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理論上、肉体で解決します ~悪役貴族に転生した頭脳派、計算するとだいたい自分が重機になる~  作者: にじいろウニ


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第13話 馬で上れる坂

 ロウェンの両手は、荷台の縁の手前で止まっていた。


 止めたのは、自分の意思というより、ハロルドの顔だった。ハロルドは馬上から、荷馬車ではなくロウェンをじっと見ていた。


「石だ! 車輪の後ろ!」


 バルガスの声で、騎士が坂の脇に積んであった砕石の塊を抱えて走る。御者はもう御者台から飛び降りて、荷台の下に吊るしてあった木の輪止めを左の後輪の後ろへ叩き込んでいた。騎士が右の後輪の後ろに石を押し込む。


 荷馬車は、一メートルほど下がったところで止まった。


 右の馬は、後ろ脚を震わせていた。御者が首を撫でて落ち着かせ、脚を一本ずつ持ち上げて蹄を確かめる。蹄鉄が砕石に擦れて白く光っていたが、脚は痛めていなかった。


 ハロルドは馬を降りて、荷馬車の横に立った。


「……今日の試しは、失敗だ」


 誰も反論しなかった。


「荷を半分下ろして上がる。残りは二度に分けて運ぶ。取り決めどおり、遅れた分の値引きはそっちに持ってもらう」


「分かった」


 ハロルドは坂を見上げ、足元の砕石を靴の先で軽く蹴った。


「若様。この坂、自分で歩いてみてどう思った」


「なだらかだと思った」


 言ってから、ロウェンは自分の答えの意味に気がついた。



                ◇ ◇ ◇



 その夜、切り通しの脇に張った天幕の中で、ロウェンは坂の数字を出し直した。


 坂の長さは六十メートル。坂の下と上の高さの差は、水平器で測って七メートル。百メートルに換算すれば、十二メートル近く上がる計算になる。


 満載の荷馬車を二頭の馬で引くなら、百メートルに六メートル、せいぜい七メートルまで――ハロルドの御者はそう言っていた。それより急なら、峠道の急坂と同じで、助け馬が要る。


 坂を作った時、ロウェンの頭の中は岩の背を削ることでいっぱいだった。坂のほうは盛り土が少なくて済むように、できるだけ短くした。そのうえで自分で上り下りして、傾きを確かめた。


 なだらかだと思った。自分の脚では。


 五トンの大荷車を引いて泥の峠を越えた脚で、「なだらか」と感じた坂だった。その感覚を、二頭の馬と一トンの荷に、そのまま当てはめていた。


 計算のどこか一か所に自分の数字を入れれば、ほかが全部短くなる。これまではそれでうまくいっていた。でも今回は、入れてはいけない場所に自分の数字が紛れ込んでいた。


 この道を毎日使うのは、ロウェンではないのだ。


 帳面をめくると、砂時計ごとに書きつけた歩数と、気づいたことが並んでいた。尾根筋に上がる手前の曲がり角で、荷馬車の後輪が内側の石垣を擦っていた。曲がりが急すぎて、荷台の長い荷馬車は、前輪が曲がりきっても後輪が内側へ寄ってしまうのだ。切り通しの北側の下りでは、御者が輪止めの綱を二度締め直していた。


