第23話 職人不足
ロウェンが駆けつけた時、建てかけの家の前には白い土埃がまだ漂っていた。
壁の脇に組んであった足場が、横倒しになっていた。丸太を縄で縛っただけの足場で、上の板に積んであった壁の石が、地面にばらばらに散らばっている。その石の山から、手を伸ばせば届くくらいのところに、男の子が一人、尻もちをついていた。
八つか九つくらいだろうか。空になった水桶を抱えたまま、口を開けて固まっている。
「怪我は」
ロウェンがしゃがんで訊くと、男の子はロウェンの顔を見上げ、それから足場の残骸を見て、最後にもう一度ロウェンの顔を見た。
そして、泣いた。
足場が倒れた時ではなく、ロウェンの顔を見てから泣いた。順番としては、少し納得がいかなかった。
母親が人垣をかき分けて飛んできて、男の子を抱き上げた。膝を擦りむいただけで、ほかに傷はない。男の子は、壁を積んでいる大人たちに水を運んでいたのだという。足場が倒れたのは、男の子が桶を置いて、足場の下をくぐり抜けようとした、ちょうどその時だった。
あと一歩、奥にいたら……。
ロウェンは、散らばった石の一つを拾い上げた。ひと抱えある壁の石だ。子供の頭の上に落ちれば、どうなるかは計算するまでもなかった。
◇ ◇ ◇
石工の親方は、倒れた足場の縄の結び目を一つずつ確かめてから、深い溜め息をついた。
「結び方が、なってません。これじゃ、揺れるたびに少しずつ緩む。それに、上に石を積みすぎです。足場は人が乗るもので、石置き場じゃない」
この家を建てていたのは職人ではなかった。
秋の終わりから、領都には人が増えていた。冬の間に出ていった家が戻ってきただけではない。新しい道と宿と堅パンの噂を聞いて、よその土地から仕事を探しに来た家族もいる。その人たちが住む家が要る。家を建てるには、石工と大工が要る。
ところが、領都の石工は親方と弟子の二人だけで、大工は三人しかいない。小麦袋亭と新しい倉の仕事が終わるなり、親方のところには「うちも建ててくれ」という頼みが十七軒分も来ていた。順番を待ちきれない家は、見よう見まねで自分たちで建て始めていた。
「わしらが見て回れるのは、せいぜい三軒ほどです。残りの十四軒は、こういう足場で、こういう積み方をしてる」
親方は、倒れた足場を顎で指した。
「職人を増やせばいい、なんて言わんでくださいよ。石工は、一人前になるのに十年かかる。十年待てる家は、ここには一軒もない」
「……なら、俺が全部建てる」
ロウェンが言うと、親方は即座に首を振った。
「若様が十七軒建てたら、十八軒目はどうするんです。春にはもっと人が来ますよ」
横で聞いていた弟子が、鑿の刃を拭きながら付け加えた。
「それに、若様が積んだ壁は、たぶん真っすぐにはなりません。小麦袋亭の土台の石、指一本ずれてたって聞きました」
あの話は、もう現場じゅうに広まっているようだった。
◇ ◇ ◇
翌日、ロウェンは、親方が見ている三軒の現場を、朝から晩まで見て回った。
親方は、一日じゅう忙しかった。ただ、忙しさの中身が妙だった。朝のうちは、ただの壁の石を、一つずつ形を揃えて削っている。昼は、弟子と二人で土台の大石を梃子で動かそうとして、半刻かけて五十センチ動かした。角の石を組み始めたのは、日が傾いてからだった。大工も同じで、梁の継ぎ目を刻んでいたのは一日のうちのわずかな間だけ。残りは、材木を担いで、現場と材木置き場を行ったり来たりしていた。
職人でなければできない仕事は、一日のうちの、ほんの一部だった。残りは、重いだけの仕事と、手間がかかるだけの仕事だ。重いだけの仕事なら、ロウェンのほうが早い。手間がかかるだけの仕事なら、やり方さえ覚えれば、村の男たちでもできる。
