あなたがぼくの立場だったら、どうしましたか?
十二の時だった。
そのころのヴァラス帝国は、海のそばの小さな公国、ブルーノゥを平定し、属国にしようとしていた。ブルーノゥ公国の持つ豊かな漁場と大きな港は魅力だが、あそこの重騎兵はなかなかに精鋭揃いでな、と父上がぼやいていただけあって、いくさは長引いていた。
「レオンハルト兄上に、御出陣いただいたらいかがですか。妖剣〈誰彼〉があれば、どんな軍隊も敵ではないでしょうに」
十二のぼくだって、剣技も戦術もかなり身につけたことだし、そろそろ初陣の時期だろうと思っている。十四にもなった兄上がなぜ、さっさと戦場に行って片をつけてこないのか、それが不思議だった。
あえて父上に正式な謁見を申し込んだ上で、そう問うてみた。
「それがのう」
謁見室の椅子で準正装をまとった父上は、ちょっと苦笑した。
「いくさは嫌いだと、申すのじゃ」
「……は?」
「剣を持つのも苦手だそうだ。妖剣はまあ、自分があるじだから、しかたなく持ち歩いているそうだが」
「……はあ」
「それにあやつは、大量の血を見ると卒倒する体質らしい。だから一生、妖剣〈誰彼〉は使わないと、こう申しておる」
「そんな! それでは妖剣のあるじたる意味がないではありませんか」
「ふむ。まあしかし、〈誰彼〉の威力は強力過ぎるからの。ヴィードラ公爵が、バルドイ平原を埋め尽くした十万の兵を、一瞬で焼き払ったときと同じようにされても困る。ブルーノゥは順当に城塞を落として、無傷で手に入れたい。できれば兵団長の身柄もな」
兵団長、という部分に、父上は含みを持たせた。ブルーノゥ軍の兵団長としてヴァラス軍を手こずらせているのは、ブルーノゥ公の一人娘、兄上と同じ十四歳の、フィリーネ姫だったからだ。
かつてブルーノゥと不可侵条約を結んでいたとき、フィリーネはほんの短期間だが、人質としてこの宮殿にいたことがある。名目上は、ぼくの婚約者として。
ぼくがまだ剣を習い始める前のことで、後で思えば、つかの間の安息の時だった。お互い人質の意味も婚約者の意味もわからずに、絵本を読んで遊んでいた。
ヴァラスがフィリーネを送り返すことによって条約を破棄し、それからずっと睨み合いの状態が続いていた。本格的ないくさに発展したのは、フィリーネが成長し、女だてらに軍を率いるようになってからだ。
動揺が出ぬよう、ぼくは声を低く落とした。
「兄上が出陣する必要はないと?」
「あれは正式な訓練も受けておらぬしの。戦場に出ても、剣も振るえぬ敵も殺せぬでは、他の兵士の足を引っぱるだけであろう」
ほんのしばらく、ぼくは考えた。そして決心した。
「ぼくの初陣を、お許しいただけませんか。ブルーノゥの城塞を、落としてみせます」
「ほう」
父上は、値踏みするようにぼくを見て、そして頷いた。
「よく言った。それでこそ、ヴァラスの世継ぎだ。よかろう、行って来るがよい」
ブルーノゥ軍は、高地にそびえる城塞を背に、重騎兵団を中心とした守り優先の布陣をしいてきた。
ブルーノゥの城塞は、三方が海に囲まれている。一カ所だけ陸に面している通路も、満ち潮になれば海の中に沈む。攻撃時間が限られている、攻めづらい立地だ。
しかし難攻不落に見える城塞にも、たったひとつの弱点があった。門扉が木製だったのだ。
「破城槌を使おう。そうすればあの門扉が破れる」
将軍としてヴァラス軍を率いていたのは、ぼくの母方の祖父、フラウエンロープ伯爵だった。ぼくは初陣ということもあり、祖父の形だけの副将として赴いていた。
伯爵はぼくの同行を喜んだが、天幕での夜半に渡っての軍議中に、戦術に口出しされるとは思っていなかったらしい。鋭い灰褐色の目でぎろりとぼくを睨んだ。
「確かに、鉄製の破城槌を持ってすれば、門扉は開くでしょうな。しかしそれ以前の問題がございます。どうやってあの重騎兵団の囲みを破り、門扉まで辿り着くおつもりか」
