第36話:何一つ変わらない日常
「お腹がいっぱいです」
お腹に羊肉がパンパンに詰まったティアが、満足そうにふぅと息を吐いて呟いた。
「ものすごく美味しかったです!」
これだけ贅沢にご馳走をたらふく食べた後は、決まって強烈な眠気が容赦なく襲ってくる。いわゆる食後の睡魔というやつだ。身体がずっしりと重くなり、まぶたが今にもくっつきそうになっている。ここは少し、贅沢な昼寝の時間を心ゆくまで満喫することにしよう。
「私は部屋に戻って寝ます」
「それじゃあユウカワ、良い……昼下がりを。しっかり休んでくださいね」
「ありがとうございます」
重くなった身体を引きずるようにして自分の部屋へと入り、私は扉を閉めるなりベッドへと勢いよく飛び込んだ。スプリングが軋む音が心地よい。
だが、そのまま眠る前に、私はふと思い立ってベッドの下にある引き出しをごそごそと漁り始めた。奥のほうまで必死に手を伸ばす。
「確かに、隠し場所はここにあったはずなんだが……」
数秒の手探りの末、指先にプラスチックの感触が触れた。
見つけた! 私の宝物、サキュバスフィギュアだ!
その妖艶な後ろ姿と美しい鎖骨のライン、そして圧倒的な胸のボリュームとお尻のなだらかな曲線を眺めれば、間違いなく私の愛するサキュバスフィギュアである。よし、この素晴らしいディテールをじっくりと心ゆくまで観察し、目に焼き付けながら眠りに就くとしよう。
私は周囲を警戒しながら、その衣服のパーツを慎重に外してみた。
だが、残念ながら胸의先端までは表現されていなかった。これは少々、いや、大人の紳士としてはかなりがっかりだ。造形師の妥協を感じる。マイナス3点。
だが、それを補って余りある圧倒的な胸の大きさのおかげでプラス6点。
かつて前世の薄暗い部屋で、怪しげなビデオを見ながら乱暴に自家発電をして放出してしまった、あの生々しい興奮が少し足りないのが惜しまれる。実にお目にかかれなくて落胆だ。マイナス5点。
しかし、何よりも顔の造形が神がかっており、お尻の肉付きも飛び切り可愛いので、総合的にプラス10点。
「ふぁあ……」
限界だ、猛烈に眠い。まさにこの、意識がまどろんでいく瞬間が一番心地いい。今少しでも身体を動かせば、せっかくの心地よい眠気から再び覚醒してしまいそうだった。一度覚醒したら二度と戻れない。
「だが、こいつを箱の中に仕舞うべきか、それともこのままにしておくべきか……」
人生最大の難問だ。おそらく、将来ティアとアイナのどちらと結婚するかという究極の二択よりは遥かにイージーな悩みではあるが、睡魔のせいで思考が回らない頭には十分に難しい。結局、私は一番手軽で安全だと思われる、枕の下にそっと隠しておくことにした。これなら誰にも見つからない。
どれくらい眠っていただろうか。全身の節々が酷く痛む。どうやら寝る体勢を完全に間違えてしまったらしい。
私は嫌な予感がして、急いで枕を退けた。しかし、案の定、その下にはあるはずのサキュバスフィギュアの姿がなかった。冷や汗が一気に吹き出す。
「……あ、終わった」
ガチャン!
私はパニックになりながら、勢いよく部屋の扉を押し開けた。これほど乱暴に開けるつもりはなかったのだが、一刻を争う我がアイデンティティの緊急事態なのだから仕方がない。頼む、見間違いであってくれ。
「お兄ちゃん……これ、なぁに?」
廊下にいたのは、私の最愛の妹、プラェルだった。
驚いたことに、5歳の幼子であるプラェルが、私のあの妖艶で破廉恥でオーマイギャッドで破廉恥極まりないサキュバスフィギュアをその小さな手にしっかりと握りしめていた。世界が崩壊する音が聞こえた。
「お兄ちゃん……女の子が好きなんだね?」
「あ、いや。それは、その、断じて違うんだ。ちょっとした芸術品の観賞というか……」
「それなのに、どうして私のことは面倒くさがったの? 私、お兄ちゃんに撫でてって言ったのに、こればっかり見てる」
純粋な瞳で追及してくるプラェル。
あああ、申し訳ありません! 完全に私が悪かったです!
「お、お菓子をたくさんあげるから! お願いだから、その人形のことは他の人には絶対に秘密にしてくれ……!」
もし、もしこれをあのティアに知られでもしたら、将来の結婚計画どころか人としての信用が致命的に崩壊する。そして、あのじゃじゃ馬アレクシアにバレようものなら、一生の玩具として死ぬまで弄ばれ続けるだろう。神よ、なぜ私にこのような過酷で理不尽な試練をお与えになるのですか! 前世の引きこもり時代よりもピンチです!
「お菓子、いくつくれる?」
プラェルが不敵な笑みを浮かべた。5歳児とは思えない見事な交渉術だ。
私の部屋に、今どれだけの備蓄(サ탕)があっただろうか。脳内で高速で計算する。
「ええっと……10個! 10個あげるから!」
「約束だよ」
「あぁ、約束だ」
私たちはしっかりと小指を絡め合った。
こうして、一人の男の尊厳をかけた、あまりにも残酷な弱肉強食の交渉は幕を閉じた。