親方が一日に三軒しか見られないのは、腕が足りないからではなかった。腕の要らない仕事で、手がふさがっているからだった。
◇ ◇ ◇
「全部の家を、同じ形にする」
翌朝、ロウェンが紙を広げると、親方と大工たちは揃って眉を寄せた。
「間口も、奥行きも、窓の数も同じ。そうすれば、壁の石は三種類の大きさで足りる。梁も二種類の長さで充分だ。広場の北に作業場を作って、そこで石と梁を、先にまとめて切っておく」
親方は紙を睨んで唸っていたが、最後に、ふんと鼻を鳴らした。
「石の形を揃えるだけなら、型板を作ればいい。板を石の大きさに切って、それに合わせて削らせる。……素人でも、三日教えればなんとかなる」
大工が、梁の図を指で叩いた。
「足場は、俺たちが組みます。同じ形の足場を三組作って、家から家へ使い回す。素人には足場を組ませない。それだけは譲れません」
ロウェンは頷いた。それから、もう一つ書き足した。
「現場ごとに、見張りを一人。笛を持たせる」
峠の工事で、バルガスが毎朝決めていたやり方だ。笛が鳴ったら、全員が決められた方向へ走る。子供は、足場から五メートル以内に入れない。
◇ ◇ ◇
作業場ができたのは、それから四日後だった。
広場の北の空き地に屋根だけの小屋が並び、その下で村の男たちと、新しく来た男たちが、型板を当てて石を削っていた。弟子が見回って、角が欠けた石を容赦なく脇へ避ける。避けられた石は、土台の詰め石に回された。無駄になる石は、一つもなかった。
教えるのは、主に弟子の役目だった。弟子は、村の男たちにも新しく来た男たちにも同じ言い方で教えた。鑿は石の目に沿って当てる。槌は腕で振らずに、肘から先で落とす。型板の角と石の角が合ったら、それ以上は削らない。
「削りすぎた石は、もう戻りません。木は継げますけど、石は継げない」
最初の三日で、削りすぎた石が山になった。五日目には、その山がほとんど増えなくなった。七日目には、南から来た男の一人が、弟子より早く一つを仕上げた。弟子は黙ってその石を型板に当て、ぐるりと一周確かめてから、自分の石置き場の隣に置いた。それが、その男への一番の褒め言葉だったらしい。
ロウェンも、最初は石を削る側に入った。
型板を当てて、鑿を構えて、槌を振り下ろす。
石が、二つに割れた。
もう一つ、試した。石は三つに割れた。
「若様」
弟子が、割れた石を拾い上げながら言った。
「若様の仕事はあっちです」
指の先には、切り終えた石が山になっていた。それを各現場まで運ぶのが、ロウェンの仕事になった。
ひと月後、作業場の脇の地面には、同じ大きさの石と同じ長さの梁が、きれいに列を作って並んでいた。現場では、親方が角の石を組み、大工が梁を刻み、村の男たちが真ん中の壁を積み、ロウェンが梁を上げる。笛は三度鳴ったが、三度とも、崩れたのは積みかけの漆喰の端だけだった。
建った家は、九軒になった。前のやり方なら、三軒がやっとだったはずだ。
あの男の子は、今は作業場の端で、型板の前に座っていた。水運びの代わりに、石に墨で番号を書く係をもらったらしい。ロウェンが石を取りに行くたびに、少しだけ身構えるが、もう泣きはしない。
大きな前進だった。
その日の夕方、最後の石を運び終えたロウェンが広場を通りかかると、井戸のまわりに人垣ができていた。
「あとから来た者が、なんで先に汲むんだよ!」
「朝からずっと並んでたんだ! あんたたちが割り込んだんだろうが!」
桶が一つ、石畳の上を転がっていった。




