第47話:中央大陸カーネギー
私たちはそのまま東へ向かって真っ直ぐに進み続けた。道すがら、件の高名なパン屋へと立ち寄ったのは正解だったと言える。ティアという女性は、一見してどこか抜けているようでいて、その実は非常に聡明だ。いや、聡明という言葉だけでは足りないな。確固たる生活の知恵と、旅慣れた者特有の鋭い先見の明を持ち合わせている。
「間もなく到着します。もう少しだけ歩調を早めましょう。」
彼女の凛とした声が街道に響く。
気がつけば、辺りにはうっすらと夜の帳が下り始めていた。私たちはかなりの距離を歩き通してきたというのに、その間に口にしたものといえば、先ほどのパンと僅かな水だけだった。移動中の過酷な環境を乗り切るため、日中の猛烈な暑さのなかでは水球を呼び出して涼を取り、逆に夜風が身に染みる時間帯になれば燃え盛る領域を展開して暖を取る。そんなティアの高度な魔力制御を間近で見せつけられるたびに、私もこの宿に落ち着いた暁には、何としても中級魔法を習得せねばならないという焦燥感に駆られていた。
「寒い、です……。」
不意に、背後から小さく震える声が聞こえた。
先ほど日中の盛りが酷く暑いからと、ティアにねだって全身に大量の水を浴びせてもらっていたフレルだ。衣服に染み込んだ水分が未だ完全に乾ききっていないらしく、夜風に吹かれて見るからに寒そうに小さな身体を縮こまらせていた。
「『凍てつく大地を融かす、焔の聖域よ――バーニングプレイス』」
ティアが静かに呪文を紡ぐと、刹那、衣服が焦げる一歩手前の心地よい熱波が私たちの周囲を包み込み、辺りの気温が一気に上昇した。このバーニングプレイスという魔導は、本来であれば敵陣を焼き尽くすための攻撃魔法なのだが、熟練の術者の手にかかれば、こうして対象の身体を芯から温めるための防寒手段として最も重宝される。前世の記憶にある、かの有名な小説投稿サイトに溢れる『なろう系』の物語のなかでも、こうした魔法の応用は定番の演出として描かれていたものだ。
「ふあぁ……温かいな……。」
フレルが安堵の吐息を漏らす。
夜間はとりわけ風が強く吹き荒れるため、濡れた身体のまま放置していれば一発で風邪を引いて寝込むことになる。見知らぬ土地での体調不良ほど恐ろしいものはないのだから、細心の注意を払わねばならない。
実際のところ、目的地までの距離は決して短いものではなかった。ティアの言う「間もなく」という言葉が、歩き疲れた私たちを鼓舞するための優しい嘘であることは薄々感づいていたが、今度ばかりは本当にその言葉通りの場所に辿り着いたようだ。
「ここが今夜からの宿です。さあ、中へ入りましょう。」
彼女が指し示した建物の前で、私は足を止めた。
事前に耳にしていた噂によれば、ゴスオスという男はこの宿の主人と極めて深い親交を結んでいるらしい。それゆえ、純粋な人脈の力だけで、私たちを期間中完全に無料で滞在させるという破格의 条件を取り付けてくれたのだ。自分の身の回りに、これほど強力な融通を利かせてくれる友人が一人でもいれば、これからの人生どれほど心強いことだろうか。
私は重い扉に手をかけた。一文字型の機能的な真鍮製の取っ手は、軽く押し込むだけで滑らかに内側へと開いていく。かつて私が暮らしてきた、あの建付けの悪い古びた家屋とは根本的に構造が異なるようで、不快なきしみ音一つ立てることはなかった。
「広いでしょう? 私の戦友が、特別に無償で手配してくれたのです。」
ティアが誇らしげに胸を張る。
以前にも語られた通り、ゴスオスはかつてティアと共に数々の修羅場を潜り抜けてきたパーティーの仲間だったのだ。あのジープも然り。やはり、本物の英雄たちの繋がりというものは伊達ではないな。
「わあ……お菓子もある。ありがとう。ティア、本当にたくさん、ありがとう。」
フレルが卓上の小さな籠を見つけ、拙い言葉遣いで歓声を上げた。多少主客が転倒した奇妙な文脈ではあったが、彼女の純粋な喜びは十分に伝わってきた。何はともあれ、これでこの大都市カーネギーにおける臨時の拠点は完璧に確保されたと言っていい。この場所を足がかりにして、私は必ずや、亡き母の遺した血塗られた秘密のすべてを白日の下に晒してみせる。
私は、カナーマン、シルフィア、そして幼き日の私が一枚の画角に収まった、あの古ぼけた大切な家族写真を懐から取り出した。そして、宿の中で最も広々とした、見晴らしの良い部屋の中央に恭しく据え置いた。これをもって、今日からここを私の私室とすることに決定した。
新しい部屋に入った際、私には前世から頑なに守り続けている絶対のルーティンがある。それは、荷物を放り出して何よりも先にふかふかの寝台へと倒れ込むことだ。私は自他共に認める、根っからの睡眠愛好家なのだ。前世の頃には、新作の魔導ゲームに熱中して不眠不休で夜を明かした挙句、泥のように丸十七時間も眠り続けたことすらあった。そのあまりの爆睡ぶりのせいで、期間限定の超希少な一品物の召喚キャラクターを獲得する絶好の機会を永遠に逃してしまったのは、今思い出しても苦い記憶である。この底なしの睡眠欲こそが、私の人生における唯一最大の長所であり、同時に致命的な短所でもあった。




