第二十一話 消せない真実
大尉の目に写ったもの、それはバウムガルトナー少尉のキャミソールの開いた背中の部分から見える白くなめらかな絹のような肌に刻まれた数多の裂傷の古傷だった。
皮膚を限界まで引き伸ばして割いたような痛々しい裂傷が刷られたように重なって見える。
幼い身体に見える重々しい傷という正反対の物が重なり、それが事の重大さを物語る。
「…俺のつけた傷か……」
「……寒いのでとりあえず浴室に行きましょう」
少尉は淡々とシュヴァルツ大尉を誘った。もはや大尉の心にはやましい気持ちなんぞ1ミリも湧いてこない、ただただ現実に打ちひしがれていた。
宿の浴室は簡素だった。
仕切りの置かれた脱衣所と、そして石鹸やシャンプーの置かれた風呂場にはあたたかそうな湯気を立たせる浴槽が置いてあった。
二人は少ししんみりとした雰囲気のまま脱衣所で軍服と下着を脱ぎ、そして石鹸で泡立った湯船に浸かると双方自分の身体をゆっくり触って極楽を堪能した。
少しだけ雰囲気は温まったが、やはり少尉の傷が気がかりだ。
「…少尉、怒ってるいるのか?」
「ん?まさか、怒ってなんていませんよ、それに誘ったのは私じゃないですか」
「それはそうだけども…」
少尉はニコッと笑顔を見せてくれた。
「傷は滲みないのか?」
「ええ、跡だけですよ、ほら」
くるりと背中を見せてくれた。やはり近くで見るとより痛々しい。
大尉はそんな傷跡に触れぬようそっと、申し訳無さそうに背中をなでた。
「私はですね、大尉の事を生まれ変わったと思っています」
「えっ……」
「明らかに違いますもん、あの日、大尉が野戦病院に運ばれていった日から。口調も態度も、性格も頭脳も全くの別人、だから今の大尉に罪なんかありませんよ。私は昔の大尉は嫌いでも、今の大尉は大好きです」
少尉の顔は見えなかった。だが泡だらけの湯船の中にいる少女の背中からは憎悪といった感情は大尉には読み取れなかった。
(そうだ、俺がなんで…この小森宅朗がなぜこの異世界にやってきたかわかった、俺は…俺はこの少女を地獄から救うためにやってきたんだ。鬼の獄卒のような大尉になぜ俺が転生しなきゃいけなかったのかようやくわかった)
大尉はようやく、自分が異世界に転生してきた意義が理解した。虐げていた無能の大尉に宅朗が転生した意義がようやく。
「ちょ…いつまで背中触っているんですか…!くすぐったいですよっ」
「あぁ…!悪い!つい…」
「ふふっ、そういうところも含めて全部変わりましたね」
「……!バウムガルトナー……」
いつしか無意識的に少尉の背中に額をくっつけて震えるようなか細い声でつぶやいた。
「俺を…信頼してくれてありがとう」
少尉の顔は笑っていた。その笑顔を天使と言わずしてなんと例えられようか。
もう夜も深い。
すっかり日は暮れて帝都の夜の底は異様な程冷え切って静かだった。
二人はいつもの堅苦しそうな野戦服ではなく可愛らしい白いネグリジェという寝間着を身に着けていた。
窓から射し込む月光が宿の寝室を浮かび上がらせるとそこにはすでに就寝状態に入った大尉たちがいた。
「わざわざ二つベッドあるのに一緒に寝たいだなんて変ですね大尉は」
「…言うなよ、俺がなんで一緒に寝たいかわかるくせに」
一つのベッドの上でシーツをかぶせて顔を見合わせて身を寄せ合っている二人の少女、お互いの顔は月の寂光に照らされ陶器の様な張りを見せる。
「久しいな…こんなに安心して寝られる夜があるなんて」
「ふふっ、そうですね。いつも夜襲に怯える毎日でしたからね」
大尉はしばらくすると少し頬を赤らめて、もじもじしながら恥ずかしそうに言った。
「あのな、今日はお前に抱きついて寝てもいいか…?なんか…まだ寂しくて…」
「…甘えん坊さんなんですね。いいですよ、ぎゅ〜ってしてあげます、どうぞ大尉」
「……」
「どうしました?」
「……休暇の最後ぐらい階級で呼ばないでくれ」
突然の要求に一瞬に戸惑うも彼女は笑ってすんなり受け入れた。
「しょうがないですねぇ、じゃあシュヴァルツさん」
「シュヴァルツ!」
「はいはい、冗談ですよ、ほらおいでシュヴァルツ」
「んっ……」
幼児みたくむぎゅっとバウムガルトナーの胸に顔を埋めた大尉はそのまま安心しきったのかすやすやと寝息を立てて夢へと旅立つのを少尉は頭をなでなでして促した。
「大尉はいつも頑張っててえらいですね、大尉が一番頑張っていますよ。兵隊を率いて活躍するなんて大尉にしかできないことですよ、すごいですね。
貴方の指揮力はシュヴァルツに使える私の自慢であり誇りです。
大尉の髪は艶やかですね。肌も美しいですし、よく手入れしててえらいです。ずっと触っていたいぐらい、可愛いです…本当に愛らしい、愛しいです」
