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めぐる季節は麦の道 三 秋灯り  作者: まーサンタ


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第一章 秋の気配



 九月の終わり。


 夏の名残を残していた空気が、少しずつ変わり始めていた。


 朝、窓を開けると、蝉の声はもう聞こえない。


 代わりに、どこからか虫の音がする。


 風も、ほんの少し冷たくなった。


「秋だな。」


 伊達将は、車のハンドルを握りながら呟いた。


 助手席では、八歳になった麦人が窓の外を眺めている。


「まーさん。」


「ん?」


「秋って、いつから?」


「難しい質問だな。」


「九月から?」


「暦の上では、そう考えることが多い。」


「じゃあ、九月一日になったら秋?」


「そうとは限らない。」


 麦人が振り返る。


「どうして?」


 将は少し笑った。


「季節っていうのは、カレンダーだけで決まるものじゃないからだよ。」


「じゃあ、何で決まるの?」


「気温だったり、植物だったり、虫の声だったり。人間が感じる変化もそうだな。」


「でも、それなら人によって秋が違うってこと?」


「そういうこともある。」


「じゃあ、ぼくが秋だと思ったら秋?」


「麦人の場合は、もう少し観察してから決めた方がいいな。」


「なんで?」


「今朝、半袖で出てきて寒いって言ってただろ。」


「……。」


 麦人は黙った。


 将が笑う。


「それは秋を感じてるんじゃなくて、服装を間違えただけだ。」


「でも寒かった。」


「それは認める。」


 麦人は少し考えてから言った。


「じゃあ、秋っていうのは、いろんなものを合わせて考えるんだね。」


「そう。」


「なるほど。」


 麦人は満足そうに頷いた。


 将は前を向いたまま、少しだけ笑った。


 こういうところが、息子らしい。


 何でも理由を知りたがる。


 そして、納得するまで質問する。


 自分が麦人くらいの頃は、もっと適当だった気がする。


 けれど――。


 こうなったのは、自分のせいでもある。


 麦人が小さい頃から、「どうして?」と聞かれるたびに、できるだけ理由を説明してきた。


 危ないことをした時も。


 人を傷つけた時も。


 何かを間違えた時も。


「ダメだからダメ」


とは言わなかった。


 なぜダメなのか。


 何が起きるのか。


 では、どうすればいいのか。


 そこまで話してきた。


 その結果が、この少し理屈っぽい息子である。


「まーさん。」


「ん?」


「今、ぼくのこと考えてた?」


「考えてた。」


「何?」


「理屈っぽくなったなって。」


「誰のせい?」


「俺かな。」


「やっぱり。」


 二人は顔を見合わせて笑った。


     ◇


 昼前。


 車は、恵子と賢蔵が暮らす団地に到着した。


「着いたぞ。」


「やった!」


 麦人が車から飛び出す。


 玄関の前には、恵子が立っていた。


「むーさん!」


「恵子さん!」


 麦人が走っていく。


 恵子は笑いながら麦人を受け止めた。


「大きくなったねえ。」


「この前も言った。」


「じゃあ、また大きくなったんだよ。」


「そんなすぐには変わらないよ。」


「そう?」


「うん。」


 恵子が麦人の頭を撫でる。


「じゃあ、ちょっと賢くなった?」


「それは分からない。」


「そこは分からないんだ。」


 二人の後ろから将が荷物を持って歩いてくる。


「恵子さん、これどこ置く?」


「そこ置いといて、まーさん。」


「はいよ。」


 麦人が振り返る。


「まーさん。」


「ん?」


「恵子さんもまーさんって呼ぶんだね。」


「昔からだよ。」


「なんで?」


「なんでって……。」


 将が恵子を見る。


「なあ?」


「さあ。」


 恵子はいたずらっぽく笑った。


「もう何十年もそう呼んでるから、今さら変えられないの。」


「なるほど。」


 麦人は頷いた。


「じゃあ、ぼくも変えない。」


「何を?」


「まーさんって呼ぶの。」


 将は笑った。


「好きにしな。」


     ◇


 午後。


 三人は団地の裏手を歩いていた。


 夏の間に茂っていた草が、少しずつ色を変え始めている。


 麦人は道端にしゃがみ込んだ。


「これ何?」


「すすき。」


「これ?」


「そう。」


 穂先が風に揺れる。


