第28話 騎士団の訓練
倒れた新入りは、訓練場の脇の小屋で、藁の上に寝かされていた。
十七になったばかりの、ひょろりとした若者だった。秋の終わりに南から来た家の次男で、名前はニコという。顔は紙のように白く、毛布を二枚かけているのに、歯がかちかちと鳴っていた。額には汗が浮いている。寒いのか暑いのか、本人にも分からないらしい。
「魔力の使いすぎだ」
バルガスが、小屋の戸口で腕を組んだまま言った。
「朝から、ずっと使ってたらしい。昼飯も食わずにな」
「何をしていた」
「丸太を、一人で担ごうとしてた」
バルガスは、そこでちらりとロウェンを見た。
「若様が、一人で柱を担いで運んでるのを見たんだとよ。騎士になりゃ、自分もあれができるようになると思ったらしい」
藁の上のニコが、うっすらと目を開けた。ロウェンの顔が見えたらしく、慌てて起き上がろうとして、そのまま藁の上に崩れ落ちた。
「寝ていろ」
「……す、すみません……若様みたいに……なりたくて……」
なりたくて、倒れた。
ニコの母親が小屋の外で待っていた。秋に家族で南から来て、今は作業場で漆喰を練っている女だ。ロウェンが小屋から出ると、母親は一歩下がりかけて、それから踏みとどまって、深く頭を下げた。
「うちの子が、ご迷惑を……」
「迷惑ではない」
ロウェンはそう言ってから、少し考えて付け加えた。
「真似をする相手を、間違えただけだ」
母親は顔を上げて、ロウェンの顔をまじまじと見た。それが慰めなのか、何なのか、決めかねているような顔だった。言ったロウェン自身、どちらのつもりだったのか、うまく説明できなかった。
◇ ◇ ◇
ニコは、温めた山羊の乳と、ミラの堅パンをスープでふやかしたものを腹に入れ、夕方には自分の足で家へ帰っていった。
その夜、ロウェンはバルガスと二人で、騎士隊の詰め所に残った。
「新入りが入ってから、倒れたのはニコで三人目だ」
バルガスは、火のそばで太い指を折った。
「前の二人は、剣の稽古の最中だった。倒れるまではいかなくても、稽古のあとで一日使い物にならなくなる奴は、もっといる。……俺らの若い頃は、そういうもんだと言われてた。倒れるまでやって、倒れたら起きて、またやる」
「それで、強くなったか」
「なった奴もいる。辞めた奴のほうが多いがな」
バルガスは、火をじっと見ていた。
「戦場で最初に倒れるのは、いちばん弱い奴じゃねえ。いちばん先に使い切った奴だ。俺は、それを見てきた。なのに、訓練のやり方は昔のままだった」
「お前も、倒れたことがあるのか」
「新入りの年に、四回くらい」
バルガスは、火に薪を一本足した。
「四回目の時、当時の隊長に言われた。お前は倒れるのが上手いな、ってな。……褒められたと思って、その晩は嬉しくて眠れなかった。次の日、稽古でまた倒れた」
それが五回目だった、とバルガスは付け加えなかった。付け加えなかったので、ロウェンも数えなかった。
ロウェンは、紙を一枚取った。
身体強化の魔力は、使えば使うほど減る。減りきれば、ニコのように倒れる。使わずに休めば、少しずつ戻る。どれだけ使えば減りきるのか、どれだけ休めば戻るのかは、人によって違うはずだ。
「一人ずつ、測る」
「……測る?」
「砂時計を使う。洪水の夜と同じだ」
◇ ◇ ◇
翌日から、訓練場の様子が変わった。
騎士たちが一人ずつ、魔力を込めて砂袋を持ち上げる。砂時計をひっくり返し、手が震え始めたところで砂の残りを読む。それから砂袋を下ろして休み、息が整い、手の震えが収まるまでを、もう一度砂時計で測る。刻みを読むのは、洪水の夜に杭を読んでいた、あの若い騎士の役目になった。
