エピソード14 雨の日の図書室
朝から空は厚い雲に覆われていた。
一時間目が終わる頃には、小さな雨粒が校舎の窓を静かに叩き始める。
昼休みになる頃には本降りとなり、校庭には誰の姿もなかった。
いつもなら中庭で昼食を楽しむ生徒たちも、今日は教室や廊下で過ごしている。
そんな雨の日でも、春風結衣の足は自然と図書室へ向かっていた。
「こんにちは。」
扉を開けると、紙の香りと静かな空気が迎えてくれる。
「こんにちは、春風さん。」
司書の佐々木先生がいつものように優しく微笑んだ。
「今日は雨だから、図書室も少し人が多いわよ。」
見渡すと、確かに普段より多くの生徒が本棚の間や閲覧席で静かに過ごしていた。
結衣は窓際の席へ向かう。
そこには、すでに橘悠斗が座っていた。
窓の外の雨を眺めながら、一冊の小説を読んでいる。
結衣に気付くと、本を閉じて微笑んだ。
「こんにちは、春風先輩。」
「こんにちは、橘くん。」
雨の日でも変わらない挨拶。
それだけで結衣の心は少し温かくなった。
◇
「今日は少し賑やかですね。」
結衣が周りを見回す。
「そうですね。」
悠斗も小さく笑う。
「雨の日は図書室が人気になるって聞きました。」
「私も初めて知りました。」
二人は静かに席へ座る。
窓ガラスを伝う雨粒。
屋根を打つ優しい雨音。
図書室全体が、いつも以上に穏やかな空気に包まれていた。
◇
しばらく本を読んでいると、突然空が暗くなる。
ゴロゴロ……。
遠くで雷が鳴った。
結衣は思わず窓の外を見る。
「雷ですね。」
「少し苦手ですか?」
悠斗が尋ねる。
結衣は少し恥ずかしそうに笑った。
「少しだけ。」
「音が大きいので。」
「実は僕もなんです。」
「えっ?」
二人は思わず顔を見合わせる。
「意外です。」
「よく言われます。」
悠斗は照れ笑いを浮かべた。
「小さい頃から苦手で。」
「雷が鳴ると、本を読んで気を紛らわせていました。」
「私も似ています。」
「本を読んでいると安心するんです。」
二人はまた一つ、同じところを見つけた。
◇
その時、突然大きな雷鳴が響いた。
バリバリッ!
図書室の生徒たちも一瞬だけ驚いた表情になる。
結衣も思わず肩を震わせた。
「大丈夫ですか?」
悠斗が優しく声を掛ける。
「はい。」
「少しびっくりしただけです。」
悠斗は机の上に置いてあった栞を一枚差し出した。
「これ。」
「しおりですか?」
「祖父が『怖い時は好きな本を開けば大丈夫』って言ってくれた時にもらったものなんです。」
木で作られた、小さな手作りの栞だった。
表には小さく四つ葉のクローバーが描かれている。
「綺麗……。」
「少しだけ持っていてください。」
「きっと落ち着きます。」
結衣は両手で栞を受け取った。
「ありがとうございます。」
不思議だった。
栞を手にすると、本当に少しだけ安心できる気がした。
◇
雨はまだ降り続いている。
二人は同じ本を読みながら、ときどき感想を話し合った。
「この主人公、優しいですね。」
「はい。」
「自分より相手を大切にできるところが好きです。」
「春風先輩も似ています。」
「え?」
「いつも周りを気遣っていますから。」
突然そう言われ、結衣は少し顔を赤くした。
「そんなことありません。」
「あります。」
悠斗は照れながらも真っ直ぐ答えた。
「図書室でも、司書の先生にも、みんなに優しいです。」
結衣は返す言葉が見つからず、小さく微笑んだ。
「ありがとう。」
その一言だけで十分だった。
◇
昼休み終了のチャイムが鳴る。
二人は本を閉じる。
「栞。」
結衣が差し出す。
「ありがとうございました。」
悠斗は首を横に振った。
「もう少し持っていてください。」
「返すのは今度で。」
「でも……。」
「その方が、また会う約束になりますから。」
その言葉に結衣は少し驚き、そして優しく笑った。
「はい。」
「大切に預かります。」
◇
放課後。
雨はすっかり上がり、西の空には淡い夕焼けが広がっていた。
結衣は鞄の中から栞を取り出す。
四つ葉のクローバーが夕日に照らされ、小さく輝いていた。
「返さないと。」
そう思う気持ちと、
「もう少し持っていたい。」
そんな気持ちが胸の中で静かに揺れる。
一方の悠斗も教室の窓から夕焼けを見つめながら、小さく笑っていた。
「返してもらう日が、少し楽しみだな。」
雨の日に交わした小さな約束。
一枚の栞が結んだ二人の縁は、静かな図書室の時間とともに、少しずつ、そして確かに深まっていくのだった。
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