第9話 あの日の事件現場
家へ戻ると、星華がベッドの上でうずくまっていた。恐らく、窓から一部始終を見ていたのだろう。
「すまぬ……すまぬ……」
いつものような力強さがない。私はその姿に掛ける言葉など、何一つ思い浮かばなかった。
掛ける言葉は見つからなくても、彼女のこの無念を野放しにしておくことは私もしたくなかった。彼女がまた一歩踏み出すために私にできることは限られている。でも、それでもなにか出来たなら、それを実践しない手はない。
キッチンへ向かい、料理を初める。作るのは、私が大好きなあの料理。本当は覚に食べさせてくて、昨日の内に、食材を揃えておいた。だが、あまり手が進まない。あの人を救えなかった後悔からだろうか。私が到着したときにはもう手遅れだったとはいえ、目の前で命が奪われている。そんな光景、二度と目に映したくなかった。
でも、今の私にできるのはこれだけだ。この料理なら、この相容れぬ私達を一つにしてくれると信じている。決して私は料理が得意な訳では無いが、ルヴォワールの慣れた手つき、手順を思い出しながら、なんとか料理を進めた。
そしてようやく完成した。少し焦げてしまっただろうか。でも、この香ばしさもちょうどいい気がした。部屋中に、この匂いが充満する。私の大好きなこの匂い。久しぶりに嗅げて、なんだか目が潤んだ。
出来上がった料理を、二階まで運び、うずくまった星華のそばにそっと置いた。
「できたわよ。落ち着いたらでいいからゆっくり食べるのよ」
星華は顔を上げなかった。今は一人にしてあげよう。そう思って私はすぐに一階へ降りる。クライムはすでに帰ってきており、なれない人助けに少々疲れているようで、額に手を当てていた。星華だけではない。彼もまた、救うことの出来なかった後悔、罪を抱えているのだろう。
「ありがとう、クライム。助かったわ」
「あの場にいたら、ああするしかないでしょう。今日はもう寝ます。星華さんの見張りは、今日はあなたがしてください」
クライムは階段へ向かった。その姿を見て、確信する。クライムは、やっぱり、凶悪殺人犯などではない。あのクライムの能力は、場合によって彼の心をさらに痛めつけるものになりうる。さっきのが、まさにその適例だ。
「待って。聞かせなさいよ。あなたは、一体何に抗おうとしてるよ!あなたにどんな絶望が降り注いだのか、今度こそ教えてよ!」
声を荒げる私に、クライムがじっと静かに、自分のつま先を見つめている。
家具も装飾もほとんどない、寂しい部屋に二人。まだ少し、沈黙が続いた。
数十秒の沈黙の後、クライムはそっと壁にもたれ掛かった。
「私が犯罪者であるという言葉に、嘘はありません」
そうクライムが呟いた瞬間、唐突に部屋中に薄暗い霧が蔓延した。
「何よ、これ!」
「そこまで私の過去が知りたいなら、教えて差し上げますよ。私が犯した罪を。一生消えることのない傷跡を」
必死に、霧を払いのける。その霧は少し冷たく、全身がブルっと震えた。それだけで、彼の過去が、いかに冷酷なものであるか理解できた。
霧が晴れる。そこには、一人の高齢の女性と、一人の少年が笑顔で暮らす、平穏な空間が広がっていた。おんぶされた少年が、幸せそうにその背中で眠っている。それは奪われてはいけない、尊きものであった。
そして、また霧が溢れ出す。
「これは、私の能力、『あの日の事件現場』を応用し、顕現させた、私自身の罪の旅路です」
霧が晴れる。そこには、さっきほどの老婆と、少し成長した少年の姿があった。恐らく、この少年はクライムで、この老婆、恐らく祖母に、育てられてきたのだろう。時が経っても、二人の笑顔は奪われていなかった。まだ、幸せな空間がそこにはある。
そしてまた、霧が溢れ、場面が変わる。今回は、今までとは異なり、少年がただひたすらに、どこかへ向かって、駆けていた。雨が降り注ぐ。町にはサイレンが鳴り響いており、ただならぬ喧騒に包まれている。
少年は走る。その行き先は、言うまでもない。祖母のもとだろう。蹴り出した足から泥が跳ね、少年の背中を汚す。そんな汚れを気にかけることはなく少年は走った。
「ハァハァハァ!」
その息遣いがこっちまで聞こえてくる。どれだけ苦しくても、少年は足を緩めなかった。
そして、とうとう家へ到着する。少年は勢いよくドアノブをひねり、中へ駆け込んだ。
だが、その先の光景は、言葉では言い尽くせないほど、残虐なものであった。少年が膝から崩れ落ちる。そう、少年の祖母は殺されていたのだ。腹からは、多量の血が流れ出しており、辺りには彼女の血が飛び散っている。それ見た少年の目からは、かつての輝きは完全に消え去り、今のクライムのような、光を移さず、ただただ黒く染まっていた。
