第2話:黒薔薇の洗礼
「 一旦、受け入れることにした。 」
シルフィアのその魔法の提案に、俺は思わず息を呑んだ。
「 外でするの? 」
戸惑う俺の目の前で、重々しい邸宅の扉が開かれる。その瞬間、俺の身体は完全に硬直した。言いようのない恐怖が、前世の忌まわしい引きこもり時代の記憶と共に全身を駆け巡る。
「 家の中をめちゃくちゃにする気かい? 当然だろう。 」
母さんは平然と言い放ち、俺を外へと促した。
庭園へと一歩足を踏み出した瞬間、ナイフのように鋭い風が冷たく俺の肌を撫げ、厳かで、どこか圧倒的な気配が俺を包み込む。風の音に紛れて聞こえる、本当に小さな草木のそよぐ音。普段の俺なら絶対に気付かないはずのその音が、あまりにも感覚が過敏になっている今の俺には、心臓に直接響くほど大きく聞こえてきた。
過去から刻印された恐怖、それは隠し通すことができる。ライトノベルに出てくるような仮想世界の主人公なら、こんなものは簡単に克服するのだろう。しかし、ここは紛れもない現実の世界だ。俺は這い上がってくる恐怖を必死に押し殺し、一歩、さらに一歩、もう一歩と、重い足を前に進めた。俺の身体はついに、家から完全に抜け出した。
「 あれ? 」
見上げる空は、拍気抜けするほど平穏だった。少しは怖いけれど、これなら十分に乗り越えられる。
「 外に出るのが怖いの? 」
俺の様子をじっと見ていたシルフィアの問いに、俺は正直に答えた。
「 うん…… 」
「 近所のお散歩でもするかい? 」
俺はシルフィアの背中の後ろにぴったりと張り付くようにして、静かに道を歩き始めた。周囲を見渡しながら、俺は心の中で呟く。
「 人々が気にしてもいないじゃないか……? 」
それでも、依然として不気味だった。俺を見つめる他人の視線も、どこか冷たく感じられる。その時、俺の頭の上に温かい手がそっと置かれた。
「 どうだい、ユウカワ、怖くないだろう? 」
シルフィアの優しい声に、俺は緊張の糸を少しだけ緩め、そのまま持ってきた手帳を開いた。母さんは歩みを止めず、前を向いたまま語りかける。
「 魔法はこうやって手を広げて、詠唱をするんだよ。詠唱は意外と単純でね、水は氷弾、あるいは炎弾、土は土弾、土の応用技術は岩魔法の岩弾だよ。 」
俺はシルフィアの言葉を信じ、まずは俺の手札である氷弾を使ってみることにした。あぁ、この世界では水をそのまま飛ばすことはできず、凍らせて初めて飛ばすことができるらしい。つまり、水の魔法の本質は水そのものではなく、氷の魔法なのだ。前回の地獄のような暴走では失敗してしまったが、今度こそはちゃんと出てくれるだろうか。
俺は覚悟を決め、前方に右手を突き出した。
「 水魔法、氷弾! 」
プファアッーー!
俺の手首から、あの禍々しい黒いいばらが出現した。
「 やめて、止まってくれ! 」
予想外の事態に俺はどのようにすれば良いか分からず、ただ無様に手を振り回した。すると、いばらはさらに勢いを増して、四方から溢れ出てき始めたのだ。このままでは周囲を完全に飲み込んでしまう。その時だった。
「 神よ、その力を制するよう助けたまえ。デウス・チェイン! 」
シルフィアが凛とした声で、長く厳かな呪文を唱えた。その瞬間、暴走していたいばらの蔓は、まるで魔法に縛られたように静まり返り、吸い込まれるようにして再び俺の手首の中へと戻っていった。
「 フゥ…… 」
俺は胸を撫で下ろし、深い安堵のため息を漏らした。それを見たシルフィアは、真剣な眼差しで俺を見つめ、静かに告げた。
「 おそらく、お前は炎の魔法や土の魔法しか使えないだろう。 」
「 え? どうしてですか? 」
予想外の言葉に、俺は思わず聞き返した。
「 いばらの蔓は世に稀なる、500年周期で現れる希有な能力だから、決して人前で使ってはいけないよ。 」
「 なら、母さんはどうして驚かないんですか? 」
目の前で起きた悍ましい暴走を、あまりにも冷静に処理した母さんに、俺は純粋な疑問をぶつけた。すると、シルフィアは少し遠い目をしながら口を開いた。
「 よくお聞き。2000年前に、今へと繋がる四つの家系に驚くべき伝説がある。その四つの家系は互いに権力争いをする中で魔法が毀損され、そしてある日、家系の人々を虐殺したんだ。 」
母さんの口から語られる、世界の根幹を揺るがす衝撃的な歴史。心臓の鼓動が速くなるのを感じながら、俺は震える声で尋ねた。本には四つの家門が互いに共存していると書かれていた。
ソルンガード、バッツ、ラノス、シルフィード。
かつて、この四つの家門は激しい権力争いを繰り広げていた。しかしある日、ソルンガード家が「茨の力」を手に入れたことで均衡が崩れ、残り三つの家門の人々を無慈悲に虐殺した。
その暴走する力を辛うじて封印した、この世界の三大強者の一人、オジスチールはこう語った。
「茨の能力が再び発動すれば、世界滅亡が起きかねない。それゆえ、私がその力を封印した」
「そ、それじゃ、僕たちはソルンガード家だということですか……?」




