第二十二話 決断のとき
その翌日、ハーン曹長は部下の一等兵を引き連れてフンドールの偵察任務を行っていた。
茂みに隠れながら移動し、森を抜けて見下ろすと荒廃した終末の街が広がっていた。
「しかしひどい有様っスね」
曹長は双眼鏡を取り出して敵の様子をしばらく探る。
「ちょっと持ってて」
中腰の彼女が隣で這っている一等兵に双眼鏡を手渡すと彼はレンズを覗き込んで曹長の目の代わりをする。
「敵に動きあり、あれは…榴弾砲です、一門、二門…次々馬に牽かれて道を通っています」
おもむろにメモ帳を取り出して一等兵の言葉を速筆で紙面に書き連ねる。
「ういっス、キナ臭いっスねぇ…他は〜?」
「ええっと…」
なにか言葉を発しようとした瞬間、それは一発の銃声とともに起こった。
「え…?」
響き渡った銃声のあとには驚いて飛び立つ野鳥の羽ばたきが聞こえる。
隣を見るとすでに一等兵は双眼鏡を突き破って右目の眼窩に命中した凶弾によって事切れていた。ただ無念そうに右目からは血の涙を流す遺体と成れ果てた。
その後、悲しみに浸かる暇もなく軍犬の鳴き声が迫ってきた。
「軍犬だ!曹長!場所がバレたんだ!」
「クッ…仕方がない!撤退するぞ!」
二人は立ち上がりすぐさま来た道とは別の方向に逃亡する。これは敵が足跡を追って基地までたどり着かせることを防ぐ意味がある、だがそれは同時に基地への未帰還を前提とした決死の行動だ。
だが軍犬は逃げる獲物に着々と近づいてついに一等兵のふくらはぎにがぶりと噛み付いた。
「ぐあぁッ!クソッ!離せ…ッ!!」
「一等兵!待ってろ、すぐにその犬を射殺してやるっス!」
軍犬を追って敵の兵士も続々と近づいてくる。
「いたぞ!捕まえろ!!」
「曹長!あなたは捕まってはだめだ!!俺が時間を稼ぐ!絶対に任務を果たすんだ!!」
「…ッ!だが…!」
「早くしろッ!!どっちみち逃げられねぇ!早く!!」
曹長は決断した。くるりと踵を返して背を向けて走り出した。一心不乱に逃亡する彼女の顔は伺いしれなかったが、戦友を助けることのできなかった悔しさからか、つぅっと一筋の涙が頬を伝った。
パンッと一発、腰のワルサーを抜いて軍犬の頭部を撃つと蝉穴に吸い込まれるようなか細い悲鳴を上げて死に絶えた。
「来やがれ!てめぇらの敵は俺じゃぁぁぁーーッ!!」
ワルサーを乱射して迫る敵軍を弾幕で牽制するも長くは待たなかった。もはやぐちゃぐちゃにされ血がにじみ出る足では立つことさえできなかった。
「あぁ…畜生、捕まってたまるか」
残弾があるうちに、一等兵はこめかみに加熱した銃口を押し付ける。皮膚の焼ける感覚を味わったあと、彼は自らの意思で引き金を引いた。
捕虜となって情報を引き出されないように、との最後の敵兵への抵抗だった。
一方逃亡している曹長を追って行く軍犬をそれを連れた兵士足跡を辿って居場所を探る。
「おい、ここから足跡が途切れているぞ」
「ちょっと来てくれ!茂みの中に軍靴が捨ててある!足跡がつかないように靴下で逃げてやがるぞ!」
「はン、馬鹿が、匂いのついたものを自分から捨てるとは。犬に嗅がせろ!必ず見つけてやる!!」
軍犬は地面に鼻を擦り当てながら曹長を追って行くがたどり着いたのは自然豊かな森の奥、鏡のように静止した水面の池があるだけの未踏の場所だった。
「この馬鹿犬がッ!!いねぇじゃねえか役立つの穀潰しがッ!」
兵士の一人が靴底で軍犬を蹴り上げると諦めてもと来た道を引き返していった。
見つけられるわけがなかったのだ。
ブクブクと水面が泡立ってそこから水草をまとった曹長が顔を出した。
「水の中じゃ匂いはわからないっスね、早く基地に帰らなきゃ」
その頃、基地の外の草原で兵士たちは作戦実行に向けて筋トレで身体を仕上げたり、兵器を磨いたり、しおれたケシモクの様な貧相なタバコをありがたく吸ったりして団らんしていた。
「よーい…ドンッ!!」
バウムガルトナー少尉の掛け声と共にシュヴァルツ大尉と男の兵士が走り出し速さを競っていた。
初めは距離を取られていた大尉も終盤になると追い上げて男と並んで走る。
「速い速い!もはや独走状態!シュヴァルツ!足色は衰えません!そのままゴーールッ!!」
大尉が先にゴールすると余興を見に集まっていた少人数の兵士たちからパチパチと拍手が送られた。その中にはアーデルハイドも体育座りで見てくれていた。
「いやぁ〜…年甲斐もなく楽しんでしまったな」
「まだ17だろう」
「あはは、そうだったそうだった」
するとその余興に思わぬ乱入者が現れた。何を隠そう、すなわち偵察から帰還したハーン曹長なのだ。
「ハーンか!よく帰ってきた!」
大尉の笑顔の歓迎にも答えずふらふらと歩く曹長はそのままガックリと膝から崩れ落ちた。
「だ、大丈夫かハーン!?」
「大尉…申し訳ないっス…偵察、失敗しました…」
「……そうか、連れの一等兵が見えない事が気にかかったが、あえて聞かねぇ」
「仲間をおいてきたのか!曹長の風上にも置けん!」
「盾にしたに違いないぞ!女はずる賢いからな!」
次々後ろから野次が飛んでくるが、大尉はそれを諌める。
「お前ら黙れ!感情で口を動かすな馬鹿どもが!
