魔王になど、なりたくなかった
ヴァラス帝国の王エドムントが殺されたのは、六日前のことになる。
私は偶然〈夜の虹〉を使っていたので、ヴァラス宮廷に於ける一連の動向を知ることができた。
……さすがに当日は、夜の虹に向かって打ち明け話を始める事件関係者などいなかったがな。
下手人と目されて投獄された王子レオンハルトをはじめ、妖魔ミレーヌケティ、王妃ロスヴィーダ、世継ぎの王子マティアス、異界の少年ミヤサカ・ナオキらの証言を集めることができたのは、つい先刻のことだ。
被害者のエドムントは、私の実の父親だ。
私がこの事件に関心をもったのは、多少はそれと関係がある。だが、血の繋がった弟であるレオンハルトに同情した等では、全然ない。レオンハルトのようなお調子者なぞ、無実だろうとなんだろうと火あぶりにしてもらっていっこうに構わない。むしろ、ミレーヌケティを好ましく思う私としては、彼女のためならどんな尽力でもしたいが、レオンハルトの存在は邪魔でしかたないほどだ。
しかし。
どうも雲行きによっては、私も無関係ではいられないといおうか――もしかしたら、この件で一番迷惑をこうむるのは、最終的には私であるような懸念がしてきたのだ。
なぜなら。
ヴァラス帝国の王位継承権は、母親の身分に準ずる。
それゆえ正妃の息子であるマティアスが世継ぎの王子なのだが、私の母もまた、アヴィリオンの王妃だ。不倫関係であるが、万一、それが明るみになってしまうと、私がヴァラス帝国の王位継承権第二位の「王子」となってしまい、大変にややこしいことになる。
それを避けるためにはむしろ、レオンハルトに生きていてもらい、無実を証明し、有力な次期国王候補として返り咲き、心おきなくマティアスと王座を争ってもらったほうがましだ。
だからもし、予定通りにレオンハルトの公開処刑が執行されるようであれば、何らかの方法で阻止せねばなるまいと思っていた。
が、あの王子は悪運が強いというか何というか、牢獄を脱出してしまった。
かくなるうえは、私も腹をくくってつき合わねばならないようだ。
できることならすぐにでも、事件現場のエドムントの第二寝室を検分し、凶器であるところの妖剣〈誰彼〉――めくらましのかかった偽物の正体を暴いてやりたい。
偽物が造れないはずの妖剣に、どのような魔法がかけられてしまったのか。
また、下手人が誰であるのか。
そんなことは、私には、おおよその見当がついているのだから。
「うおーっ。すげえ城。本当に空飛んでるじゃないかおい。あれ落とせってか。もっと穏便な方法はないのかよ。おーい。おおーいーー!」
広間中にレオンハルトの大声が響き渡った。
「おーいアルトゥールぅ。どうせならタマちゃんにそこまで送ってほしいぞ。おーいってば」
ちょうど〈風花の聞き耳〉を使い、彼らの声を拾っていたところだったのが災いした。
私は顔をしかめて耳を押さえた。
ただでさえこの「下僕の間」は、声の反響がものすごいのである。
「ねぇ。素朴な疑問だけれども、ファルケンシュタイン城って常に移動してるのに、ここが『麓』ってのは、どういうことなのかしら」
ミレーヌケティの可愛い声が聞こえたので、私は耳から手を離して大きくうなずく。
いいところに気がついたね、ミレーヌケティ。
まあ、足元を見てみたまえ。
一面に広く、月光草が生えているだろう?
君たちの立っている場所は、満月の日、この城が影を落とす草原なのだ。ゆえに人々は、そこを便宜上、麓というのだよ。
(ああ、ミレーヌケティ。君がこんなに近くまで来てくれているというのに)
君にだけでも、早く会いたい。
君ひとりだけならば、いかようにしても迎え入れるものを。
しかし許してくれ。君のいまいましいあるじは、まがりなりにもヴァラスの王子なのだ。
公式に招き入れることは不可能だし、こっそりとファルケンシュタイン城に招き入れて、後で調査官に露見したら大問題になる。まして私は、正当な理由なくしてこの城を離れられない。
だから私が君たちの要望に応えてヴァラスに赴くには、この城を落としてもらわねばならぬのだ。
そうすれば、仕掛けられたいくさに対する抗議という名目もできようし、落とされた城が復活するまでは、いかにアヴィリオンの民がせっかちといえど、陳情は自粛してくれよう。
私にも時間ができというのものだ。
「なあミケぇ。そういえばおまえ、大昔、建国王レオンハルトに協力して、この城を落としたんじゃん。その時、どんな手使った?」
「やなこと思い出させないでよ。実力よ実力。私の魔力が本来の状態なら、こんな城、一撃なんだけど。今はとても無理ね」
そう、この城は難攻不落だ。通常のいくさであれば、ミレーヌケティの魔力なしでは落とせないだろう。
――だが。
それでも、落としてくれることを望みたい。幸いなことに、異界の少年が同行している。
