第14話:魔大陸イントゥーラス
予想通り、凄まじい人混みに膨れ上がった広場は、まさに阿鼻叫喚の地獄絵図だった。四方から押し寄せる荒い息遣いと揉み合いに流されていた、その瞬間。指先に、妙に柔らかくてぷにぷにした感触が触れた。
あっ、まさかおっぱいか……!?
そんな考えが脳裏をよぎる暇もなく、鋭い悲鳴が広場に響き渡った。
「どこ触ってんのよ、この変態野郎ーーーっ!!!」
パチンーーーっ!
激しい破裂音とともに首が横に吹っ飛んだ。口の中に血の味が広がり、頬がズキズキと熱くなる。異世界の人間って、なんでどいつもこいつも生まれつきこんな馬鹿力なんだよ。理不尽さに涙を呑みつつ、どうにか人混みを掻き分けてサラダを手に入れることに成功した。
「ありがとうございます、ユウカワ」
「いえ、どういたしまして」
ティアの感謝の言葉に、俺は引きつった笑みを返した。正直、これは心の底から感謝してもらいたい。花の十代で痴漢扱いされてビンタを喰らい、凄まじい汗臭さの中で命がけの争奪戦を繰り広げた成果なのだから。だが、隣にいたアレクシアの反応は違った。
「ちっともありがたくないわよ! なんでサラダがたったの一皿しかないわけ?」
「一人一皿までって数量が制限されてたんですよ。文句言わないでください」
「だったら、最初から私たちが三人だって言っておくべきでしょ!」
このわがまま女、いっそ一発殴ってやろうかという衝動がこみ上げてくる。俺は深呼吸をして、かろうじて理性を保った。
はは……アレクシア。俺が一人で行って三人分だなんて言い張って、あの人たちが大人しく信じてくれたと思う?
「ユウカワの言う通りですよ」
そこでようやく、ティアが俺の味方をして執り成してくれた。最初からそうやってフォローしてくれよ、人聞きが悪い。するとアレクシアは、さっきまで文句を垂れていたのが嘘のように態度を手のひら返しして、俺の腕にしがみついてきた。
「あ、もちろんよ! 当然ユウカワの言うことが百パーセント正しいわ。ねー、ユウカワ〜?」
満面の笑みを浮かべてはいたが、その目は正確に、ここで頷かなきゃぶち殺すという、凍りつくような警告を放っていた。ゾッとした。恐ろしい女だ。
結局、俺たちは胃もたれしそうな厳粛な空気の中、サラダを無理やり口へと押し込んだ。
「アレクシア、ゆっくり食べなさい。それじゃ喉に詰まらせるわよ」
ティアの忠告を無視するように、アレクシアはこれ見よがしにサラダをさらに大きく頬張った。大した意地っ張りだ。
「はぁ」
「あれ? ティアじゃない?」
騒々しい雑音を割って、聞き覚えのない声が割り込んできた。振り向くと、一人の男が歩み寄ってくるところだった。誰だ?
「あ、ジフさん!」
ティアが親しげに挨拶を交わすのを見るに、知り合いのようだ。ジフは俺たちを値踏みするように眺めると、豪快に笑って言った。
「よお。聞けばお前ら、家を失くしたんだって? よければ、俺が家を一軒譲ってやろうか?」
「本当ですか!? おじさん最高、ありがとうございます!」
アレクシアが目を輝かせながら、無邪気に食い気味で返事をしてしまった。心の中でげんこつを落とす。アレクシア、こういう時にお前が真っ先に返事するんじゃないって!
