第20話:きゅうせいのきびょう
ティアの部屋の扉を叩き、静かに中へと入った。
「ティア……」
「……はい、ユウカワさん」
明かりの消えかけた部屋で、私は彼女のベッドの傍らにそっと腰掛けた。
沈黙が二人の間に落ちる。私は膝の上で拳を握りしめた。
「どうすれば、いいでしょうか……」
大切な妹を失うわけにはいかない。絶対にだ。今の私には、カーナマンもいなければ、シルフィアもいない。残されたフレルだけは、この手がボロボロになってでも私が守らなければならないのだ。これが、兄としての責任、そして心構えというものなのだろうか。重圧がのしかかる。
「明日、出発しましょう」
私の悲痛な呟きに、ティアは毅然とした声で応えた。
「明日……ですか?」
「はい。一刻の猶予もありません。急を要する事態です。すぐにでもシムストンの薬草を探さなければなりませんから」
「……はい」
返事をしたものの、どうしても元気が出ない。こんな理不尽なことが現実に起きるなんて、夢にも思わなかった。一体全体、なぜあの子がそんな目に遭わなければならないのか。あの日行った市場のせいか? それとも、あの時食べたキャンディのせいか? 私が憧れ、夢にまで見た異世界は、こんなにも残酷で理不尽な場所ではなかったはずなのに。
*
その夜、私は酷い悪夢を見た。
目が覚めても強烈な吐き気が収まらない。胸の奥からせり上がる不快感に、今にも胃の中のものを戻してしまいそうだった。頭が割れるようにひどく痛む。最悪の目覚めだ。
「お兄ちゃん……よく、眠れましたか……?」
扉が開くと、青白い顔をしたフレルが無理に笑顔を作って立っていた。
「あぁ、フレル。……って、起きて大丈夫なのか? 無理はしないでくれ」
「昨日、ティアお姉ちゃんが教えてくれたんですけれど……。お兄ちゃんたち、私のために行ってくれるんですよね」
あぁ、ティアからすでに聞いていたのだな。隠し通せるものでもないが、胸が痛む。
「そうか。フレルはジフと一緒に家で待っていてくれ。私たちは必ず見つけて戻ってくるから」
「はぁい……いってらっしゃい、お兄ちゃん」
フレルが寂しそうに部屋から出て行った。残された私は、感傷を振り払うように荷支度を始め、旅の荷物を勢いよくまとめにかかった。
「……よし。うじうじしてても始まらない。やってやろうじゃないか」
気合を入れ直した、まさにその時だった。
ガチャッ——! と勢いよく扉が開く。
「ユウカワ、準備はできま——」
「キャァアアアホゥウウウ!!!」
あまりのタイミングに、心臓が口から飛び出るかと思うほど驚いた。
「っ、ちょっと! 人が着替えている最中ですよぉおお!」
「わ、私の不手際です! 申し訳ありません、ユカ……いえ、ユウカワさん!」
バタン! と凄まじい勢いで再び扉が閉まった。本当に肝が冷えた。
恥ずかしさで顔を真っ赤にしながら急いでボトムスを穿き直し、ようやく私、ティア、アレクシアの三人で一緒に外へと出た。
「私たちが探さなければならないのは、シムストンの薬草です。西の地方にあるそうですが、野生のものは私欲にまみれた商人がすべて刈り尽くしてしまって、普通の手順では手に入りません。そのため、この大陸にあるほぼすべての市場を泥臭く回る予定です」
ティアがこれからの道筋を説明する。私は即座に挙手した。
「私はティアと一緒に回ります。二人きりで!」
「……ダメです」
間髪入れずに却下され、同行していたアレクシアが目をゴロリと丸くした。
「え、なぜですか? 私はユウカワと行きたいのに」
「アレクシアはユウカワさんと一緒に行ってください。あちらのルートは特に危険ですから、あなたの力が必要なのです」
そう言って毅然と指示を出すティアだが……それにしても今日のティア、その服は少しHすぎやしないか? ボディラインが強調されていて目のやり場に困る。
(おいおい、他の男に襲われないように気をつけてくれよ〜? ティアの初相手は、この私がもらうはずなのだからな。もしも旅先でティアを襲う不届き者が現れたら、その野郎を地の果てまで追い詰めて絶対にぶっ殺してやる……!)