「兵団長を、討ち取ればいい。それはぼくがやる」
あっさり言い切ると、軍議の場はひどくざわめいた。
「簡単に仰いますが、うら若い乙女だからといって侮っておられませぬか? 失礼ながら初陣の御身には、荷が重すぎる相手ですぞ」
「――ぼくがやる」
青銀色の重騎兵団の中、たったひとり、簡素な鎧帷子を身につけた華奢な少女がいた。敏捷に行き来しながら指揮をとっている姿は、よく目立った。
彼女の臨機応変の指揮が、こんなにもいくさを長引かせている原因だった。ぼくは重騎兵の間をぬって、彼女の馬の前まで、自分の騎馬を走らせた。
ヴァラス軍を翻弄してきた指揮官は、俊敏な剣士でもあった。だけど素早さなら、ぼくの方が上だった。
ぼくが彼女を捕らえ、馬から引きずりおろした時点で、趨勢は決まった。
破城槌が運ばれ――ブルーノゥは陥落した。
占領した城塞の地下にもうけた捕虜収容所に入れられても、彼女は毅然としていた。
鉄格子を間にはさみ、ぼくたちは対峙した。
短く切った髪をかき上げて、彼女はぼくを見据えた。
「久しぶりね、マティアス。落ち着いて昔話をする時間もなさそうで、残念だわ」
彼女の栗色の髪は、昔は腰まであった。背にとき流した長い髪が揺れるのを見るのが、とても好きだったことを、不意に思い出す。
「いつかはあなたと戦場で会うだろうと思ってたけど、こんなに早いなんて。すごく剣が使えるようになったのね。……そうね、もう絵本を読むような年じゃないものね」
ぼくは何も言わなかった。答えなかった。
「ねえ。このまま殺してくれるでしょう? あなたのお父さんに寵妃として差し出されるのだけは、勘弁して欲しいわ」
それが、彼女の最後の言葉だった。
そしてぼくは、彼女の言うとおりにした。
――初陣で、大したお手柄ですな、マティアス殿下は。
――だがのう。何もフィリーネ姫を処刑することもなかろうに。みなの前で、平然と刺し殺したのだぞ。末恐ろしい。
ヴァラスは武人たちの国で、そして武人というものは豪放磊落でさっぱりした気性を持っているとぼくは思っていたのだが、まだまだ甘かった。表面上は、ブルーノゥ攻略に成功したことを褒めたたえながら、貴族たちはぼくを敬遠し始めた。
フラウエンロープ公爵さえも、
――殿下は私にそっくりだといわれるが、私とてあれぐらいの年頃にはもっと可愛げがありましたぞ。
などと父上に愚痴り、父上は父上で、ぼくをそっと呼び出してこんな事を言いだす始末だ。
――フィリーネ姫を処刑せずに、私の元へ連れてくるわけには行かなかったのか。一四の乙女の命を散らすなど、かえすがえすも勿体ない。
ぼくはぐったり疲れてしまい、怒鳴りかえす気力もなかった。
けれどそれからも、父上の要請に応じては出陣し、相応の成果を上げてきた。
おかしな話で、宮殿にいればフィリーネのことを思い出して憂鬱になるが、戦場に身を置けば、何故か落ち着くのだ。
ぼくはフィリーネに、何かを伝え忘れた。それはとても大事なことのようにも、たわいのないことのようにも思える、ささやかな感情の動きなのだけど。
フィリーネは、天国でぼくを恨んでいるだろうか。それとも、仕方ないわねえと呟いて、苦笑しているだろうか。
戦場にいさえすれば、フィリーネがすぐ近くにいて、今度は一緒に戦っているような気になれる。
敵味方問わずに兵たちをつい見回して、その中に鎖帷子の華奢な姿がいないかと探してしまうくせは、未だになかなか抜けない。
――マティアスさまは、書物がお好きでいらっしゃいますな。戦場で剣を振るわれるよりも、学者の方が向いてらっしゃるのかも知れませぬが、世継ぎの殿下ともなれば、そういうわけにも行きますまいて。
ぼくにそう言ってくれたのは、当時の帝国図書館の館長、ギュンターだけだった。
かなりの老齢だったギュンターは、既にこの世の人ではない。館長が変わってからは、あまり図書館へは行かなくなった。今の館長は、いけ好かない、若い貴族なのだ。