測ってみると、差は思っていたよりずっと大きかった。
砂時計一回分で手が震える者もいれば、四回分もつ者もいる。休んで戻るまでにかかる時間も、ばらばらだった。そして、前の晩によく眠った者と、朝飯をしっかり食べた者は、そうでない者よりはっきり長くもった。
騎士たちは、自分の数字を知りたがった。砂時計三回分の者は二回分の者に胸を張り、二回分の者は、朝飯を二杯食べてから測り直させてくれと頼みに来た。測り直すと、本当に少し延びた。その日から、騎士隊の朝飯の鍋は一つ増えた。
ロウェンとバルガスは、その数字をもとに訓練を組み直した。
魔力を使うのは、一人ずつ決めた砂時計の回数まで。使ったら、必ず同じだけ休む。使わない時間には、足運びと、剣の型と、隊列の組み方をやる。魔力を使うのは、本当に要る一瞬だけにする練習だ。昼飯は、全員が食べ終わるまで訓練を始めない。夜は、見張り番の者以外、日が落ちて二刻のうちに寝る。
「寝るのも、訓練ですか」
騎士の一人が、半信半疑で訊いた。
「訓練だ」
ロウェンが答えると、バルガスが横から付け加えた。
「寝坊は訓練違反だ」
◇ ◇ ◇
問題が一つだけ残った。見本である。
新しい訓練を始めるにあたって、バルガスが「一度、若様が見本を見せてくれ」と言い出したのだ。どのくらい使って、どのくらい休めばいいのか、目で見せたほうが新入りには早い、と。
ロウェンは砂袋を持ち上げ、魔力を巡らせた。若い騎士が、砂時計をひっくり返した。
砂が落ちきった。ひっくり返した。
また落ちきった。ひっくり返した。
騎士たちが、最初は真面目な顔で、やがて少しずつ落ち着かない顔で、砂時計とロウェンを見比べ始めた。八回目をひっくり返したあたりで、若い騎士の声が小さくなった。十二回目で、誰も数を口にしなくなった。ロウェンの手は、まだ少しも震えていなかった。
「……若様」
バルガスが、ゆっくりと手を上げた。
「もういい。……いや、いいっつうか、その、何だ」
バルガスは、しばらく言葉を探してから、はっきりと言った。
「若様は、今後、訓練場で見本を見せるのは禁止だ」
「……では、俺は何をすればいい」
「砂時計を、ひっくり返しててくれ」
その日から、訓練場の隅の台の前が、ロウェンの持ち場になった。砂時計が三つ並んでいて、ロウェンは騎士たちの名前を呼びながら、それを順番にひっくり返す。
藁の上から起き上がったニコも、七日後には訓練に戻ってきた。ニコの決まりは、砂時計二回分。ニコは、ロウェンの台の前を通るたびに、ちょっと悔しそうな顔をしてから、きちんと休んだ。
ニコの三つ上の兄も、ニコが倒れたと聞いて、作業場の仕事を早めに切り上げて見に来ていた。兄は訓練場の柵にもたれて、砂時計の前できちんと休んでいる弟を、腕を組んで眺めていた。帰りがけに、ロウェンの台の前で足を止めて、「あいつ、家では若様の真似して、薪を一度に十本運ぼうとするんです」と言った。
「何本なら運べる」
「四本です」
「なら、四本だ」
兄は、なぜか笑いながら帰っていった。
隊の中で、倒れる者はいなくなった。そのかわり、昼飯の量が倍になり、会計を任されているフィオナが帳簿の前で頭を抱えた。
冬は、そうして終わっていった。
◇ ◇ ◇
雪が解け始めた、ある朝のことだった。館の門を出たロウェンは、領都の南の門のほうから、牛の鳴き声と、人の怒鳴り声が折り重なって聞こえてくるのに気がついた。
門の前の道が、荷車で埋まっていた。




