よく知らないということは、幸せなことだ
強大な魔力を得たいと思ったことなど、一度もない。
ましてや、前王殺しの汚名と共に得る、〈魔王〉の座などとんでもない話だ。
魔王とは、魔法国家アヴィリオンを統べる王にして浮遊城ファルケンシュタインの統括管理者である。このファルケンシュタイン城は月の運行に合わせて移動する。
すなわち魔王は――つまり私はということだが――日々、空の上からアヴィリオン全域に目配りをせねばならぬ。
いくら使い魔を持てるとはいえ、この広大な城で、ひとりきりでだ。
さぞや静寂と孤独が漂う、物語の一幕のような深淵に満ちた毎日であろう。事情を知らぬ他国の民からはそう思われているようだ。
だが。
だが、だ。
この「下僕の間」は常に解放されている。
そして、アヴィリオンの民たちからの陳情を年中無休不眠不休で受け付けている。
――そうとも。
私が待機している広間は「下僕の間」という名称だ。これは古来よりそうなのだ。
なぜならば、王とは主権者である民の下僕であるからだ。
主権者の対応は多種多様で息つく暇もない。たまには孤独に浸ってみたいものだとしみじみ思う。
さて、いにしえの魔法使いが記した書物によれば、異界には「国民の下僕」であったり、「血税で養ってもらっている身」なる言葉があるという。
まったくもって、それは明瞭に私の立場を言い表している。この文言を聞いたときの私の感銘と共感をどう表現したものか。
嗚呼、異界の治世者たちよ。民に選ばれし聖なる政治家よ。
彼らもまた、崇高な使命をまっとうせんと、たゆみない努力を続け、不眠不休で民たちに尽くしているのであろう。
この浮遊城には、不定期に、アヴィリオンの民から選抜された「魔王の汚職・不正調査委員会」の抜き打ち調査が入る。特定の団体や個人に利益供与を行っていないか、贈収賄が発生していないか、あるいは特定の女性と不適切な関係を持っていないか等を検分する機関だ。
……失礼極まりない。
私は不正などとは無縁だというのに。彼らの調査はほとんど言いがかりに近いのだ。
異界には「重箱の隅をつつく」なる慣用句があるらしいが、言い得て妙の表現だと思う。
疑問なのだが、異界の治世者たちの城にも、このような調査が入っているのだろうか。
汚職をして私腹を肥やしていないか、運営費の会計帳簿に改竄はないか、こっそり女を囲って公費流用をしていないか、すみずみまで検閲を受けていたりするのだろうか。
おそらくそうだろう。
だが、人格者揃いの異界の治世者は、どんなときでも穏やかに礼儀正しく、理念に則って対応しているに違いない。立派なことだ。
私などは未だについ、
「汚職やら愛人やらに手を出すような暇と余裕があるものか! 文句を言うくらいなら私と替われ馬鹿者。さあ殺せ!!」
などと調査官に怒鳴ってしまう。まだまだ未熟なのだ。
不本意にも十五で魔王となってから、ちょうど十五年目にもなろうというのに。異界の治世者たちのような、透徹した心境にはほど遠い。
アヴィリオンの住人たちはみな、黒桜鳥の風切り羽根にもたとえられる漆黒の髪と、深い闇にも似た濃紺の瞳を持つ、それは神秘的な人々であると言われている。
月の女神の加護のもと、元素霊たちとも心を通じあわせた、魔法に長けた夜の民。
そんな、憧れめいた言葉をもって語られている。
――他国の民からは。
これは鎖国の効用というか、副作用であろう。
はっきり言って、美化が激しすぎる。
よく知らないというのは、幸せなことだ。
少し考えてみればわかると思うが、同じル・ガルダ大陸の国同士で、そんなに民たちの生活や雰囲気に違いがありえようか。
たしかに、他国の民との通婚を好まぬ国柄ゆえ、アヴィリオンの民のほとんどは髪が黒くて目が紺色の、細身で長身の者で占められている。
母親似の私もそういう容貌だ。しかし、民の外見が似通っている国や地域など、他にいくらでもあるではないか。
アヴィリオンの民は、老若男女問わず自己主張が強い。賢くも愚かで、身勝手で、ときおりは素直。それは他国の民と何ら変わらない。
ただ、みな魔法に長けているゆえ、魔法の応酬によるいざこざが日常茶飯事なのだ。しかもほんのちょっとしたことでも、いちいち私の調停を頼みに来る。
あまりにもしょっちゅうだから、地域ごとに簡易調停所を設置し人員も割り振っているというのに、そこには行かずに、風の魔法を使って直接ファルケンシュタイン城にやってくるのだ。
先日などは、「下僕の間」に、居酒屋の女将が乗り込んできた。
彼女の訴えはこうだ。
「ちょっとぉー! きいてくださいよ魔王さま。なんかね、ウチの夫が最近雇った若い娘と不倫してるみたいなんですよー」
という内容である。
「それは憶測に過ぎぬのでは? 何か証拠を押さえたのか」
「証拠っていうか、〈春告鳥の便り〉をやりとりしているのを偶然聞いたんですよぅー。怪しいでしょう? 調べてくださいよう。万一離婚とかになったら居酒屋の権利、あたしがもらえますよね?」
「であれば、簡易調停所に行くべき案件だろう。なにゆえここに?」