耳元でそう囁いているうちに大尉はすっかり眠りについてしまった。
こうして二人の休暇は終わりを告げた。
夜も明け街に朝日が降り注ぐ。
寝間着から軍服に着換え、そして窓を開けると涼しい風が舞い込んで来ては髪をなびかせた。
「いい朝だ。戻るか、戦場に」
また戻らねばならない。平穏無事でなはいものの、少なくともあの地獄よりはいくらかマシな首都を離れて。
「そういえば、俺に家族はいるのかな、場所がわかれば会いに行きたかったが」
「シュヴァルツ大尉が身内について話すことは殆どありませんでした、連絡している様子もなかったので色々あったんでしょう」
「…そうか、天涯孤独か、異世界でも」
「いいえ、私がいます。貴方の事を真に思っているのは血ではなく心で繋がった家族、私だけですよ」
「…いい奴だな、お前」
「こんなこと言うのは大尉だけですけどね」
支度を済ますと宿を出て路駐させていた運転手付きの専用車の後部座席に乗り込んだ。
「それじゃ出発しますよ」
「急いでくれ」
街を走らす自動車は中心部を離れて高速道路に乗ってどんどん辺鄙な片田舎に移った。
「すごいな、高速道路に乗ると景色がどんどん変わっていく」
「週末はみーんな大衆車に乗って出かけるんですよ、この道路からはどこへでも行けます」
「そうなのか、行き先が戦場じゃなくて湖とかならなぁ気分も晴れると言うのにさ」
次第に景色は人一人いない緑一色に囲まれる。それと同時に一本道に友軍の検問が見えた。
兵士に停止させられるという大尉は言う。
「運転手、お前はもう帰っていいぞ、こっから先の安全は保証できない」
その一言だけ言って大尉と少尉が降りると運転手は巧妙なテクニックでUターンさせて来た道を戻っていった。
大尉と少尉は味方の軍用車キューベルワーゲンに載せられてようやく基地へと到着した。
幸い襲撃もなく数日前と同じ様子である。
「おおー!帰ってきたかシュヴァルツ大尉!いやはや、どうかね久しぶりの平穏無事は?帝都は良かったろ?」
笑顔で出迎えてくたれたのはフィールドマップを片手に持ったアーデルハイド少佐だ。
「なんだなんだ馴れ馴れしい、土産なんかないぞ、慰問品で十分だろう」
「全く、休暇をとって帝都に戻れるありがたみがわかってないな君は、君の休暇はこの前の霧雨作戦での功績を鑑みての特別なものだ、もう銃後には戻れない、贅沢なものたくさん食べたりできたかと聞きたいだけだ」
「そうか、ならその心配は杞憂だ、その贅沢なものとやらは翌日糞として出てくるぜ」
「あっはっは!余裕が出てきたな!」
大尉と少佐は仲睦まじそうに笑っていた。
「これを見てくれ」
「これはフィールドマップか」
「そうだ、ここが作戦目標のフンドール。作戦の変更点は都市奪還から敵の殲滅に切り替えられた。総司令官のベッケンバウアーが総統を説得して渋々受け入れてくれたらしい、苦しかったろうなぁあいつ、総統の手を噛むのは」
「…それで?」
「君の助言をもとに推敲した。まず第20歩兵大隊が中隊規模に分かれて砲兵や戦車の支援を受けて市の南側から市街に突入し、敵の前線を突破しそのまま後方部隊ヘめがけ攻撃を続け、敵を瓦解、そして散り散りになった兵を殺しながら抵抗が激しい中央部を最終目標に据えた、途中空軍からの輸送支援をもらって万全の状態で常に進軍を続ける」
「なるほど素晴らしいな。この作戦、俺たちの勝ちだ」
少佐の見せる地図には目標や攻撃進路が書き加えられている。
するとそこにKar98kの小銃を杖に足腰がガクガクの状態のハーン曹長が老人のように歩いてきた。
「じ、自分の偵察のおかげっスからね…ちゃんと言われた通り毎日偵察してきて敵の状況を逐一報告したんスから」
「そうか、今日も偵察あがりかお疲れ様だ」
「じゃ、お土産は自分に…」
「明日までまて、ちょうど糞が出る」
「ちょっ…!食べる前のやつでお願いするっス!」
集まった四人は和やかな談笑で笑いに包まれた。
「ところで作戦実行日はいつですか?少佐」
「ああ、3日後の早朝だ」
ツァーンラント作戦の実行日が判明した。敵も味方も本気で戦う決戦日、長期戦になることぐらい、大尉には容易に想像できた。
平穏の終わりは近い。
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【補足】
この物語は史実である第二次世界大戦時の独ソ戦(1941〜1945)辺りの時代背景を下敷きの異世界でドイツ国とソ連がモチーフの国との戦争を生き抜く物語です。
登場する兵器や軍服などは名前が出ているものは実際に大戦で使われた物であり、調べていただきながらお読みいただくとより一層楽しめるかと思います୧( ˵ ° ~ ° ˵ )୨




