第三章:バズの翌朝
スマホの画面に表示された「通知」の赤い数字は、もはや二桁や三桁では収まらなかった。
「……ねえ、これ、どういうこと?」
夜の食卓で、京華が呆然とスマホを差し出した。
先週末、何気なく投稿したあの浜辺の動画が、アルゴリズムの気まぐれな波に乗り、数百万回再生を記録していた。
コメント欄には「癒やされる」「こんな家族になりたかった」と、見知らぬ人々のコメントが溢れている。
「一時のバズだよ。ネットなんて水物だから、すぐに風化するさ」
宏樹はそう言いながらも、どこか悪い気はしなかった。
だが、その夜、夫婦で話し合ったのは「この現象」についてだった。
「この地方じゃ、私のパートなんて時給もたかが知れてる。知花も真人もまだ小さいし、急に働きに出るのも……」
京華が伏し目がちに呟く。
彼女の中に、少しだけ生活への不安と、隠し持っていた「何かを変えたい」という欲が芽生えていた。
「少しでも収入が増えるなら、家族で動画を撮るのも、思い出作りにはなるかな」
そんな軽い気持ちだった。
いつもの日常を切り取り、たまに投稿する。
「bike_chika_masato」という名前はそのままに、少しだけ構成を意識した動画を上げ始めた。
予想は裏切られた。
投稿するたびに再生数は伸び、数ヶ月後にはフォロワーが5万人を超えた。
広告収益という新しい「家計の潤い」が見え始めると、彼らはもう後戻りできなかった。
「次は知花のダンス動画がいいんじゃない?」
「知花、これ使ってメイク紹介できる?」
最初はただの「家族の思い出」だったはずのカメラは、いつしか「視聴者の期待に応えるためのツール」へと変貌していた。
特に知花の出演回の再生数が突出だった。
彼女の無邪気な笑顔、ふとした瞬間の大人びた表情、画面越しに響く澄んだ歌声。
知花が動画の中で踊り、流行りのコスメを紹介し、商品を熱心にレビューするたび、コメント欄は爆発的な熱狂に包まれた。
「ちかちゃん、可愛い!」
「憧れの存在です!」
学校に行けば、クラスメイトや近所の人々が「ちかちゃん、動画見たよ!」と声をかけてくる。
彼女は地元で知らない者はいない、いわば「小さなスター」になった。
宏樹はカメラのレンズ越しに、自分の娘がどんどん遠くへ行ってしまうような、それでいて手の中で確実に増えていく数字に酔いしれていた。
「宏樹さん、今月の収益……また増えてる」
京華の言葉に、二人は顔を見合わせる。
そこにはもう、かつての公園で写真を撮って満足していた風景好きの父と、温かい食卓を守る母の姿はなかった。
彼らは「家族」というブランドを確立し、その頂点に知花を据えた。
知花が笑えば家計が潤う。
知花が踊れば再生数が伸びる。
その心地よい麻薬のような熱狂の中で、誰も気づいていなかったのだ。