まだ妖剣が月の泉に沈んでいて、だからもちろんレオンハルト兄上が宮殿に引き取られる前で、フィリーネが宮殿にいて……思い出すと胸の奥が痛むから、あまり思い出したくないあのころ。
フィリーネと連れだって、よく図書館に行った。ギュンターは、仰々しい革表紙の本が並ぶ棚の中から、子供でも読めそうな絵入りの大きな文字のものを、選び出しては積んでくれた。
ギュンターは、ル・ガルダの歴史に詳しい学者でもあった。
ぼくとフィリーネが、何か面白い話をしてくれとねだったときに、建国王レオンハルトと妖魔ミレーヌケティのなれそめと、妖剣〈誰彼〉の誕生を、物語風に紹介してくれたりした。お子さま向けに脚色してありますよと微笑しながら。
ぼくが、妖剣のあるじになりたいと言うと、フィリーネはむきになって反対した。
「だめだよ。すきなおんなの子にころされてもいいの?」
「すきな子なんか、つくらなきゃいいんだ」
「だってわたし、ひとじちだけど、こんやくしゃなんだよ。こんやくしゃって、いつかけっこんするってきいたよ。わたしのことは、すきにならないの?」
「うーん。ごめん。よくわかんない」
「そうかー。わたしもわからないや」
ぼくが、妖剣〈誰彼〉をこの目で見たのは、レオンハルト兄上が宮殿に来てからだけども、この手で初めて触ったのは、グレンが兄上にも剣の稽古をつけたいと言い出した時だった。
それまでもグレンは、村育ちの兄上が宮廷になじめないのを気にしていた。何かにつけ、庇ったり助言してきたりしたようだったが、ようやく回りの雰囲気が兄上に好意的になったと、まるで自分のことのように胸をなで下ろしていた。
「それでもやはり、将来が心配ですよ。武勇に優れた方々に立ち混ざったら、さぞかし肩身が狭いでしょう。陛下に、進言しようと思うんです。マティアス殿下と一緒に、剣技を身につけるられるよう」
「兄上なんて、ほおっておけよ。いくさが嫌いなやつに、わざわざ剣を教えてどうするんだよ」
「世継ぎの殿下が、そんな意地悪なことを仰ってはいけませんよ」
「……勝手にすれば」
思ったよりも早く父上の許可がおり、兄上はぼくと一緒に剣技を学ぶことになった――のだが。
兄上が剣が苦手だというのは、謙遜でもなんでもないことがよくわかった。
いくら剣が使えないったって、それは教育と練習と経験が不足しているだけだ。グレンに指導されれば、誰だってある程度は上達するはずだとぼくは思っていた。
グレンは、教え方が巧い。しかし、そのグレンを持ってしても、兄上の指導は難しそうだった。
(……これは……下手とか苦手とか、そういう問題じゃないな……)
ずっと持ち歩いている妖剣をひとまずは地面に置き、ぼくが習い始めのころ使っていた練習用の剣を、兄上が構えたのを目にした途端、ぼくは唖然とした。
中庭の北側は殿下がたの訓練場だから、邪魔するなよ。見学も、恐れ多いから許可はしない。グレンは兵士たちに前もってそう言い渡したそうだが、正解だった。
新入りの兵士たちに、今の兄上の練習風景を見られたら爆笑ものだ。
兄上は、運動神経も反射神経も悪くないと思う。体力も持久力もありそうだ。
なのに。
兄上の構えが、構えに見えない。
振り回している剣も、剣に見えない。
この動きは、まるで……。
そうだ。斧だ。
木こりが斧を振るう様子に酷似している。
「レオンハルト殿下。剣で木は切れませんよ」
呆れ声でグレンは言うが、その声には笑いが含まれていて、とても楽しそうなのが伝わってくる。
グレンは兄上につきっきりで稽古を続け、ぼくの方はと言えば、反比例するように稽古時間が短縮された。ぼくが文句を言っても聞いてくれない。
「マティアス殿下にはもう、私などがお教えすることはないくらいですから……。できましたら、レオンハルト殿下のご指導をお願いしたいくらいです。ご兄弟で練習なされば、得るものも多かろうかと」
「まっぴらだよ、そんなの」