「だって調停所って、わかりにくい場所にあるんですもん。手続きも面倒くさそうだし。ここだと見上げればすぐわかるから〈瞬きの旅〉でひとっ飛びだし、魔王さまに頼むと仕事早いですし。便利なんですよ」
しれっと、そう答えられてしまった。
調査の結果、その従業員の娘と〈春告鳥の便り〉をやりとりしていたのは、声のよく似た別の男で、居酒屋の女将のご亭主は潔白であることがわかった。
しかしその別の男というのがまた所帯持ちで、しかも他の娘と二股をかけていたのがばれて苦情を言ってきたが――そこまでは私は関知しない。
まあこの程度であれば、まだ許容範囲だ。
どんな些末な案件であれ、たしかに私に頼んだ方が、早いし確実ではあるのだ。
ファルケンシュタイン城がアヴィリオン上空を浮遊しているのも、何も神秘性を強調して、はったりで民を威嚇するためではない。
豪奢な高台の城にいる王を民に訪ねさせるのではなく、王が城ごと動いて民の役に立つべしという、アヴィリオン建国当初からの基本理念に沿うものなのだ。
……浮遊城を見て威嚇されてくれるようなしおらしい民なら、どんなに良いかとも思うが。
つまり機能重視の城なのだ。
便利と言われるのも道理で、たとえば、強力な地の魔法を使ってめくらましの効果を狙ってみたら大変なことになりました、魔法解除ができません助けてください、というような、私にしか手に負えない事故が発生したときに、連絡を取りやすいし対処しやすいのである。
そう。
魔法をかけるよりも、いったん効力を持った魔法を解除することの方が難しい。
魔法使いを専門の職業にしているほどに、魔力の強い者はアヴィリオンには何人もいる。が、魔法解除は彼らでも手に負えない場合が多い。
その点、魔王の立場にある人間の持つ魔力は、誰よりも強いのだ。
火・水・風・地、どの魔法にも対処できる。人間には危険だと言われている火の魔法も、制御することが可能だ。
アヴィリオンは、ル・ガルダ大陸の歴史において、古代獣が一番多く住み着いていた地であったらしい。それゆえ、民が魔法技術を習得する機会も多かったし、空気が澄んで月の光がよく冴える。
元素霊たちに好まれる地域――他国の言い方だと、月の女神に祝福された土地ということになるらしいが、そういう条件にも恵まれている。
民が総じて魔法に長けているのはそんな理由による。その中でさらに、魔王の魔力が別格なのは、このファルケンシュタイン城で暮らしているせいだ。
だからファルケンシュタイン城には、原則として魔王しか住むことを許されない。
王妃は例外なのだが、身ごもったら地上におろすべしという厳しい規定がある。
子供は地上で育てられ、ファルケンシュタイン城で暮らすことはできない。王妃であった私の母などは、身ごもるたびに難儀なことに五回、城と地上を往復した。
私はといえば、理想が高すぎるせいか、まだ王妃を迎えていない。
意中の女性がいないわけでもないが、まったくもって残念なことに、彼女の男の趣味はひどく悪い。私に振り向いてもらうのは至難の業だ。とはいえ、ろくでもない男に振り回されている彼女を見守り続けるのも心外なので、それなりに努力はしているのだが。
ところで。
十三の尖塔と四十九の広間、三百六十五の部屋を持つこの城は、外壁を特殊な煉瓦で覆ってある。地と風の魔法を同時にこめて焼いた煉瓦は、銀色の光を放ち、飛翔する効果を持つ。
魔力の源である月の光を吸収しやすいため、中で暮らす人間を魔法を使うに適した体質に変えていくという、二次効果も発現するのだ。
月の光を蓄えることもできるので、月の出ていない闇夜でも、また日中でも、空中を移動することができる。
ゆえにこの城は、「城の形をした人造の月」とも言われる。
ファルケンシュタイン城を設計したのは、さまざまな謎と伝承を持つ古代獣、鵺であるという。
鵺は剣の精製にも通じていて、数々の名剣をも創った。そのうちの一本がヴァラスの建国王レオンハルトの手に渡り、やがては妖魔ミレーヌケティを封じ、妖剣〈誰彼〉と呼ばれることになったわけだが――
それにしても、鵺にこんな城を造らせるほどに魔法にこだわり、魔力の強い人間に統治されたがる人々の気持ちがよくわからない。
ル・ガルダの気候が厳しくて、妖魔ミレーヌケティの魔力に頼らねばならなかった昔ならいざしらず、今では別段、人は魔法など使わずとも生きていけるではないか。
火なら火打ち石や器具でおこせようし、水は川や井戸から汲んでくればいい。
別の場所に行きたいのなら、馬を使うか、歩けばいい。
誰かに何かを伝えたかったら、直接話すなり、手紙を書くなりすればいいのだ。
私は、何かといえば魔法の腕を競いたがるアヴィリオンの国民性が嫌いだった。
幼い頃から、いつかはアヴィリオンを出奔しようと思っていた。こんな城に住むつもりなどさらさらなかった。
前王をこの手で殺害しなければ得られない王位など、いらなかったものを。
――さあ。
私が独白にかまけている間にも、我が使い魔のタマは、王子レオンハルトご一行三名を乗せて、無事ファルケンシュタイン城の麓に着いたようだ。




