禁忌…?
結奈が異世界で暮らし始めて三ヶ月。
最初は全てに驚いていた結奈も、今では馬車の揺れ、魔法、豪華すぎる屋敷にも慣れてしまっていた。
人は案外、どんな環境にも慣れる生き物らしい。
結奈はそれが少しだけ怖かった。
(…だから…そろそろ)
元の世界へ帰る方法を探そう。
いや、正しくは。
メルーナさんにこの身体を返す方法を。
その決意を胸に、結奈は王国最大の図書館へ向かうことにした。
………
「お嬢様、準備はよろしいでしょうか?」
「はい」
ロセに手を引かれ、結奈は馬車へと乗り込む。
最初は揺れるたびに酔っていたのに、今では景色を眺める余裕まで出てきた。
「それにしても、急に図書館をご希望なさるなんて、珍しいですね」
「えっと……記憶を取り戻すヒントがあるかもしれないと思って」
もちろん嘘だ。
異世界から帰る方法を探しています。
なんて言えるはずがない。しかしそれを知らないロセは優しく微笑む。
「それでしたら、ロセもお力になります、必ず、お嬢様の記憶を取り戻してみせましょう」
結奈は胸が痛んだ、まただ。また優しくされてしまった。
(やめて、そんな風に見ないで)
勘違いしないで、皆が見ているのは私じゃない。
聖女である本物のメルーナさん。
私はその役を借りているだけ。それなのに…
その優しさが嬉しい、嬉しいと思ってしまう。
そのことが何よりも苦しかった。
………
王国最大の図書館はその言葉どうり大きく、まるで迷宮だった。
天井まで届く本棚、螺旋階段、幾重にも続く書架。
奥へ進めば進むほど静かになっていく。
結奈はふと思った。
(まるで、不思議の国みたい)
どこへ行けば出口なのかが分からなくなる。
知識を追えば追うほど、迷っていく、それでも立ち止まれない。
「では、ロセは別の本を探しておりますので、ごゆっくり」
「ありがとうございます」
結奈は一人になり、深呼吸をした。
「よし」
今日こそ見つける。
………
二時間、三時間、気が付けばそれほどの時が経っていた。
結奈はありとあらゆる棚を探した、しかし見つからない。
(ない……)
焦りだけが積もる。
やっぱり、ヒントなんて、最初から存在しないのかな?
結奈は疲れ、床へと座り込む。すると…
「……え?」
一冊だけ、まだ見ていない埃を被った黒い本があった。
見て分かるとうり、誰にも読まれていない、誰にも触れられていない、そんな本が。
革表紙で金色の文字、そして『禁忌』と書かれていた。
ぞくり、と結奈の背筋が震えた。
なのに、手は自然と本を開いていた。
………
洗脳、死者蘇生、生命創造、世界改変。
結奈でも分かるぐらいの踏み込んではならない魔術ばかりが載っていた。
ページをめくるたび、結奈の心臓が速くなる。
そして。
とある一枚のページで指が止まった。
『魂転換魔術』
結奈はヒュッと息を呑む。
そこには、こう書かれていた。
………
『魂のみを他者と入れ替える禁術。リスク高。
この魔術は何処に居ようとも関係なく、自身が望んだ者との魂を入れ替えることが出来る。また、他者と他者の魂を第三者として入れ替えることも出来る。しかし、失敗すると己の魂は消滅し、百年経とうとも二度とその肉体は目覚めない。
尚、一度成立した魂の交換は、いかなる手段を用いても元へ戻らない』
………
「…………」
結奈は世界から音が消えた、そんな感覚に陥った。
頭が真っ白になる、戻れない…?帰れない…?
つまり。
私は、一生、メルーナさんとして生きる。
その瞬間だった、胸の奥から。
小さな声が聞こえた。
…よかった
「っ!!」
違う。
違う違う違う!!!!!
そんなこと思ってない!思いたくない!!
私は帰りたい!帰らなきゃいけない!
…なのに、心のどこかで安心してしまった。
(…最低)
吐き気が込み上げてきた、気持ち悪い。
本当に、気持ち悪い。
まるで、人魚姫が海へ帰れないと知ったとき、それでも王子のそばにいられることを喜んでしまったような、そんな罪悪感だった。
………
「お嬢様!」
遠くからロセの声が響く。
「どちらにいらっしゃいますか?」
結奈は慌てて本を閉じ、何事もなかったように棚へ戻す。
「……今、行きます」
足元がおぼつかない。
ロセは結奈の顔を見た途端、すぐに異変に気付いた。
「お嬢様!お顔が真っ青です!」
「少し疲れちゃって……」
嘘だ、疲れじゃない、ただ自分自身に嫌悪しているだけ。
………
馬車の中、結奈は窓の外を眺める。
誰もいない景色がただ静かに流れていく。
頭の中では、あの一文だけが何度も繰り返されていた。
『元に戻ることは出来ない』
その言葉を思い出すたび、胸が少しだけ温かくなる。
その温もりが、どうしようもなく気持ち悪かった。
(そんなに愛されたかったの?)
ルイゼン、ロセ、リリーナ、国民。
皆、結奈ではなく、メルーナを愛している。
それなのに。
その愛に縋りたいと思ってしまった。
(私、本当に最低だ)
プリマドンナのように、本当の自分を隠して、海の姫のように、元の世界を失って、迷った少女のように、帰り道が分からない。
私は一体、誰なんだろう。
窓に映ったの水色の髪の少女は、結奈ではない。
結奈は震える唇を噛み締め、小さく、小さく呟く。
「……嬉しくないのに」
ぽたり…
一粒の涙が膝へと落ちる。
「……少しだけ、嬉しいな」
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