「この日、私の住んでいた小さな農村で、大きな事件が起きました。複数名による、同時強盗です。そのターゲットに、私の家は選ばれた。家にいたのは、祖母一人。押し寄せる強盗に、祖母は無惨にも殺されました」
クライムが、その事件現場から、目を逸らすこと無く見つめながら、私に告げた。これは彼の人生にとって、最悪の出来事であっただろうのに、それから目を離さず、見つめ続けている。その目に光はなくとも、まだ確かに、復讐の炎を宿していた。
少年は泣き叫ぶことはしなかった。目は潤んではいるが、歯を食いしばり、立ち上がる。部屋の奥へゆっくり歩き、何かを取り出した。それは私の知らない何か。恐らくは武器であろう……
いや、これはまさか……さっきクライムが手に持っていた、あの武器か。
それを少年は抱えたまま、また、走り出す。勢いよく、雨の降りしきる中へ飛びだした。その姿は、まるで猛獣だった。
一歩一歩踏み出す度に、抉れる土の量が増えていく。
一歩一歩踏み出す度に、彼が漏らす吐息が、うめき声へと変貌していく。
復讐者と化した彼の向かった先は、近くの繁華街であった。その中を、人混みをかき分け無理からに進んでいく。横切る人たちが、一斉に彼に視線を向けるが、少年は見向きもしない。ただ一心に、走り続ける。
ついに、少年が足を止めた。その先には、逃げるように走る少年が四人。少年ほどではないが、相手もまだ若い。全員がパンパンに何かを詰め込んだ袋をもっている。明らかどころか、確信犯であった。
少年は、持っていた武器を構える。その目は、理性を完全に欠いていた。ただ、復讐を果たせればそれでいいと、その後のことはどうなってもいいと考えている目だ。
そして、スイッチのようなものを、少年はカチッと押した。
が、その瞬間、それを見かけた通行人が、とっさに少年を抑え込んだ。そのせいで、少し、その武器の標準がぶれてしまったのだろう。
『バンッ』
激しい炸裂音が、黒雲に覆われ、雨が降りしきる街で響く。そこから、何かが、ものすごいスピードで放たれた。
だが、押し倒されたせいか、その放たれた物体は、標的のもとからは大きく外れた。
その瞬間、彼の罪を理解する。
そのまま、外れていれば、彼はまだ、まだマシだったかも知れない。
だが、運命は、彼に牙を向いた。
放たれた物質は、そのまま、何の罪も、何の関わりもない、通行人の脳天を貫通した。
「キャアアアアアア!」
街中で悲鳴が響き渡る。雨にそれが反射して、その悲劇は、遠く離れた彼の家まで届くほどに。
押さえつけられたままの少年は、移された運命に、絶望することしか出来なかった。自分は、何の罪もない人を殺し、殺したかった奴らは、その騒ぎの内に、遠くへ走り去っていく。何一つ、少年は成し遂げられなかった。
少年の目から、ついに、大粒の涙が溢れ出す。抑え込んでいた分、より大きく、より多くの涙を、覚めきった地面に流した。
その叫びが雨の音をかき消し、その街に広がった。
すぐに、少年は捕らえられた。少年は抵抗せず、うつむいたまま、連れて行かれてしまった。
「こんなの……あまりにも……」
思わず、声が出る。あの幸せが、こんなにも簡単に壊され、さらなる絶望が与えられた。こんな結末が、この世にあってはならないと思った。
だが、ふと気づく。それは、今の私にも少し重なると。私達が愛した祖国、レーヴェを奪われ、この地へ追いやられた私と。
そうして、改めて実感する。人は何故か、今が当たり前に続くと勘違いしてしまう。幸せなこの時間が、永遠と続いてほしいと人は願う。だが、実際に、その願いが叶うことはない。いずれ奪われ、いずれ失われる。
そんな非情な世界の中で、私達は、何を信じて、何を求めていきていけばいいのだろう?
この旅が終わった頃には、私もそれを知れるだろうか。
また、霧が溢れ場面が変わる。少年はさらに成長し、立派な青年になっていた。その姿は、まさに今のクライムのまんまだ。だが、その目に映る希望は無く、あの時から変わっていない。
小汚い路地裏で、弱々しく歩いている。これが、彼の結末。これが、クライムの罪。
誰も、彼には手を差し伸べなかった。そこから彼は孤独の道を進み、今、この場所に至るのだろう。
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