第39話:何一つ変わらない日常
ティアとアレクシアが目を覚ました。
二人が起きる時間は、いつもほとんど同じだ。
大抵は八時、遅くとも九時には起きてくる。
前世の私の起床時間は、午前六時だった。
毎朝六時になると『報酬』が届く。
それと同時に、私の生命エネルギー強制射出システムがオンになるのだ。
そのせいか、机の引き出しのひとつの区画は、常にティッシュペーパーで満ち満ちている。
これまで一体、どれほどの生命を排出してきたことか。
およそ一兆二百二十七億匹といったところか。
十四年間、欠かさず積み重ねてきた努力の結晶である。
「ユウカワ! ちょっと来て!」
声に答える代わりに、大人しくその指示に従って部屋を出た。
「何か用か」
「先生からお使いを頼まれたの」
アレクシアは鞄を探している最中だった。
少しばかり、多めの買い出しになる仕込みのようだ。
「何を買ってくればいいんだ」
「人参と、ピーマンと、ジャガイモ。たくさんね」
「なぜそんなに多く」
「さあね。そんなの私が知るわけないでしょ」
ピーマンという単語を耳にした瞬間、危うく嘔吐感を催すところだった。
私はあの緑色の野菜が、狂おしいほどに苦手なのだ。
「それから、下処理された牛肉も買ってきてって」
「お前一人で行けば済む話じゃないか?」
「……まあ、そうね。そうするわ」
あの天下のアレクシア大佐が、これほど素直に従うような殊勝な子供ではなかったはずだが。
まあ、こちらとしては手間が省けて好都合だ。
「そうか。なら一人で行ってくれ」
アレクシアがそれ以上、何か余計な言葉を付け足してくる前に、私は急いで自室へと引き返した。
すると、プラルが私のベッドの傍らに腰掛けていた。
一体、いつの間に侵入したのだろうか。
恐るべき敏捷性である。
「ティアが言ってたよ。今日はビーフシチューを食べるんだって」
「ティアではなく、先生、だろう」
間違った言葉遣いは、その場で正してやらねばならない。
それでこそ、気品のある立派な女性へと成長するものだ。
私は無作法な女というのは、些か肌に合わない性質なのでね。
「先生が言ってたよ。今日はビーフシチューを食べるんだって」
「よくできた」
褒められたプラルは、「へへっ」と小さく笑みをこぼした。
照れくさそうに頭を掻く仕草が、実にあざとく、そして愛らしい。
見目麗しいこの私に匹敵する可愛らしさだ。
いや、私以上に愛嬌がある。
私はあくまで端正な男であり、可愛い童ではないのだからな。
アレクシアが帰還するまで、酷く退屈だったため、ティアの相手をすることにした。
おそらく彼女も、手持ち無沙汰にしているに違いない。
「ティア」
配慮を交えつつ、静かにその扉を開けた。
「あっ、はい!」
奇妙な光景だった。
なぜティアは慌てて太腿から手を引き離し、衣服を整えたのだろうか。
……まさか、そういうことなのか。
「す、少しばかり、失礼して用を足してまいります」
事後処理のために席を外した、という方に全財産を賭けてもいい。
多感な時期の少女なのだ。
彼女は十八歳だろう?
前世の私は三十二歳だった。
三十二歳になってもなお、盛んに右手の封印を解き放っていたものだ。
「ゴホン」
ティアがわざとらしい咳払いをしながら、部屋に戻ってきた。
私は椅子に腰掛け、ティアはベッドに腰を下ろした。
「アレクシアとは同行しなかったのですか」
「一人で行くと言い張られましてね」
「本日は、ビーフシチューを嗜みながら、満天の星空を眺める予定なのです」
「それは随分と、風情のある趣向ですね」
「そうでしょう? 明後日にはこの地、イントゥーラスを発ってカーネギーへと向かいます。それに、本日はアレクシアの生誕の日でもありますから」
これで、アレクシアもようやく十歳の大台に乗るわけか。
「では、アレクシアもこれで十歳になるのですね」
「左様です。ですが、誕生日を迎えたからといって、すぐさま真の十歳となるわけではありません。そのように呼称するだけであり、正式に年齢を重ねるためには、さらに一年を費やす必要があります。私にしても、現在は十七歳という扱いなのです」
なるほど。
この世界で十年、いや、九年もの歳月を過ごしてきたが、初めて耳にする知識だった。
手元の書物には、そのような概念は一切記されていなかった。
「ほう、随分と特異な風習ですね」
「ユウカワは、初耳でしたか?」
「……ええ」
知らぬことが、それほど不自然なのだろうか。
「ふふっ。私の知識が、お役に立てたようで何よりです」
「ええ。大いに参考になりました。感謝します」
何のことはない。
ただ、私に褒められたかっただけなのだな。




