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理論上、肉体で解決します ~悪役貴族に転生した頭脳派、計算するとだいたい自分が重機になる~  作者: にじいろウニ


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第30話 領都拡張

「番号を振りましょう」


 石工の親方は、南の門の柱を見上げたまま言った。


 ロウェンが「壁を動かす」と言い出した翌日、親方は弟子を連れて、壁の端から端まで歩いた。歩きながら、ときどき石を掌で叩き、目地に指を入れて、黙って頷いていた。


「壁の石を、上から一つずつ外していく。外す前に、一つずつ番号を墨で書いて、どこにあったかを紙に写す。新しい場所で、同じ番号の順に積み直す。そうすれば壁は、今とまったく同じ顔で、外側に立ちます」


「……できるか」


「わしの爺さんの頃に、南の町の教会を、そうやって川向こうへ移したことがあるそうです。三年かかったと聞いてますがね」


 親方は、ちらりとロウェンを見た。


「三年のうち二年半は、石を運んでたらしいですよ」


 動かすのは、南側と東側の壁だった。長さは合わせて三百八十メートル。石の数は、親方と弟子が数えて、二千六百と少し。それを、今の壁から六十メートル外側へ移す。南の門は、柱も、紋章の石も、そのまま新しい壁に据え直す。ただし幅を倍にして、荷車が二台すれ違えるようにする。


 フィオナの地図の、途切れていた線がつながった。


                ◇ ◇ ◇


 番号を書く係は、作業場で石に墨を入れていたあの男の子だった。


 秋に、崩れた足場の脇で尻もちをついて泣いた子だ。冬の間に、墨の字はずいぶん上手くなっていた。男の子は弟子と並んで壁の前に立ち、外す石の一つずつに、決められたとおりの番号を書いていった。


 外すのは、村の男たちと新しく来た男たちの仕事だった。足場は大工が組み、見張りと笛は、いつものとおりバルガスが決めた。外した石を新しい壁の場所まで運ぶのが、ロウェンの仕事だった。


 二日目に、ロウェンは石を一度に六つ担いで運んだ。


 新しい壁の場所で石を下ろすと、番号を読んでいた男の子が、紙と石を見比べて、眉を寄せた。


「若様」


「何だ」


「四十二番と、七十一番と、百三番が、一緒に来てます。……順番に持ってきてください。積む人が困ります」


 ロウェンは、黙って七十一番と百三番を担ぎ直して、元の場所へ戻しに行った。


 後ろで、弟子が笑いをこらえている気配がした。


 それからは、石は番号の順に、二つずつ運ぶことになった。二つずつでも、一日に運べる数は村の男たちが荷車で運ぶ数の十倍を超えた。新しい壁の場所では、親方が紙を見ながら一つずつ石を据え、弟子と、作業場で石の削り方を覚えた男たちが、その間を漆喰で埋めていく。前からの住民と新しい住民が同じ足場に並んで、同じ壁を積んでいた。


 壁の外で暮らしていた家の人たちは、毎日、仕事の合間に工事を見に来た。自分たちの小屋が、少しずつ壁の内側に入っていくのを見に来るのだ。革職人の妻は、それまで広場の井戸に近づかなかったが、壁の工事が半分を過ぎたあたりから、朝の井戸の列に並ぶようになった。列の前の女に、釣瓶の縄の癖を教わっている姿を、ロウェンは一度だけ見かけた。


                ◇ ◇ ◇


 門を動かす日は、朝から人が集まった。


 前からの住民も、新しく来た住民も、仕事の手を止めて、南の門のまわりに輪を作っていた。野菜売りの女は、店を出すのを二の鐘より遅らせてまで見に来ていた。


 最初に外すのは、門の上の、紋章の石だった。


 大工が組んだ足場の上から、親方と弟子が目地の漆喰を少しずつ削り、ロウェンが下から石を受ける。石は、一つで大人十人分ほどの重さがあった。ロウェンは魔力を全身に巡らせて、それを胸の前で抱えたまま、ゆっくりと足場を下りた。


