魔王アルトゥールに、聞いてほしい
扉ごしに、声が響く。
近衛隊長の、グレンだ。
明日に迫ったレオンハルト兄上の処刑手順に関する、確認と最終報告だった。
他に仕切れる貴族がいるわけじゃないから、暫定的にぼくが国王代理として、処刑宣言をし、また終了の号令を発することになるのらしい。
グレンの声は重く沈んでいて、時々言葉に詰まったりするので、よく聞き取れない。
ぼくは何度も聞き返す。だけど絶対に、扉は開けない。
「……せめて斬首にならぬものかと……王室規範の履歴にお詳しい伯爵閣下にも、子爵閣下にも申し上げては見たのですが……どうにも……いかんともしがたく」
「だから聞こえないってば。今おまえがぐずぐす言ってるのって、兄上の処刑方法のこと? 火あぶりは長引くから、ひと思いに首切ったほうがいいってこと?」
「……は、はい。さようでございます。ですがお歴々は、陛下が亡くなった動揺さめやらず……どなたも口を濁すばかりで」
「処刑方法って前例から選ぶから、それ変えるには臨時会議で誰かが新しい准王室規範を設定するとか、議題を提出しなくちゃならないんだよ。連中はそんな面倒くさいこと、したがらないと思うな。たしか百年ほど前に、父王殺しの王女が火刑になったっていう前例があるからね。火刑にしといた方がおさまりがいいんだ」
「……あの、まことに恐れながら……マティアス殿下から処刑方法の変更を、お歴々に言上していただくわけにはいきますまいか。いかに陛下を殺めた下手人といえ、レオンハルト王子が生きながら火あぶりに処せられるのは、あまりにも……」
「ぼくはまだ即位したわけじゃないから、そんな権限はないよ。それにもう明日決行されるわけだし、時間的にも無理だね」
ぼくのつっけんどんな言い方に、グレンの黙り込む気配がした。くそ真面目な男だ。必死に感情を押さえているんだろう。
「差し出がましいことを……申し上げました。お父上を殺められたマティアス殿下のお怒りも考えず。お許し下さい、お慈悲を求めるのが、間違っているのかも知れません」
またこの近衛隊長は、物事を善意に善意に考える。だから父上の信頼も厚かったし、レオンハルト兄上とも気が合ったんだろうけど。
「火刑って、どのくらい時間がかかるものなの?」
「……私にも判りかねます。火がどのくらいの早さで燃えうつり、ひと一人を焼いて絶命に至らしめるかは……。火力の問題もございましょうが、かなりの時間がかかってしまうものではなかろうかと……しかし……」
グレンが、また口ごもる。
レオンハルト王子が、父王を殺めたということがまだ信じられない。でも下手人は他には考えられないから納得するしかなくて、自分は任務を遂行するつもりだ。けれども、ずっと親近感と思い入れを持って接してきた王子が、火あぶりに処せられる現場に居合わせ、管理しながら見届けるのはとても耐え難い。
おそらくはそんなことを言いたいんだろう。長いつきあいだから、手に取るようにわかる。
ぼくにとってグレンは、ものごころついた時からの剣の先生だった。
自分で言うのもなんだけど、ぼくは優秀な生徒だったと思う。
ぼくはまだとても小さかったし、グレンは面倒見が良かったから、剣の稽古が終わって持ち場に戻るまでの僅かな時間、ル・ガルダの古い伝説にまつわる話や、昔話をしてくれた。
……レオンハルト兄上が、宮殿に引き取られるまでは。
兄上が来てからは、グレンの時間は宮殿になじめない兄上のために割かれるようになった。そのうち剣が不得手な兄上を見かねて、自分から指導を申し出たりもした。
グレンは、ヴァラス北西にある小さな村の出身だ。そこは、レオンハルト兄上が七歳まで生まれ育った泉ヶ森近郊に近いそうで、だからグレンは何くれとなく兄上の面倒を見ていた。
出身地が近いという理由で親しみを持つ感覚は、ぼくには理解できない。
出来の悪い生徒ほど可愛いという、心理状態もだ。
「火力を強める工夫をすれば? 前もって薪に、火の精霊の力を仕込んだ油を撒いておくとか」
そろそろ話を打ち切りたくて、そう言ってみる。
「……っ」
グレンは言葉を継げずに、押し黙った。
窓の外からは、激しい雨音が聞こえる。にわか雨のようだ。
今日はとても月の光が強かった。元素霊たちは月光を好むから、これは難度の高い魔法が使われる前兆だろう。
にわか雨ということは、おそらくは水の魔法――〈夜の虹〉が出現する可能性が高い。
そして、夜の虹の起点が、もしもアヴィリオンなら。
それは魔王アルトゥールが、酔狂にも今夜は、無数の人々のつぶやきを聞き取り集める心づもりだということだ。
魔王アルトゥールにならば、ぼくは話したいことがある。
近衛隊長の、不毛な愚痴を聞いている暇はない。
「……それでは、そのように手配いたします。明日は定刻通りに、宮殿前広場までお越し下さいませ」
ようやく、グレンは声を絞り出す。律儀にも、扉に向かって礼を取る気配がした。
ぼくは返事を返さずに、グレンが歩き去ってから、扉の前から離れた。
中庭に面した窓の、締め切っていたカーテンを少しだけ引く。
顔を寄せた窓硝子の向こうで、あっという間に雨はやんだ。
柔らかな布でさっとひとふきしたように星空が現れ、月の光は輝きを増す。
遙か北、遠くにかすむザンシャン山脈のさらに向こうから、白いまぶしい光が立ちのぼる。天と地のはざまとも思える彼方から、七本の光の帯が舞う。
七本とも純白なのに、それぞれ微妙に階調が違う帯は、七色で構成された昼の虹とは似て非なる、魔法の光だ。一度は別方向に散った光の帯は、今度は天を突くように一直線に並びながら、ヴァラス上空をまたいで夜空に大きな弧を描く。
眩しいほどの、白い虹が現れた。
ぼくは、ほくそ笑んで振り返る。
「見てごらん。ナオキ。あれは〈夜の虹〉っていうんだ。すごく高度な水の魔法なんだよ。位置から考えて、あれは魔王が放った術だと思うなぁ。ほら、君、魔王に興味あるって言ってただろ」
返事は、ない。
天鵞絨のカーテンが、少しだけ揺れた。
部屋の隅には、ひとりの男の子が、膝を抱えてうずくまっている。
彼は、ミヤサカ・ナオキ。
ぼくと同い年だという彼は、十三日前に、異界からやってきた。
ぼくが偶然にも成功した地の魔法、〈奇跡の扉〉によって。