 銀色のように光っている。


「秋っぽい。」


「でしょ。」


 恵子が笑う。


 その時だった。


 麦人が山の方を見た。


「……あれ?」


「どうした?」


 将が振り返る。


 山の中。


 夕方にはまだ早い。


 なのに、木々の間に小さな光が見えた。


 一つ。


 黄色い光。


「灯り?」


 麦人が目を細める。


 恵子も山を見る。


 そして、ほんの少しだけ表情を変えた。


「恵子さん?」


「……見える?」


「うん。」


「まーさんは?」


 将も目を凝らす。


「見える。」


 三人は黙った。


 山の中に、ぽつんと浮かぶ小さな灯り。


 誰かが懐中電灯を持っているようにも見える。


 けれど、その光は動かない。


「人かな?」


 麦人が尋ねる。


 将は答えなかった。


 恵子も黙っている。


 しばらくすると――。


 灯りが消えた。


「消えた。」


 麦人が呟く。


「誰か帰ったのかな?」


 将は腕を組んだ。


「どうだろうな。」


「まーさん。」


「ん?」


「また『分からない』?」


「今回は本当に分からない。」


「そっか。」


 麦人は山を見つめた。


     ◇


 その夜。


 夕食のあと、麦人はベランダに出た。


 空には秋の月が浮かんでいる。


 昼間よりも、山が近く感じられた。


「むーさん。」


 恵子が後ろから声をかける。


「なに?」


「寒くない?」


「大丈夫。」


「ほんと?」


「うん。」


 恵子が隣に立つ。


 二人で山を見る。


「昼間の灯り。」


「うん。」


「恵子さん、何か知ってる?」


 恵子はすぐには答えなかった。


「昔ね。」


「うん。」


「秋になると、山に灯りが見えることがあったの。」


「昔から?」


「そう。」


「何の灯り?」


「分からない。」


「恵子さんも?」


「私も。」


 麦人は少し驚いた。


「じゃあ、まーさんは?」


「さあ。」


「父さんも分からないって言ってた。」


「そう。」


 恵子は山を見つめた。


「でもね。」


「うん。」


「昔からあるものには、それなりの理由があることも多いんだよ。」


「理由?」


「うん。」


「じゃあ、調べれば分かる?」


 恵子は笑った。


「むーさんらしいね。」


     ◇


 その時。


 山の方から風が吹いた。


 少し冷たい秋の風。


 ベランダの風鈴が揺れる。


 チリン。


 麦人が振り返る。


「風鈴。」


「もう秋なのにね。」


「しまわないの?」


「まだいいよ。」


 もう一度、風が吹く。


 チリン。


 その音に重なるように――。


 山の奥から、小さな光が一つ浮かんだ。


「……恵子さん。」


「うん。」


 今度は、はっきり見えた。


 黄色い光。


 そして、そのすぐ隣にもう一つ。


 さらにもう一つ。


 まるで、誰かが山の中に灯りをともしていくように。


 麦人は息を呑んだ。


「増えてる。」


 恵子は静かに山を見つめる。


「そうだね。」


 そして、背後から将の声がした。


「恵子さん。」


「なに?」


「これ……。」


 将も山を見ていた。


 その顔には、いつもの穏やかさがない。


「まーさん?」


 麦人が父親を見る。


 将はしばらく黙っていた。


 やがて、小さく息を吐く。


「……俺、似たようなものを見たことがある。」


「本当?」


「ああ。」


「いつ?」


「まだ、お前が生まれるずっと前。」


 麦人の目が輝く。


「何を見たの?」


 将は山を見たまま答えた。


「灯りじゃない。」


「じゃあ何?」


 将は少し迷ってから言った。


「夢だ。」


「夢?」


「ああ。」


「どんな夢?」


 将は麦人を見る。


 その目は、冗談を言っている目ではなかった。


「大きな蛇がな。」


「蛇?」


「ああ。」


「どれくらい?」


「ものすごく大きかった。」


「何してたの?」


 将は山を見た。


 そして、静かに言った。


「神楽を舞っていた。」


 麦人は黙った。


 恵子も何も言わない。


 山の灯りが、また一つ増えた。


 チリン。


 風鈴が鳴る。


 秋の夜。


 静かな団地の片隅で――。


 三人は、同じ山を見つめていた。


            ――第一章 秋の気配・終――

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