渋るグレンに稽古をつけてもらうために、必死に頼みこんだ昔を思い出して、ぼくは不機嫌になった。
木こりとしてなら有能なのかも知れない兄上の、薪割りのような剣使いを見学するのにも疲れ、もう部屋に帰るつもりで自分の剣を鞘におさめ、ふと。
淡い紅色の光に目を奪われ、足元を見た。
兄上が地面に置いた、妖剣〈誰彼〉から、放たれている光だ。柄も鞘もとても凝った細工だが、これも古代獣〈鵺〉の手によるものだろうか。妖剣全体から三重にも広がる光は、引き込まれそうに不思議な色合いをはらんでいる。
(これが、伝説の妖剣)
ぼくはどうしても、その刀身が見たくなった。しかし、あるじ以外には妖剣を鞘から抜くことは出来ないし、兄上はこれを使わないと公言しているから、今後見る機会があるかどうかは絶望的だ。
(……本当に、レオンハルト兄上以外には抜けないのかな……)
ミレーヌケティは兄上を選んだけれど、それは彼女の見込み違いじゃないだろうか。だって、妖剣のあるじが、救いようがないくらいに剣が不得手だなんて、前例がないじゃないか。
もしも。
もしも、ぼくに抜くことが出来たら。
ミレーヌケティが、あるじ選びの間違いに、気づかないとも限らない。
そっと手を伸ばし、ぼくは妖剣を持ち上げた。ほどよい重さの、素晴らしい剣だ。鞘を通してさえこんなに光がこぼれているのだから、刀身はどんなにか美しいだろう。
鞘を押さえ、掴んだ柄に力を込める。
抜けそうな――気がした。が。
淡かった紅い光が、激しい炎のように赤みを増した。
「熱っ!」
激痛に手のひらを焼かれ、ぼくは妖剣を放り出した。
両手には、火傷痕のような水疱が出来ている。
異変に気づいたレオンハルト兄上が、稽古を中断して飛んできた。
「大丈夫か、マティアス」
ぼくの手を掴んで、兄上は顔をしかめた。ぼくが投げ捨てた妖剣を見下ろして、
「だめじゃないか! ミケ」
驚いたことに、ミレーヌケティの方を叱った。妖剣に変化はない。気が向いたときに妖剣から分離するという妖魔は、今は姿を見せないつもりのようだった。
「冷やしたほうがいい」
中庭の噴水に、兄上はぼくを引っぱっていった。有無を言わさずぼくの両手を水しぶきにさらす。掴まれた手首が痛いほどの腕力だ。兄上の腕は、筋肉だけを見るならば、ちゃんと鍛えられた剣士にひけはとらない。
無性に腹ただしかった。宝の持ち腐れもいいところだ。
「あなたのせいだ」
「ああ、置きっぱなしにしたおれが悪かった」
「そうじゃなくて……」
水しぶきが、顔にもかかる。
「妖剣の、あるじなのに……」
「ん?」
「戦場に出ないのは、怠慢です。いくさが嫌いだなんて、傲慢です」
肩が震える。ここまで言うつもりじゃなかった。だけど、言わずにはいられない。
「ぼくが好きこのんで剣を振るっていると思いますか。心の底から望んで、戦場に向かったと思いますか!」
いくさが苦手というなら、ぼくもそうだ。
ぼくだって、平気でフィリーネを殺したわけじゃない。
「いいや。おまえにまかせっぱなしでごめんな」
兄上の菫色の瞳が陰る。
「初陣の時、敵軍の兵団長は、おまえの幼なじみだったんだってな。ごめんな、辛かったろう?」
「……謝られても、困ります」
何を思ったか、兄上はぼくの頭をくしゃくしゃと撫でて、顔を覗き込んだ。
そしてぎょっとした風に目を見はり、今度は手のひらで、ごしごしとぼくの目元をこすった。
「そんなおまえ、泣くほど痛いのか。早く侍医に診てもらえ」
「泣いてません。水しぶきです。兄上、もしも……」
「なんだ?」
あなたがもし、ぼくの立場だったら、どうなさってましたか?
戦場に赴きましたか?
かつては婚約者だった少女を、殺しましたか?
それとも殺すよりは、父上に差し出した方がましだったんでしょうか。
結局ぼくは、黙り込んだまま、兄上の手を払いのけた。
あまりにもつまらない質問だと、思ったので。




