トロメリンの騎士
夜になると客足も落ち着き、あとは閉店時間まで酒を楽しむ客が数組残る店内をカウンター越しに見渡すと、クラリスは叔母と二人でカウンターにもたれかかっていた。
「中の仕事はどうだった?」
「駄目ね。まだ初日なのに覚えることだらけでもうくたくただわ。」
「今日は早く上がるかい?」
「そうね。そうしたいとこだけど……」
ふと店の外が騒がしくなった気がして窓の外を見ると、立派な馬が店の前で停まったのが見えた。
「こんなところに馬?」
「誰か降りてきたよ?」
叔母と二人で物珍しそうに窓から外を覗こうとしたところで店の扉が開き、騎士服を着た背の高い男が一人入ってきた。
「いらっしゃい……ジャン?」
「……」
いつもの見慣れた外套姿ではなく、騎士服を着て腰に剣を佩いたその姿にクラリスはそれがジャンだと気が付くのに時間がかかった。
ジャンは微笑みを浮かべると、クラリスの背後に視線を移した。
「もう少しで店も終わる時間だろう?君の父上に話がしたいからまた来た。待たせてもらっても?」
「父上……。あ、うん。その……上に上がる?それともここがいい?」
ジャンは店内を見渡した後でクラリスに問いかけるような視線を向けた。
「君さえよければここで。」
「あ……じゃあ、どうぞ。」
クラリスは顔が熱くなるのを感じた。いつもならば目立つことのないよう外套で全てを隠しているジャンが店の前まで馬で乗り付け、わざわざ目立つ騎士服姿で現れたのには理由があるに違いない。父親に話があるとまだ客が残っている店内で声高に言うのもきっと意味のある事なのだ。
「クラリス、お前も一緒に座ってて?お茶を準備したら私があの人を呼んで来るからさ。」
「あ、でも!」
「いいからいいから。」
戸惑っているクラリスを横目に叔母がいそいそと動き出した。
ジャンは店の奥にある4人掛けのテーブルまで近寄ると椅子を引いてクラリスを促した。
「君はここへ。どうぞ?」
「あ、……はい。」
男性に椅子を引いてもらって座ったことなどないクラリスは慌ててジャンの元へ駆け寄ると困ったように笑った。
「こういうの、ジャンはよく似合うね。慣れてるんでしょ?」
「慣れてる訳じゃないさ。」
「……」
並んで椅子に座るとジャンは一段と声を落とした。
「金物屋の主人から聞いた。ここの主人は君の本当の父親じゃないんだね?」
「……えぇ。両親は幼いころに亡くなってるから、この店の叔母夫婦が私の親代わりなの。」
「親子関係は良好?」
「へ?」
何を聞くのかとジャンの方を見上げると思ったよりも近い位置にその顔があり、クラリスは思わずぼーっと見惚れてしまった。
テーブルの向こうでいつの間に来たのか叔父がわざとらしく咳をしたのが分かった。
「お、お父さん!」
「……話があると聞いたから来たんだが。」
ジャンは椅子から立ち上がると騎士の礼をした。
「ジャン・ラマルクと申します。お時間をいただきありがとうございます。」
「……それはどうもご丁寧に。クラリスの……父です。まぁ座ってください。」
二人は畏まって挨拶を交わすと椅子に座り、叔父はどうしたものかとクラリスに助けを求めるように視線を投げてきた。
「いきなり本題に入りたいのですが。まず、これを。」
ジャンはそう言いながら一通の手紙を取り出すと少しためらう様に叔父に差し出した。
「申し訳ありませんがザール語で書いてありますので、簡単に内容を説明しますと……。」
叔父は一応封筒を開けて中身に目を通し始めたがどこまで内容が理解できているのかは分からなかった。
「……クラリスさんを正式にザールの役人として雇うという契約書です。」
「役人?クラリスが?」
「はい。それからもう一枚は……婚姻届になります。」
「婚姻……届…?」
叔父の手元にある書類を凝視しながらクラリスの頭は目まぐるしく動いていた。
「ジャン?どういうこと?」
「昨日話しただろう?最初は見習いからだけど向こうで財務職に就くための契約書だよ。」
「……財務職。」
「それからこっちは俺たちの婚姻届。」
テーブルの向こうからは叔父がクラリスの方をじっと見ている。クラリスは膝の上でぎゅっと手を握り締めて目を固く閉じた。
「婚姻って?」
「クラリス?」
ジャンは焦ったように小声になるとクラリスに囁いた。
「俺についてザールに来てくれるって、昨日そう言ったよね?」
「それは、確かに……言った。」
「それに俺のこと好きだって…。それじゃ君はどういうつもりでザールに来ようとしてたの?」
「はっきり分からないから困ってたの!」
「……困ってた?」
もう一度叔父が大きく咳ばらいをしたので二人は前に向き直った。
「それで?俺はどこにサインすればいい?」
「……ここと、ここです。」
叔父は黙って契約書と婚姻届にサインをすると、クラリスに向かってそれを差し出した。
「私?」
「後のことは二人でもう少し話し合ってから決めるんだろう?店のことはいいから上に行きなさい。」
「お父さん…。」
「店が終わったらまた話を聞こう。」
そう言い置くと叔父は立ち上がり、ジャンの方をちらりと見ると再び厨房へ戻って行った。




