第42話:中央大陸カーネギー
「効果は絶大ですね。感謝します」
「最上級の治癒魔法ですから」
「……え?」
「何ですか、その。今初めて知ったとでも言いたげな表情は」
「いえ、もちろん知っていましたよ」
「……本当に?」
ティアは小さくため息を漏らすと、
「申し訳ありません」
と口にした。その顔には、心なしか落胆の影が差しているように見えた。
「謝る必要はありませんよ」
内心、胸をなで下ろす。ティアに嫌われるわけにはいかないのだ。それはアイナに対しても同じことが言える。
「私も初耳だったのだけれど。本当に最上級なの?」
アレクシアが疑わしげな視線を向ける。どうやら彼女も、普段のティアのどこか抜けた振る舞いを見て、まさかそれほどの高等技術を扱えるとは思っていなかったらしい。
「本当ですとも」
これ以上追及を続ければ、さらに場の空気が悪化しかねない。ここは早々に話題を切り替えるのが賢明だろう。
「あそこにある米菓、随分と美味しそうに見えませんか?」
視線の先にあるのは、前世でよく見かけた、あの甘じょっぱい粉がまぶされた懐かしい煎餅に酷似した菓子だった。空気を変えたいという意図もあったが、何より純粋に食べてみたいという欲求が勝ったのだ。
「あれは次の機会にしましょう。これからの旅路を考えれば、路銀を節約せねばなりませんから……」
「私もあれが食べたい」
「はぁ……駄目だと言っているでしょう」
「アレクシア。ここは大人しく、ティアの言う通りに節約すべきだと思うよ」
これ幸いと、アレクシアを合法的にからかう機会を逃さず、私は諭すような口調で割り込んだ。
「うん!」
意外なことに、アレクシアは素直に頷いた。幼い頃からずっと見守ってきたが、彼女も少しずつ分別が付く年齢になってきているらしい。四十を過ぎた前世の大人たちよりも物分かりが良い姿を見せられると、私の自尊心が些か複雑な声を上げる。
***
それから丸一日、私たちはただひたすらに歩き続けた。
結果として、私とアレクシアは完全に体力をすり減らし、地面にへたり込んだ。まるで干からびた雑草のような無様な有り様である。
「足が……一歩も動きません……」
「私とて同じです。ですが、ここで立ち止まるわけにはいきません。さあ、出発しますよ」
ティアが容赦なく先を急がせる。おいおい、そこの令嬢。いくら何でも、少々心が急ぎすぎているのではないか。
「少しだけでいい、眠らせてくれ……」
私は抵抗を試み、そのまま硬い地面へと身を横たえた。周囲に手頃な木陰もなかったため、転がっていた適当な小石を枕の代わりに頭を乗せる。深夜から夜通し歩き続けてきた反動が、強烈な睡魔となって視界を塗り潰そうとしていた。
「勝手にしなさい。その代わり、船内の客室でまともな寝台が確保できなくとも、私は一切関知しませんから」
その冷徹な一言に、私は重い身体を跳ね上げるようにして起こした。今ここで刹那の仮眠を取って疲労を誤魔化すか、それとも五体投地してでも歩き続け、船のふかふかな寝台を勝ち取るか。答えは明白だった。
「あと三十分も歩けば目的地に着きます。ところで、ユウカワは『水神語』を解することはできますか?」
「……いえ、まったく」
「アレクシアは?」
「ううん、無理」
「分かりました。交渉は全て私が引き受けます」
私たちは再び、重い足取りで歩みを再開した。果てしなく続く道程に、わずか三十分という時間が、まるで三時間にも匹敵する永劫の苦行のように感じられた。
やがて、ティアの足がひとつの活気ある港の片隅で止まった。周囲に屯している乗客らしき姿は、およそ二十人ほど。彼らの視線の先にある船が、私たちの長旅を支えるに足る巨大な船であることを切に願うばかりだ。
「――〇〇〇〇〇〇〇」
ティアが、豊かな髭を蓄えた年配の御用聞きに向かって、私には理解の及ばない未知の言語を流暢に操り始めた。これこそが、先ほど彼女が口にしていた水神語なのだろう。
「――〇〇〇〇〇〇〇! 〇〇〇〇〇. 〇〇〇〇?」
「――3〇〇〇」
男の問いかけに対し、ティアが最後に放った言葉。その語気と文脈から察するに、おそらく「間違いなく三名です」と告げたのだろう。言葉の意味は分からずとも、これまでの旅で培った勘が、その程度の状況把握を容易に可能にしていた。




