第26話:きゅうせいのきびょう
「やっぱりユウカワもお腹が空いているでしょう?」
アレクシアが私のお腹の音を聞きつけて、にやにやと笑いながら聞いてきた。
「……うん」
本当は強がりたかったが、胃袋の悲鳴を前にしては誤魔化しようがない。ガチで腹が減っている。
「食事は昼と夜の2回だけにします」
前方からティアの無慈悲な宣告が飛んできた。今はまだ朝だ。昼食にありつけるまでには、大体あと5時間ほど待たなければならない。あまりにも過酷な現実である。
「あ、それから。私の実家に少しだけ立ち寄ります」
その言葉に、私はふと疑問を抱いた。ティアのご両親って一体いくつくらいなんだろうか。カーナマンはまだ30代だ。バーツ家は『3年がこちらの1年』という特殊な時間感覚の家系らしいから、ご両親も相当若いに違いない。なんだか少し楽しみになってきた。いや、待て、なぜ他人の実家訪問に私がワクワクしているんだ? 落ち着け、私。
魔法陣の単調な空間の中で、三人で色々と他愛のない話をしながら時間を潰していると、5時間はあっという間に過ぎ去った。ちなみに、その雑談の最中、雰囲気に流されたティアがうっかり失言したおかげで、彼女がまだ『処女』であるという極秘情報をゲットしてしまった。実に美味しい収穫である。
「ここで降ります」
気づけば、私たちは見渡す限りの広大な荒野に到着していた。
「ティ、ティア?」
現れたのは、ティアと同じ美しい金色の瞳に、どこか青みがかった銀髪の持ち主である女性だった。……いや、お母さんと言うにはあまりにも若すぎる。まるで姉妹のようだ。
「戻ったわ」
「お、お前……一体、何年ぶりだい?」
「20年」
やれやれ。親に育ててもらった恩も忘れて、なんともぶっきらぼうな態度を取るじゃないか、我が先生は。これじゃあ典型的な思春期の反抗期少女そのものだ。
「ひとまず、家にお入り……」
「……長居はしない。杖を取りに来ただけだから」
最初からピリピリとした不穏な空気が漂っている。それにしても、ティアのお母さんはかなりの美人だ。前世の不純な知識が頭をよぎり、ティアとこの美魔女お母さんで『母娘丼』にしたら、さぞかし絶品だろうな……などと不届きな妄想が膨んでしまう。男の性とは恐ろしい。
案内されたのは、外見こそ古びて今にも崩れそうなハズレ物件のボロ家だった。しかし不思議なことに、一歩中へ足を踏み入れると、内装は信じられないほど高級感に溢れ、チリ一つなく綺麗に整えられていた。
「ティア……」
奥から一人の男性が現れた。この人がお母さんの旦那さん……つまりティアのお父さんか。これほどの美貌の神をこの世に生み出してくれた創造主だ、敬意を払って敬語を使わざるを得ない。そうでなければ人として無礼というものだ。
「……私の杖はどこにありますか?」
おっと。この家族、さっきから会話のキャッチボールが冷え切りすぎている。昔、盛大に大喧嘩でもしたのだろうか。なんとも言えない空気だ。
「あ、あそこにあるよ」
「では、さようなら」
用件を済ませるや否や、ティアはそれでも一応は挨拶を残して部屋を飛び出していった。私は場の空気を読んで、気まずそうにぺこりと小さく一礼して後に続く。しかし、空気の読めないじゃじゃ馬アレクシアだけは、底抜けに明るい笑顔で「さよならー!」と挨拶して出てきた。強心臓すぎるだろ。
「あのご両親とは、あまり仲が良くないのですか?」
少し歩いたところで、私は勇気を振り絞って尋ねてみた。しかし、返ってきたのは冷徹極まりない一言だった。
「……詮索しないでいただけますか」
「す、すみません……」
あまりの冷たさに、私は完全に心を折られて引き下がった。完全に地雷を踏んだな。ごめんなさい。
「ねえ、暇だしお米のお菓子でも食べる?」
この凍りついた空気をどうにか察したのか、アレクシアが空気を変えようと提案してきた。おいおい、こういう時だけは妙に察しが良いじゃないか。
「……いただきます」
ティアの表情が目に見えて和らいだ。実は、お米のお菓子はティアの大好物なのだ。アレクシアはそれを見越して声をかけたらしい。ナイスアシストだ。
アレクシアが猛ダッシュで近くの出店へ走り、お菓子を買ってきた。包み紙には『5個で石版画1銭』と書かれている。前世の感覚に換算すると1個あたり200円ほどか。意外と高級品だな。
「むにゃむにゃ……」
お菓子を口に放り込んだティアは、すっかり機嫌を直したようだ。リスのように頬張る姿が実に愛らしい。私も一口貰ってみよう。
バリボリッ、クァジジッ!