手段はあるのだ。
「それでは私はアルトゥールさまのもとに帰ります。みなさん、がんばってくださいね」
「わぁぁー。待ってくれよタマちゃん。おれたちを置いていかないでくれよぉ」
「きゃっ。離してくださいな。翼を引っぱられるとくすぐったいです」
……私は嘆息しつつ、難儀しているタマに伝える。
(タマ。その馬鹿王子に言ってやれ。月を落とすには、地上に咲く月と、奇跡の扉を通りしものと、火蜥蜴の吐息を使うべし、と)
彼らが麓で首をひねっている間、私はもう少し回想を続けようと思う。
こんな時に誰かが〈夜の虹〉を放ってくれたらぼやいてみたいところだが、術者が限られる魔法であるから、私以外にそんな酔狂をする者もおるまい。たとえいたことろで、魔王のぼやきを聞かされたら、さぞ困るだろう。
仕方なく私は「下僕の間」の片隅で、ひとり壁を見つめる。
皮肉なことに、今日は陳情者が誰も来城せず、少し拍子抜けしている。
もしや、これを人は孤独と呼ぶのか――あまり実感はないが。
あれは、十五の春だった。
四人の兄たちが、次々に暗殺された。
父上と呼んでいた当時の王の、仕業だった。
王は既に老境にさしかかっていた。民からの、世代交代を望む声も日増しに強くなっていた。
アヴィリオンの王位請求者となるには、血筋は一切関係ない。四のつく日を選んで、王座を要求する旨を公布し、あとは王を刺殺すればいい。刺殺以外の手段は、認められないことになっている。
だが、他の民が請求するまでもないだろうと、私は思っていた。四人の兄たちは、それぞれ王位に執着していたし、来るべき日のために剣の腕も磨いていたので、彼らのうちの誰かが王を殺し、次代の王となるだろうと。
しかし王は、必要以上に誇り高かった。息子の手で殺されて、王座を奪われることに耐えられなかったのだ。
だが何にせよ、自分には関係のないことだと思った。もとより王位を請求するつもりはなかったし、私はこの国を出ていくのだから。
長兄から順番に、ひとりづつ葬られた。
とうとう四番目の兄が殺されたとき、私は早急に国を出るつもりで、荷物をまとめた。数年前にル・ガルダに蔓延した流行病で母上は亡くなっていたから、私がアヴィリオンにとどまる理由はなにひとつない。
母上は死ぬ間際に私だけを枕元に呼んだ。そして、兄弟の中で私だけは父親が違うのだと、私の本当の父上は、ヴァラス帝国のエドムント陛下なのだと打ち明けた。
衝撃だったが、むしろ、喜ばしかった。
もしいつか、アヴィリオンを出ていく日が来たら、その足でヴァラスへ行ってみようと思っていた矢先のことだったので。
鎖国中とはいえ、商売熱心な闇商人が流れてくるなどして、ヴァラスの情報はときおり入ってくる。妖魔ミレーヌケティがまだ次のあるじを選ばないので、妖剣〈誰彼〉は、月の泉に沈んだままだという話も聞いていた。
妖魔ミレーヌケティ――最後の古代獣にして、妖剣に封印された最強の火の魔法の使い手。巨大な火蜥蜴にして、女の属性が強い妖魔。
妖剣〈誰彼〉は、建国王レオンハルトの血を引く男たちへ、呪いと共に受け継がれていく。呪いとは愛する女に殺されることであり、かつてタイザーマーリア王妃に殺された建国王と、同じ末路をたどることだという。
だがそんな呪いをかけるということは、ミレーヌケティは建国王レオンハルトを心底愛し、執着していたのだろう。
野望を持つ男にひたむきに協力して、裏切られて、封印されてしまった妖魔は、古風でいじらしい。
妖魔に関する物語は、私の幻想をとても刺激した。
妙な感慨だが、私は建国王レオンハルトが羨ましかった。
人間の少女の姿になったミレーヌケティが、見事な肢体に長い桃色の髪を垂らして、炎のような赤い瞳でこちらを見据える、脳裏に浮かんだそんな情景は、そのまま私の初恋でもあった。
願わくば妖剣のあるじとして、彼女と関わってみたいと思った。
だが、建国王の縁戚ではない身、かなわぬことだとあきらめていた。それでも月の泉に行って、ひと目なりと会ってみたいとまで思っていたのだ。
――そうとも。
私が、母上とヴァラスの王の、不義の子であるのなら。
私もまた、ディングフェルダーの血を引くことになる。
ならば、ミレーヌケティに選ばれる資格を持つということに、なるではないか。
月の泉へ、彼女に会いに行こう。
妖剣など欲しくはないが、あるじに選んでもらえたならば、生涯を彼女と過ごすことができる。
建国王レオンハルトのように手ひどく扱ったりしない。
今までのあるじのように、戦場の道具としてこき使ったりしない。
いつか私も呪いの牙にかかるのだろうけれど、それまでのかりそめの間だけでも、彼女と静かに暮らしてみたい。
明日の早朝、アヴィリオンを出ていこう。
しかし、私の希望は阻まれた。
それは――
夜半、大振りの剣を持って、王自身が家に現れたからだった。