ジフは満足げにドンと胸を叩いた。
「よし! 俺についてきな!」
見返りも求めず、あっさりと家を差し出すなんて。これほど条件なしで施しができる人格者なら、日本のAO入試に突っ込んでも書類と面接をフリーパスで無血開城できるに違いない。
***
「へぇ……」
到着した場所を目にした瞬間、感嘆の声が漏れた。想像以上に立派な屋敷だった。後ろから聞こえるティアとジフの会話を盗み聞きすると、ジフが元々住んでいた家を買ったら、別邸が丸々一軒オマケで付いてきたらしい。とんだ不動産資産家だ。
屋敷の扉を開けて中に入ると、奥からトコトコと歩いてくる小さな人影が見えた。
「おかえりなさいまひぇー?」
陽の光を浴びたような、明るい茶髪。呆然とその子を見つめた。俺の髪色と完全に一致している。
ジフが少しトーンを落とした声で、その子の頭を撫でながら言った。
「……あ。この子はな……カーナマンの子だ」
「えっ!?」
心臓がドクンと跳ね上がった。あんなちっちゃい子が、俺の妹だって? 二人目が産まれたなんて話、一度も聞いたことがないぞ。困惑する俺を見て、ジフが説明を付け足した。
「それがな、原因ホールっていう不思議な現象があってな……とにかくカーナマンは、この子を俺に預けてまた旅に出ちまったんだ」
「どこへ……行ったんですか?」
唇が小刻みに震えた。不吉な予感が襲いかかる。まさか、シルフィアの時のように二度と戻ってこないんじゃないだろうか。
カーナマンとシルフィアは、俺にとって実의 親も同然の存在だった。前世の親がろくでもない人間のクズどもだったから、余計に特別に感じるのかもしれないが、断言できる。彼らは前世の親なんかより、遥かに偉大で温かい人たちだった。あの二人のおかえげで、今こうしてティアと幸せな日々を送れているし、可愛い幼馴染のアイナとも出会えた。
なのに、またしても別れだなんて。ダメだ。絶対にダメだ。
胃の底からせり上がってくる吐き気と眩暈をかろうじて堪え、俺は逃げるように適当な部屋の扉を開けて座り込んだ。
「ダメだ、頼むから……」
頭を抱えたまま椅子に座り、カーナマンが向かったであろう場所を必死に推測し始めた。
中央大陸のカーネギーか? 神聖帝国アスラン? それともイントゥーラスか? 複雑な思考が堂々巡りをし、頭が破裂しそうになっていた、その時だった。
ガチャリ……
静かに部屋の扉を開いた。顔を上げると、ドアの隙間からさっき見かけた明るい茶髪がひょっこり覗いていた。俺の二人目の妹、プレルだった。
「あ……どうしたんだ、プレル?」
「おにーたん。キャンディ、あるぅー?」
語尾を長く引き延ばす喋り方が、無性に愛らしかった。
「あ、うん。ここにあるよ」
俺はポケットを探り、さっきジフからもらったキャンディを取り出した。中央大陸カーネギーから渡ってきた貴重なキャンディだ。キラキラした包装紙をプレルに手渡すと、子供の顔がパッと华やいだ。
「わぁ! おにーたん、しゅごーい!」
プレルは子犬のように、俺の腕に柔らかい頬をすりすり寄せてくると、そのまま軽々と俺の膝の上へとよじ登って座った。
「プレル、おにーたんが世界でいっちばんちゅき! へへっ」
心臓がとろけそうな気分だった。理不尽なまでに可愛い。もちろん、俺の心の中で不動の一位であるアイナほどではないが、それでも噛み締めたくなるほど愛おしい。俺は衝動を抑えきれず、子供のぷにぷにとした頬に軽くキスをした。
「おにーたん! ありがとぉ〜」
不安で染まっていた部屋の中に、小さな温もりが満ちていく。プレルの愛らしい寝息を聴きながら、俺たち兄妹はお互いを抱きしめたまま、ささやかに深い眠りへと落ちていった。
……あ、ちなみに付け加えておくと。このプレルという少女は、俺の髪色を完璧に受け継いだ、紛れもない実の妹である。つまり、いくら可愛かろうが、この異世界においてすら家族間の線を越えた愛は、厳然たる違法なのだ。