「はい、それではお元気で。私たちは時間との勝負です。20日以内には必ず見つけなければなりませんよ?」
ティアはそう言い残すと、くるりと背を向けた。
ちょっと待て。おいおいおい。一緒に旅をするわけではなかったのか!?
「あの、先生。一人で行くのは……その、怖くないのですか?」
思わず疑問が口を突いて出た。かつての弱気な彼女を知っているからこそ、一人になることがもう怖くはないのかと心配だった。……というか、正直なところ、突き放されて寂しがっている私の方が、少しメンヘラ気味になっている気がする。……いや、断じて違うけれど。
「ええ。私ももう17歳ですから。いつまでも甘えてばかりはいられません。克服しなければならないのです」
ティアは振り返り、少しだけ大人びた微笑みを浮かべた。その横顔に、私は気圧される。
「っ……はい! いってらっしゃいませ!」
こうして、妹の命を繋ぐための、20日間に及ぶ長い長い旅路が始まった。
アイナの努力
「よっ、こらしょ……っと!」
額に汗を浮かべながら、今日もお父さんの力仕事を手伝った。重い荷物を運ぶのはものすごく大変で、手は泥だらけだ。
でも、体がしんどくて挫けそうになるたびに、私の頭の中にいつも思い浮かぶ大切な人がいる。ユウカワだ。
「へへっ。ユウカワ……何してるかなぁ」
ユウカワの名前を小さく呟くだけで、なんだか不思議と胸の奥から元気が湧いてくる。私の最高のお守りだ。
「あらあら、そんなにユウカワくんのことが好きなの?」
近所の人にからかわれて、私は顔を赤くしながらも元気に頷いた。
「うん、うん! 大好き!」
将来大きくなったら、私は絶対にユウカワとお結婚するんだ。それはもう心に決めている。
……あ、でも、待って。もしユウカワが、私の知らない他の女の人を連れて帰ってきたらどうしよう?
そういえば、ソルンガルドでは奥さんが2人いるのは違法だと学校で聞いたことがある気がする。……うーん、まぁ、いっか! 法律なんて関係ない。ユウカワさえ私のそばにいてくれれば、私はそれだけで幸せだもん。
寝る時だって、毎晩のようにユウカワの夢を見る。そのたびに、起きたくなくなるほど幸せな気持ちになれる。
ユウカワは今、元気にしているかな? どこかで無茶をしていないか、少し心配だ。
最近、シルフィアお母様の身に起きたことを聞いた。本当に残念で、胸が締め付けられる。カーナマンお父様の消息も聞いた。何やら遠くへ旅に出たそうだ。みんなバラバラになってしまって、ユウカワは大丈夫だろうか。
「……お願いだから、ユウカワ。絶対に生きて、私のところに帰ってきてね?」
その頃、ユウカワは——
「はぁ、はぁ、はぁ……死ぬ、マジで死ぬ……っ」
「痛いなぁ! なんで殴るんだよ!」
「だからアレクシア、通りすがりのオジサンに無闇に突っかかっていくなと言っただろ!?」
旅の途中、アレクシアが街頭で怪しげなオジサンに因縁をつけ、逆に頭を拳でコツンと小突かれていた。激怒したアレクシアが「待てコラ!」と逃げるオジサンを追いかけようとしたが、旅の疲れのせいか力及ばず、空振りに終わって地団駄を踏んでいる。
まったく、こういう時のアレクシアは、ちょっと非好感……というか、ただの足手まといで好感度がガタ落ちだ。まぁ、元からじゃじゃ馬でそんな感じではあるけれど。
「ほら、追うのは諦めて宿に行くぞ」
紆余曲折を経て、ひとまず今夜の寝床だけは確保できた。
私たちの今の仕事は、朝の5時から午前10時までの早朝の間に、指定された手紙を各家庭へ配達する隠密(?)デリバリーだ。そうやって毎日泥臭く銅貨2枚を稼ぎ、なんとか最低限の寝床と、その日を生き延びるための食糧を確保している。
フレルのタイムリミットまで、あとわずか。私たちはまだ、世界の厳しさを知ったばかりだった。