 坂のほかに、直す場所が二つ。


 天幕の入口がめくれて、フィオナが顔を出した。昼に試しの話を聞いて、館から馬で上ってきたのだ。


「まだ起きてたの」


「坂を作り直す」


「どのくらい」


「長さを倍にする。坂の下に尾根に沿って緩い曲がりを入れて、百二十メートルかけて同じ七メートルを上がる。盛り土は三倍になるが、砕石は切り通しの脇にいくらでもある」


「運ぶのは」


「俺が運ぶ。重い物を運ぶのは、俺が入っていい場所だ」


 フィオナは入口に腰を下ろして、帳面を膝に広げた。


「固めるのは村の人たちね。この前の三十人、また集めるよ。刈り入れまでは、まだ少し間があるから」


「頼む」


 しばらく鉛筆を走らせていたフィオナが、ふと手を止めて、ロウェンの顔を覗き込んだ。


「ねえ。なんか、落ち込んでる?」


「落ち込んではいない」


「ふーん?」


「……自分の脚で坂を測っていた。馬の脚で測るべきだった」


 フィオナは少し考えてから、言った。


「じゃあ、次からは馬に訊けばいいよ。ハロルドさんとこの馬、今日いちばん頑張ってたし」


 それだけ言うと、フィオナはまた帳面に戻った。慰めなのか冗談なのか、ロウェンにはどちらとも取れた。どちらにしても、理屈としては正しかった。


                ◇ ◇ ◇


 坂の作り直しに六日、曲がり角と北側の下りの手直しに三日かかった。


 ロウェンは砕石を籠に詰めて運んだ。一籠がおよそ二百キロ、それを一日に何十往復もする。坂の上から見下ろすと、ロウェンが空けた砕石の山を、村の男たちが木の突き棒で順番にどすどす叩き固めていくのが見えた。突き棒の音が、一定の調子で尾根に響いていた。


 曲がり角は内側の石垣を三メートル後ろへ下げて広げ、北側の下りの急な区間には、浅い段を何本か刻んで、荷馬車が勢いをつけすぎないようにした。どちらもハロルドの御者が歩いて確かめ、段の間隔は御者の言うとおりに変えた。


 十日目の朝、二度目の試しの荷馬車が南の町を出た。


 同じ御者、同じ栗毛の二頭、同じ一トンの塩と鉄。ロウェンは前と同じく荷馬車の二歩後ろを歩いたが、今回は最初から両手を背中で組んでおいた。約束の文面を読まない手には、こちらから縄をかけておく。


 新しい坂の下で、御者が手綱を握り直した。


 二頭の栗毛が首を下げ、坂に取りつく。緩い曲がりに沿って、荷馬車がゆっくり向きを変えながら上っていく。十メートル、二十メートル。前回止まったあたりを過ぎる。馬の息は荒いが、蹄は砕石をしっかり踏みしめている。


 百二十メートル目で、荷馬車は切り通しの底の平らな道に乗った。


 御者が振り返った。ハロルドではなく、ロウェンのほうを見て、何も言わずに帽子の縁に軽く指をかけた。それから右の栗毛――前回、後ろ脚を滑らせた馬の首を、ぽんぽんと叩く。馬は鼻を鳴らして、首を一度だけ大きく振った。


 荷馬車は、その日の夕方、日が暮れる前に領都へ着いた。


 ハロルドは館の前で馬を降りると、車輪と、馬の脚と、荷台の荷を順に確かめ、御者と短く言葉を交わしてから、ロウェンの前に来た。


「若様の手は」


「一度も触れていない。バルガスが見ていた」


 後ろでバルガスが、面倒くさそうに片手を上げた。


 ハロルドは頷いた。


「来月から、うちの荷は全部こっちを通す。南の町の連中にも、今日のことは話しておく。……大丈夫な道になった、ってな」


                ◇ ◇ ◇


 ひと月のうちに、新しい道を越えてくる荷馬車は日に三台、四台と増えていった。


 村の雑貨屋で、塩の値段が一割下がった。店の前で塩を量ってもらっていた村の女が、秤の目盛りを二度見直してから、冬の漬物用にもう一袋買い足した。鉄の鍬の刃も、少し遅れて下がり始めた。


 そして領都の広場に、何年かぶりに市が立った。


 ロウェンはその日、フィオナに腕を引っぱられて坂を下りた。広場には南の町から来た荷馬車が五台並び、荷台に板を渡しただけの店に、塩の袋、鉄の鍋、縫い針の束、色とりどりの糸、干し杏の籠が並んでいた。町じゅうの人が出てきたんじゃないかと思うほどの人出で、女たちは鍋の底を叩いて音を確かめ、男たちは鍬の刃を日に透かして眺めている。蜂蜜を塗った小さな焼き菓子の屋台には、子供の列ができていた。


 春先に倉の前に並んでいた子供たちと、たぶん同じ顔ぶれだ。なのに、顔がまるで違って見えた。


 糸の店の前で、フィオナが足を止めた。青い糸の束をひとつ手に取って、長いこと眺めている。結局、買わずに戻して、次の店へ歩いていった。


 ロウェンは何も言わなかったが、その青い色は覚えておくことにした。


 その頃には、夏も終わりに近づいていた。


                ◇ ◇ ◇


 ある日の午後、執務室の窓から西の空を見ていたガレスが、珍しく自分から口を開いた。


「若様。あの雲は、長くなりそうでございます」


 西の山の端に、厚く、低く、色の暗い雲が、壁のように積み上がっていた。

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