……うわ、噛み砕くたびに骨が折れるような凄まじい爆音が脳内に響く。ものすごく硬い。そしてこの味は……前世のハッ○ーターンの味に酷く似ている気がする。あの魔法の粉の味がするぞ。
「暑いです」
お煎餅を食べ終えたティアが、ふぅと息を吐いて上着を脱ぎ捨てた。その瞬間、衣服の隙間からなだらかな胸の谷間がチラリと露わになる。
ドクン、と私の下半身が元気よく反応を示した。うん、実に健康的な男子の身体だ。素晴らしい。
「あの、ちょっとトイレに行ってきてもいいですか?」
ダメだ、これは限界だ。自家発電で頭を冷やさなければ収まりがつかない。
「ええ、早く戻ってきてくださいね。30分後には次の魔法陣に乗りますから」
私はトイレに駆け込み、光速で用을済ませた。本来、10歳の身体ならまだあそこまで発育していないはずなのだが、この異世界の人類は成長が早いのか、普通に大人の階段を登りきってしまった。あの独特の匂いを消し去るのには随分と苦労させられた。異世界に転生して以来、ほぼ10年ぶりの至福の解放感は、脳が震えるほど爽快だった。しかし、アフターケア用のローションが手元にないのだけが悔やまれる。
「ユウカワ、何でそんなに遅かったのよ?」
戻ると、アレクシアが退屈そうに唇を尖らせて突っ込んできた。私は内心で冷や汗を流しながら、必死に言い訳をひねり出す。
「そ、その、あれだ。ちょっと……う、うんちが長引いて……」
頼む、これ以上深く突っ込まないでくれ……!
「なーんだ、うんちが長いなんて、このうんち垂れ流し男! ぶふぉっ?!」
調子に乗ったアレクシアの頭頂部に、ティアの容赦のない拳がキレイにクリーンヒットした。
痛みに悶えるアレクシアから「うぅん……っ」という、妙に女の子らしくて色っぽい声が漏れ聞こえる。だが、残念ながら今の私の下半身はすっかり鎮火しており、全く反応しなかった。私はそっちの趣味はないのだから。
私たちは急いで走った。魔法陣の出発時間に遅れてしまえば、プラェルを救うことはできなくなる。
待っていろ、プラェル。私の大切な妹のために、今すぐ助けに行くからな!
……と、心の中で熱く叫んでみたものの、我ながら少し厨病っぽかっただろうか。急に猛烈な自壊感が込み上げてくる。
それはそうと、おかしなことに気づいた。なぜ昼食を食べないのだろう。
「先生、お昼ご飯はどうするんですか?」
「……魔法陣の中で食べます」
なるほど。魔法陣の乗降場に到着するなり、私は渡されたお弁当をいそいそと引ったくるようにして開けた。
「ハンバーグステーキだ!!」
いや、よく見るとこれはハンバーグではなく、ウサギの肉だった。だが、それでも十分に美味しそうだ。肉の繊維の隙間にたっぷりと湛えられた肉汁。歯ごたえがありつつも、口の中でふんわりととろけるような絶妙なミディアムレア。これが不味いわけがない。私は貪るようにフォークで肉を突き刺し、一心不乱にウジャウジャと咀嚼した。
「…………」
ゴクリと飲み込み、数秒の沈黙。
やはり、私の予感は間違っていなかった。
「美味すぎる!!!!!」
思わず涙がちょちょ切れるほど美味しかった。
その様子を見て、ティアはどこか誇らしげにコクコクと何度も頷いている。……まさか、これってティアの手作りなのか? 胃袋を掴まれるとはこのことか。将来大きくなったら、絶対にティアと結婚しよう。いや、待て、私の正妻はアイナだったはずだ。だけど、二人とも甲乙つけがたい美少女だし……一体どちらを選べばいいんだ?! 実に贅沢で深刻な悩みに頭を抱えてしまう。
至福の飯を平らげた後、私は暇潰しに前世での人生映画の数々を思い返してみることにした。これが案外、退屈しのぎにはもってこいだった。
皆さんは『マンデラ効果』というものを知っているだろうか?
簡単に説明するなら、大勢の人間が事実とは異なる記憶を共有してしまう『集団的誤記憶現象』のことだ。前世の私は、このオカルトめいた雑学にすっかり嵌まっていた時期がある。
例えば、あの有名な『マトリ○ス』で主人公がのけ反って銃弾を避ける伝説の名シーンでは、誰もが脳内再生するあの有名なBGMは実は流れていなかったりする。さらに『ターミ○ーター2』のラストで、Tー800が親指を立てながら溶鉱炉に沈んでいくあの涙の場面。彼が最後に放ったセリフは、有名な「I'll be back」ではなく、実は「Good bye」だったのだ。人間の記憶なんて、本当に不思議で当てにならないものである。
そんな他愛もない前世の記憶を反芻しながら、私は魔法陣の中でぼんやりと虚空を見つめていた。
退屈な状況の中で、一人で勝手に面白い妄想をして時間を潰す。これこそが私の隠れた特技なのだ。……いや、これを特技と呼んでいいのかは甚だ疑問だけれど。




