困惑
「クラリス!お客さんだよ?」
「はい?あ…今日は早かったのね?いらっしゃい!」
厨房まで叔母が顔を出してクラリスをわざわざ呼び出したのは店にジャンが現れたからだった。営業時間になって間もない、いつもの時間にジャンは一人でやって来たようだった。
ジャンはカウンターから出てきたクラリスを見つけると、少し照れくさそうに笑いながら出迎えた。
「カウンターの中から出てくるなんて珍しいね?料理は出来ないんじゃなかった?」
「……今のうちにお父さんから料理を習っとこうと思って。どうぞ?テーブルに案内するわ。」
「ありがとう…。すぐに金物屋の主人も来るはずだから。いつもの席、空いてるかな?」
「えぇ、空いてるけど。……おじさんも来るって言ってたの?」
クラリスはジャンを案内しながら不思議そうに店の入口を振り返った。
「そう言ってたよ。」
「……これから寂しくなるわね、この店も。おじさんは常連の中でも古株だったから。」
「看板娘ももう長いんだろう?」
「私?……そうね。おじさんには負けるけど。8年くらいかな?」
クラリスは遠い目をして店内を見渡した。
「8年?じゃあ一体幾つから手伝いを?」
「10歳からよ?」
「クラリス、君……今18歳?」
店の扉が景気よく開くとセブおじさんが陽気に声をかけてきた。
「やぁクラリス!元気だったか?」
「おじさん!久しぶりね。本当、何日会ってなかったかしら?さぁ座って!ジャンももう来てるわよ?」
「おぅ…若造。」
「どうも…。」
二人は不自然に挨拶を交わすと少し気まずそうに周りを見回した。
「注文は?いつものでいい?」
「あぁ。フライをこいつにもな。」
セブおじさんはジャンの意見を聞きもせず二人分を注文するとにやりと笑った。
「知ってるか?俺の経験からいくと食い物の好みが同じ奴は信用出来るんだ。」
「じゃあこの店の常連さんたちは大抵信用出来るってことね!」
クラリスは笑いながらおじさんの肩を軽く叩くとそのままカウンターの奥まで引っ込んで行った。
店では最後の日までいつも通り笑顔でいる──そうしようと心に決めていた。
「フライを二つね!セブおじさんとジャンに…。」
「クラリス、よく見ておけ?」
叔父は流れるような手つきで魚のフライを揚げていく。下味を付けて衣をつけるまでの仕込みは開店前に既に見せてもらっていた。
一応メモを取ろうとしていたクラリスだが、全てを感覚でやっている叔父の料理を正確にメモに残すことは到底出来なかった。
「私、味ならしっかりと舌で分かるから。繰り返し作ってたらいつかはこの味に近付くかな?」
「それはどうだろうな?食べただけで何が足りないか分かるようになったら出来るかもしれないが。」
「こんな事ならもっと早くから教えてもらっとくんだった……。」
「……お前はよくやってくれたよ。十分すぎるくらいだ。」
「嫌だ!お父さん何しんみりしてるのよ?まだ店が忙しくなるのはこれからよ?」
皿に付け合わせの野菜を盛りつけながらクラリスは慌てて叔父から目をそらした。
──完全に嫁入り前夜の親子の会話じゃない。どうしよう、私咄嗟にジャンについて行くなんて口にしちゃったけど、これで本当に良かったのかな…。
「おい、これ。」
「はい!」
きつね色に揚がったフライをトレイから皿に移すと、そのままカウンターまで運び叔母に手渡す。見慣れた店内の様子もこうしてカウンターの中から見るとまた違って見えた。
店の中央のテーブルではジャンとセブおじさんが真面目な顔をして何か話し込んでいる。どうやら今日は酒を飲んでいないようだ。
──この店ともお別れ……。
カウンターの天板を手で撫でるとそのまま厨房へ引き返し叔父の手伝いに入る。
記憶のある限りはこの店で育ってきたクラリスにとって、もちろんここは特別な場所だ。多くのなじみの客が来る店であり家族のいる家──離れるのは辛い。その一方でこの街には不思議と後ろ髪を引かれるような気がしなかった。商店街という小さなコミュニティは息苦しく、ちょっとしたことで噂もすぐに広まる。
クラリスが急に店からいなくなったと分かったら、またいろいろな憶測を呼び、妙な噂がたつに違いなかった。『 肉屋の息子と婚約していたのに店に来た客と駆け落ちした 』『 金持ちの男を誑かして後妻におさまった 』だとか。
マークがジャンに剣で脅されたことを誰かに話したりしたら、一層面倒なことになるだろう。
しかしそうなった所で当の本人であるクラリスはここにはいない。矢面に立ち肩身の狭い思いをするのは叔母夫婦ということになるのだ。
妙な噂が立つ前に、うまく周りに引っ越す事を伝えるにはどうしたらいいのか。クラリスにはそんな魔法のような方法があるとは思えなかった。




