く足を速めた。
少し、吹き付ける風が強くなってきた。木々の間を風が、ヒューヒューと通り過ぎる音を不気味に感じ、私は踵を返し家の方向へ向かう。別に、魔獣の鳴き声が聞こえたり、足跡が残っているわけでもないが、吹いた不気味な寒風が私を震えさせる。このさきは危険だ。そう思って、来たときより早足で、何なら少し駆け足で進んだ。
ハアッハァッと短く息が切れてきたそのとき、私の前方に大きな影が映し出された。その大きさに、一瞬で理解する。魔獣だ。熊のような耳と鋭い牙、漆黒の巨体を覆い隠すほどの大きな翼、足が震えて動かない。その瞳が、奥からギョロッとこちらを見つめてくる。
「あっ」
私に気づいた瞬間、その魔獣は大きく翼を広げ、その中から現れた大きな腕から、私に向かって大きな爪を突き立てた。気づいたときにはもう、その影が目元まで迫っていた。
『キンッ』
「……う、って……!」
何が起こったのか……一瞬脳内が白く染まる。
死を目前に、ギュッと瞳を瞑ることしかできず直立しているっと、いつの間にか、私の前で、大きな金属が私をその攻撃から守っていた。剣だ。一本の。
錆びた剣先がボロボロ崩れるその剣が、魔獣の爪を弾き返した。バッと後ろを振り返ると、そこには、フードを被った男が一人立っていた。フードのせいで顔はよく見えないが、少し怯えているようにも見える。
「あ、あなたが……」
恐る恐る声をかけようとしたが、私が言い終わる前に男は声を荒げた。
「早く逃げて!」
言われた通り逃げようとしたが、足が震えて動かない。頭が真っ白になって、何も考えられず、何も動くことができない私の足を、彼は勢いよく蹴り飛ばした。
「さっさと逃げろっつってんだろ!」
また一段と大きな声で怒鳴りつけられる。でも、彼も私と同じで震えている。次の一撃が出せないでいる。そうしている内に、魔獣は起き上がり、反撃の一撃を彼向かって振りかざした。彼は覚悟を決めたのか、ギュッと手に持つ一本の剣を握り、魔獣向かって突きつけた。
が、迷いや恐怖を孕んだ彼の攻撃は魔獣には当たらず、逆に魔獣の爪が、彼の肩から腰を斬り裂いた。その傷口から、真っ赤な血が噴き出し、雪を染め上げる。
死んだ。私のせいで。人を死なせてしまった。かなり深く抉られた彼を見て、彼の死を確信した。そして、私も殺されるのだ。この魔獣に。その未来を感じ取った瞬間、私の目から光が失われていくのがわかった。
でもそのとき、彼がもう一度剣を強く握り直したのがわかった。そして被っていたフードが捲れ、その素顔が明らかになった。まだ少年だ。年は私と同じくらいだろう。だがその目には、確実にさっきは感じ取れなかった、怒り、憎しみが込められていた。
グリップ部分を握る力が、明らかに強まっていく。歯を食いしばり、目を大きく見開く。
少年が攻撃を再開する前に、魔獣はその爪を振り払う。
少年は動かない。ダメだ、直撃する……もう打つ手はないと思った。
爪が彼の横腹に到達しようとした、そのとき、僅かな助走とともに彼は高く跳んだ。背中を地面に向けて、大きく剃り上げるように。三日月のような美しい弧を体で描きあげる。
魔獣の攻撃は大きく空振り後隙が生まれる。
「ガァァ」
うめき声を上げた。魔獣かと思ったが、少年が発したものだった。少年は白目を向き、空中から、魔獣に、一撃目、二撃目、三撃目、四撃目を与えていく。その度に真っ赤な水滴が雪を彩る。もはや、どちらが魔獣かもわからないくらいに、少年は理性をかなぐり捨てて、攻撃を続けていた。
宙に舞う少年の切っ先を目で追う事ができない。彼の攻撃が止んだ頃には、もう魔獣の原型は留まっておらず、そこら中に魔獣の血と肉塊が散乱する、無慈悲な現場へと変わり果てていた。
「ハァハァ」
一方的な殺戮を繰り広げた少年も、初撃の影響でかなり深刻な状態だ。攻撃をやめると同時に、膝から地面に倒れ込んでしまった。
「だ、大丈夫なの……!?」
返事はない。決して信用できる相手ではないから、関わらないほうが身のためだと思う。でも、命を救ってもらったのだから助けなくてはいけない。彼の肩を持ち上げ、少し引きずるように、あの家の方へ進んだ。
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