 下で待っていたガレスが、一歩前に出た。


 ガレスは、ロウェンの腕の中の石に刻まれた紋章を、しばらく黙って見ていた。それから、懐から布を出して、紋章の溝に溜まった二百年分の土埃を、丁寧に拭った。拭い終えると、布をたたんで懐にしまい、何も言わずに一歩下がった。


 ロウェンも、何も言わなかった。


 紋章の石は、その日の夕方、新しい南の門の上に据わった。倍の幅になった門の、ちょうど真ん中の上だ。親方が糸を張って傾きを確かめ、弟子が目地に漆喰を詰めていく。最後の漆喰が詰め終わるまで、ガレスは門の下を動かなかった。


 次は、柱の石だった。子供の背丈の傷が、何十本も刻まれた石だ。ロウェンがそれを抱えて新しい門の場所へ歩き出すと、集まった人たちが、ぞろぞろと後ろについてきた。六十メートルの間、誰も喋らなかった。


 新しい門の柱として石が据わると、野菜売りの女が進み出て、傷の一つを指でなぞった。自分の傷らしかった。


 その女の足元を、小さな女の子がすり抜けていった。冬の井戸の前で、ロウェンが家くらい大きいかと訊いた、新しく来た家の子だ。女の子は柱の前に立って、背伸びをした。


「ねえ、あたしも、ここに印つけてもらえる?」


 その女の子の母親が、青い顔で娘の手を引こうとした。


 それより先に、野菜売りの女が、腰の小刀を抜いた。


「五つになってるかい」


「六つ」


「なら、ちょっと遅いね。まっすぐ立って。かかと、柱につけて」


 小刀が、石の上に細い線を一本刻んだ。女の子は振り返って、自分の線を見上げた。線の横には、まだ名前がない。女の子の母親が、野菜売りの女に何度も頭を下げていた。


                ◇ ◇ ◇


 壁を移し終えたのは、四十一日目の夕方だった。


 新しい壁の内側には、秋から建てた家の区画と、作業場と、荷車を停める広い空き地が収まった。倍の幅になった南の門からは、荷車が入ってくる。東の門からは、荷車が出ていく。東の門の先には、ハルト領の宿場町へ続く新しい道が延びていた。十日前に、両側からつながったばかりだ。


 古い壁があった場所には、土台の石の跡が、一本の線になって残っていた。フィオナの地図では、そこはそのまま、町を東西に抜ける新しい通りになる。親方は、土台の石だけは抜かずに残しておこうと言った。通りを歩く者が、昔の町の大きさを足の裏で覚えておけるように、と。


 ロウェンは、新しい壁の上に立って、領都を見下ろした。


 原作のロウェンは、去年の秋を境に、破滅へ向かい始めた。食べ物が尽きて人が逃げ、空き家に盗人が住みつき、治安が荒れて、三年のうちに領地が立ち行かなくなるはずだった。


 今、壁の内側には、逃げた人ではなく、来た人がいる。戻ってきた家と、よそから来た家が、同じ井戸の当番をして、同じ浴場で同じことを「熱い」と言っている。原作のどこにも、こんな領地は出てこなかった。


 ここはもう、あの小説の中のグレイヴ領ではない。


「ロウェン」


 壁の下から、フィオナが呼んだ。帳面を抱えている。いつものように、新しい頁に、何か見出しを書いてきたのだろう。


 ロウェンが壁から下りようとした時、南の門のほうで、ざわめきが起きた。


 新しい門を、最初にくぐる一団がいた。


 騎馬が五騎。先頭の騎手が掲げた旗には、ロウェンにも見覚えのある紋章が縫い取られていた。去年の夏、監察官の到着を告げる封書に押されていたのと、同じ紋章だ。


 先頭の男は、門の内側で馬を止め、よく通る声で言った。


「グレイヴ伯爵の代行、ロウェン・グレイヴ殿はおられるか。――国王陛下の命により、王都への参上を求める」

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