↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
理論上、肉体で解決します ~悪役貴族に転生した頭脳派、計算するとだいたい自分が重機になる~  作者: にじいろウニ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
4/29

第4話 土が硬い

 鉄の棒は、指三本分しか刺さらなかった。


 ロウェンは西畑に膝をついて、地面に突き立てた棒を見下ろしていた。鍛冶屋に打たせた、長さ一メートルほどの細い鉄の棒だ。体重を乗せずに片手で押し込めば、普通の畑なら半分近くまで沈む。


 指三本分。およそ五センチ。


 場所を変えてもう一度刺しても、やっぱり同じところで止まった。石に当たった手応えではない。土そのものが、カチカチに締まった粘土の塊みたいに押し返してくるのだ。


 大荷車での運搬は、この三週間で七往復になっていた。道はようやく乾き始め、昨日はハロルドの荷馬車が二台、初めて峠を越えてきた。蔵の数字は減るのをやめ、少しずつ増え始めている。ロウェンが峠に張りついている理由は、もうなくなった。


 だから今日は、西畑に来た。


「若様が、何のご用で」


 畑の縁の石垣に、男が四人並んでいた。先頭は日に焼けた四十前後の男で、肩が厚く、指が太い。この近くに住む農夫のトーマだ。ガレスに頼んで呼んでもらったのだが、後ろの三人は呼んだ覚えがない。心配してついてきたのだろう。


 彼らはロウェンから、石垣一つ分の距離を空けていた。怖い若様に近寄りすぎないための、村の知恵みたいな距離だった。


「この畑を、もう一度使えるようにしたい」


 トーマの後ろの若い男が、小さく鼻で笑った。トーマがすかさずその男の足を踏んだのが、ロウェンの位置からもよく見えた。


「……使えるなら、とっくに使ってますよ」


 トーマの声は丁寧だった。その丁寧さがロウェンに、領民との距離を思い知らせていた。


 すると、さっき笑った若い男が、もう我慢できないという顔で口を開いた。


「だいたい、若様に畑のことなんか分かるのかよ。去年の秋、若様の狩りの馬が、うちの冬麦の畑を真ん中から踏み荒らしていったんだぞ。芽が出たばっかりだったのに、笑いながら!」


「おい」


 トーマが低い声で止めた。ほかの二人の顔から、さっと血の気が引く。領主の息子に向かって言っていい言葉ではない。前のロウェンがこういう時に何を言い、何をさせてきたか――記憶を探るまでもなく、四人の顔に全部書いてあった。


 ロウェンは、その踏み荒らした畑のことを思い出そうとした。


 何も出てこなかった。覚えてすらいないほど、どうでもいいことだったのだろう。そのことが、何を言われるより重かった。


「……それは、すまなかった」


 若い男が、口を開けたまま固まった。トーマも、残りの二人も、動かなかった。石垣の上を風が渡って、枯れ草がさらさらと鳴る。


 やがて若い男は、ぷいと顔を背けた。


「……謝ったって、あの麦は戻らねえよ」


 吐き捨てるように言うと、石垣から飛び降りて、村のほうへ歩いていってしまった。トーマが呼び止めかけて、やめた。


 まあ、そうなる。謝って済むなら、村の人たちは最初から石垣一つ分も離れて立っていない。


「埋め合わせになるかは分からないが、この畑で返したい。だから教えてくれ。なぜ使えない」


 トーマはロウェンの顔を見つめたまま、ひと呼吸置いてから答えた。


「……硬いからです」


「その硬さを、実際にやってみせてくれないか」



                ◇ ◇ ◇



 残った男の一人が村へ走り、牛を二頭と、ありふれた木の犂を引いて戻ってきた。刃は薄い鉄板を打ちつけただけの、どこの村でも使っている型だ。


 トーマが柄を握り、連れてきた男が牛の鼻綱を引く。牛が歩き出すと、犂の刃は枯れ草の上に斜めに乗り、そのまま地面の表面をするすると滑っていった。時々根の層に引っかかっては跳ね、そのたびに柄が暴れてトーマの腕が振り回される。十メートルほど進んだところで、牛が首を振って足を止めた。


 牛のほうが先に、この勝負は無駄だと悟ったらしい。


 後に残ったのは、草の表面をこすった白っぽい筋が一本だけだった。


「これが、この畑です」


 トーマは痺れた指を何度も握り直した。ロウェンがしゃがんで筋の跡をなぞってみると、根の層は削れてさえいない。押しつぶされた草が、ちょっと寝ているだけだった。


 トーマの話は、途中からだんだん長くなった。


 十年前に日照りが二年続き、西畑の麦が立ち枯れた。人手が足りなくなり、その間に村の牛が半分に減った。耕せなくなった畑には羊飼いが羊を放すようになり、羊は草を食べ、蹄で地面を踏み固めた。草は根を張り、根は年ごとに厚くなり――そうして、踏み固められた土の上に、根の絡まった草の層ができあがったのだという。