…ハーン、まずは落ち着いて何があったかを離せ」
大尉に抱きかかえられるような形になった曹長は語る。
「まず双眼鏡を使って偵察していたらいきなり銃声が…それで一人が即死したっス…目を撃ち抜かれて」
「その男が双眼鏡を持っていたのか」
「はい…自分の目の代わりにもたせました……」
大尉は少し気まずそうな顔をして言う。
「凄腕の狙撃兵だ、おそらく双眼鏡のレンズの反射を見て位置を特定したんだろう。太陽の位置を考えて場所を取らないからだ…なんて説教垂れてもしょうがない。なにか得たものはあるか?」
「うっス…敵の様子が少しおかしいっス、兵士の移動が多く、砲が列をなして運ばれていました」
その一言で、大尉のみならず周りで聞いていた兵士たちは戦慄したような青ざめた表情を浮かべた。
「それは本当か!だとしたらまずい!敵が動き始めたということはフンドールを拠点に黒逸に侵攻作戦を執るかもしれない!そうなれば敵を包囲して叩く事ができなくなる!私たちの歯車作戦は敵の戦力があの都市に集中していることが前提なのだからな!」
ざわめつく兵士たち、しかし大尉は慌てず騒がず、静かに状況を分析する。
「敵より早い行動が必要になるな、もう悠長に待ってられねぇ。今夜、作戦を開始しよう」
突然の提案に誰もが幻聴かと耳を疑った。
「大尉!?正気ですか!?」
バウムガルトナーも思わず訪ねたが大尉の気は変わらない。
「明後日でも明日でも今夜でも変わらねぇよ。
俺には打算がある。最近夜風が強い、そのせいで草木がなびいていつも耳障りだと思っていた、今夜だってきっとそうだ。その騒音の中ならば戦車の走行音も歩兵の進軍も気づかれないかもしれない、悪くない環境だろうが」
アーデルハイド少佐もそれに乗っかって賛同する。
「確かに、すでに戦闘の準備はできている、今夜実行でも何ら問題はない。あとは君たち黒逸兵士に戦う覚悟があるかどうか、だろ?大尉」
「あぁ、都市にはびこる敵の殲滅、それが少佐率いる大隊に課せられたまさに戦況を分かつ運命の作戦。
一つ欠ければすべてが崩れ去る歯車仕掛けの精密な作戦」
だがしかし、兵士たちはその提案に否定的だ。表情を見ればすぐにわかる。
大尉は木箱に飛び乗って兵士たちに囲まれながら両の手を振るってこう説得をした。
「諸君、私は戦争が好きだ」
その発言に兵士たちの視線は一気に大尉に釘付けになる。
「戦場の空気が好きだ。砲撃の音が好きだ。爆撃が好きだ。銃剣突撃が好きだ。空から降り注ぐ1トン爆弾が好きだ。狂ったように撃ちまくる銃弾が好きだ。断末魔の声が好きだ。悲鳴が好きだ。散弾銃の引き金を引いた時の反動が好きだ。機関銃を撃ち続けた後の静寂が好きだ。銃剣を構えて走り寄ってくる敵兵の表情が好きだ。
そして何より戦争犯罪者たちによる戦争行為のための戦争が大好きだ」
大尉はまるで悪魔が乗り移ったかのように激しい口調で演説をし始めた。
その魅惑的な饒舌に皆心を惹かれていく。
「捕虜たちを苛め抜きながら殺してみたいか?死にゆく敵兵を拷問しながら殺してみたいか?味方殺しをしながら殺してみたいか?強姦しながら殺してみたいか?降伏を受け付けず皆殺しにしてみたいか?赤ん坊を肉塊に変えた時の胸糞を味わいたくはないか?
泣き叫び許しを請う敵を追い詰め、絶望的な状況で無意味に死んでいく敵兵をいたぶる悦びを知っている。敵の痛みは皆の快楽だ、お前たちの私讐を肥やしに肥え太ったアカ豚どもの土手っ腹を掻っ切りたくはないか?」
その悪魔的単語を並べた演説は続く。
「斬るたびに私の中の何かが生まれた。撃つたびに私の中で誰かが死んだ。
現実を投げつけられ、敗北を吐きかけられ 汚物を塗りたくられる、それでも怯まず向かってくる敵兵のなんと素晴らしいことか。敵兵を殺すためだけに敵兵に殺される そんな戦争は素晴らしくないか?
まともでなくなれッ!英雄ども!この作戦の成功は個人一人一人の働きにかかっている!なんとしても勝利し、栄光を手に入れろ!!」
その演説に兵士たちはすっかりと戦意も湧き上がり、一種の熱狂に包まれた。
「すごい…!あれが、彼女が黒い怪物と呼ばれる由縁…!
彼女は知っている、どういう言葉が軍人に刺さるのかを。雰囲気を一気に、コペルニクス的に動かして、戦勝という一つの目標を打ち立てて集団をまとめる…ほんとに…恐ろしい悪魔だよ君は」
少佐は心底恐ろしく感じたが、同時に頼もしくも感じた不思議な表情で大尉を見上げていた。
だが少し複雑な心境だった。
ヘルダーリン総統のその姿が重なったのだ。
第二章 完。
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【補足】
この物語は史実である第二次世界大戦時の独ソ戦(1941〜1945)辺りの時代背景を下敷きの異世界でドイツ国とソ連がモチーフの国との戦争を生き抜く物語です。
登場する兵器や軍服などは名前が出ているものは実際に大戦で使われた物であり、調べていただきながらお読みいただくとより一層楽しめるかと思います୧( ˵ ° ~ ° ˵ )୨