「鍬じゃ跳ね返されます。普通の犂でも、今ご覧になったとおりで」


 ロウェンは小刀で、足元の草の塊を四角く切り出してみた。表面から深さ十センチほどが、細い根で編んだ敷物のようになっている。その下の土は色が濃くて、指でつまむとほろりと崩れた。


 根の層の下は、ちゃんと生きている土だった。


 つまりこの畑に足りないのは、広さでも肥えた土でもない。上に被さった十センチの蓋を、剥がす手段だ。


「下は柔らかいな」


「二十センチも掘ればね。そこまで届く犂がないんです」


「どこに行けばある」


 トーマは少し黙った。


「……じいさんの代に荒れ地を起こすのに使った、重い犂なら村の納屋に。刃が厚くて、深く入る。ただ、あれは牛を八頭並べて引く代物です。今の村には、牛が三頭しかいない」


 ロウェンは立ち上がり、歩数を数えながら畑を端から端まで歩いた。縦がおよそ八百歩、横が六百歩と少し。一歩を七十センチとすれば、二十三ヘクタールあまり。石垣の外にも同じような土地が続いていて、全部合わせれば四十ヘクタール近い。


「牛八頭で重い犂を引いて、一日にどれだけ起こせる」


「土がこれだと、朝から晩までやって……あの杭のあたりまでですかね」


 トーマが指さした杭まで歩数で測ると、およそ三千平方メートル。一日〇・三ヘクタール。四十ヘクタールなら百三十日を超える。春蒔きの大麦と豆に間に合わせるには、あと二十日ほどで起こし終えなければならない。


 二十日で終わらせるには、牛八頭の組が七つ要る。五十六頭。


 村には、三頭。


 普通のやり方では、どこをどう削っても届かない計算だった。



                ◇ ◇ ◇



「種は足りるのか」


 畑の縁に戻って、ロウェンは石垣に腰掛けていたフィオナに声をかけた。彼女は膝に帳面を広げ、さっきからずっと何かを書いている。トーマたちの話が始まってから、一度も口を挟んでいなかった。


「足りるよ。ハロルドさんから麦を買う時に、大麦と豆の種も上乗せしておいたの。この辺りの畑を起こすって話になるかもしれないと思って」


「いつから」


「最初の手紙の時から」


 帳面から顔も上げずに言う。


「牛は無理。村の三頭を集めても一組にもならないし、隣の村から借りるお金もない。人を雇って鍬で起こすなら、四十ヘクタールで……」


 鉛筆の尻で、帳面の数字をひとつずつ叩いていく。


「村じゅうの男を集めても、蒔きどきには半分も終わらない」


「そうだろうな」


「で、ロウェンは今、何を考えてるの」


 ロウェンは答えず、トーマのほうに向き直った。


「その重い犂を見せてくれ。刃の厚さと、牛の引き綱をどこに掛けるのかを知りたい」


 トーマは少し黙ってから、ロウェンの目を見て言った。


「……畑を起こすって話なら、手は貸します。ただ、若様のためじゃありません。麦のためです。そこだけは、はき違えないでください」


「それでいい」


 トーマは肩透かしを食ったような顔をして、それでも「こちらです」と村のほうを示した。後ろの二人もついてくる。石垣一つ分の距離は、そのまま一緒についてきた。


 村は、西畑から歩いてすぐだった。藁屋根の家が二十軒ほど、井戸を囲むように寄り集まっている。鶏が道の真ん中をのんびり横切り、軒先の玉葱の束が風に揺れていた。戸口から子供の顔がひょいひょい覗いては、引っ込む。領主の息子が村の中を歩くのは、よほどの珍事らしい。


 村の入口に、膝くらいの高さの小さな石の祠があった。その前に、麦藁で編んだ人形が一体供えてある。腰に、色の褪せた赤い布切れが巻かれていた。


「去年の刈り入れで、最後の束を編んだやつです」とトーマが言った。「春の種蒔きの朝に、畑で燃やすんですよ。灰を撒いて、今年もよろしく頼むって。……この何年かは燃やす畑が少なくて、ずいぶん小さい人形ばかりでしたが」


 藁の人形は、両手を広げたような形に編まれていた。


 納屋へ向かう村の道で、フィオナが歩きながら言った。


「そういえば、胸像。古物商にちゃんと届いたか、昨日確かめてきたよ。溶かす前に、台座の金文字の写しも取ってもらった」


「……なぜ写しを」


「あとで『売った覚えはない』って言われた時のため」


「俺は、まだ信用がないな」


「うん、まだない」


 即答だった。二度目である。


 それからフィオナは、横目でロウェンを見上げた。


「……ねえ。まさかとは思うけど」


「何だ」


「犂も、引くつもりでしょ」


 ロウェンは少し驚いた。まだ何も言っていない。


「聡いな。流石だ」


「やっぱり……」


 フィオナは前を向いたまま、帳面を胸に抱え直した。呆れているのか面白がっているのか、横顔からはよく分からなかった。


 少し前を歩いていたトーマが振り返り、今のやり取りが何の話なのか測りかねる顔で、二人を見比べていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。