イバラが巻き付いた林檎
ルイル家、リリーナの私室にて。
部屋の中を歩く足音だけが、重苦しい空気を揺らしていた。
リリーナ・ルイルは腕を組み、ゆっくりと部屋の中を歩き続ける。
そして、机の上には、一枚の新聞。
大きく印字された見出しが目に入る。
『レミーラ王国の慈悲深き国王陛下、ルイゼン・シャニー・アンドロス様が、シャンデリアの崩落事故により、天に向かわれました』
その文字を見るたび、リリーナの胸の奥が重く沈んだ。
「……あり得ない」
リリーナは小さく呟く。
あれは事故ではない。誰がどう見ても、人為的なものだった。
シャンデリアを支えていた金具には、鋭利な刃物のような物の痕が残っていた。
偶然落下するような状態ではなかったのだ。
(誰が、何のために)
リリーナはそれだけが分からなかったら。
一番あり得るのは国王暗殺。
しかし、だとしても、あんなに派手にやるものなのか。それに、権力を狙うような大臣や家臣は皆アリバイがあった。
一体、犯人の目的は。
リリーナは目を閉じる。
(…ルーちゃん。あのシャンデリアがあと少しずれていたら……)
リリーナは考えたくもなかった。
結奈を抱えて窓から飛び出した時の感覚が、今でも腕に残っている。
リリーナは深く息を吐く。
「落ち着こう」
焦っても答えは出ない。
一つずつ整理しなければならない。
しかし、その思考は何度繰り返しても同じ場所で止まる。
「……情報が足りない」
そう呟いた瞬間、コンコン、と控えめなノックが響いた。
「お嬢様、メイド長でございます」
「どうぞ」
私室の扉が開く。
現れたのは、長年ルイル家を支えてきたメイド長だった。
「失礼いたします」
彼女は静かに机へ近付き、銀のトレーを置く。
上には湯気の立つアップルティーそして、可愛らしく兎の形に飾り切りされた林檎が置いてあった。
「ここ数日、お休みになれていないご様子でしたので、少しでも気分転換になればと」
「……ありがとう」
リリーナは柔らかく微笑んだ。
「いただくね」
リリーナは林檎を一口噛った。
甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がる。
「美味しい」
「フメル王国から取り寄せた品でございます」
フメル王国という単語に、リリーナの動きが僅かに止まる。
「……そう」
しかし、リリーナは自然に返事をする。
駄目だ、疲れているせいだろうか。思考がまとまらない。
リリーナの視界が少し滲む。
「……」
リリーナは瞬きを繰り返す。
(眠い……)
メイド長の言うとうり、リリーナはここ数日ほとんど眠れていなかった。
リリーナはそのせいだと思い、立ち上がろうとする。
しかし、ぐらりと身体が傾く。
「……っ」
力が入らない。
リリーナは床へ膝をつく。
「どう……して……」
手足が痺れる、指先さえ思うように動かない。
(違う、これは疲労じゃない)
そこでリリーナはようやく気付く。
林檎だ、紅茶だ。
「……まさか」
「ふふ」
耳には入るは聞き覚えのない笑い声。
リリーナは重い瞼を必死に持ち上げる。
そこに立っていたのは、もうメイド長ではなかった。
若く、白と黒が混ざった髪にどこか人形のように整った顔立ち。
そんな彼女はくすくすと笑っていた。
「ルイル家ってもっと怖い人たちだと思ってたけと、意外と簡単だったなぁ」
「……誰」
リリーナは声がかすれる。
女性は楽しそうに肩をすくめた。
「名乗る必要ある?どうせ、覚えられないでしょ?」
リリーナは歯を食いしばる。
(変装……メイド長に化けてた)
それだけではない。
彼女のを見た瞬間、全てが繋がる。
「……国王陛下も」
女性はにっこり笑った。
「勘がいいね」
その笑顔には温度はなかった。
「邪魔だったから、ただ、それだけ」
リリーナの瞳が大きく揺れる。
(やっぱり……あれは事故じゃなかった)
「んふふっこれでもう邪魔なのはいなくなったかなぁ…あ、でも、この身体の兄貴はどーしよ…まいっか。 結奈ちゃんを気に入ってるとはいえ、どうせあの王子様とこのピンク女みたいに積極的に助けようとはしないでしょ」
女性は窓の外を眺める。
「さぁ、これでおしまいっ!結奈ちゃんを連れて帰らないと」
(……ユイナ…?)
リリーナは腕が震え、一歩も動けないでいた。
「…その顔好き」
女性は楽しそうに笑う。
「守りたいのに守れない。悔しいよね」
リリーナは必死に意識を繋ぎ止めようとする。
(動け、お願いだから!…………ルーちゃん……)
しかし願いとは裏腹に、視界はゆっくりと暗く染まっていく。
最後に映ったのは、愉快そうに笑う女性の姿だった。
そして、意識は静かに途切れた。
………
「……眠た?」
女性はしゃがみ込み、毒林檎を詰まらせ亡くなった少女のように永遠の眠りについたリリーナの頬を指先で軽くつつく。
反応はない。ただ穏やかな寝息だけが聞こえる。
「これでもう、起きることはないね!」
女性は満足そうに頷く。
そして、黒いマントの深くフードを被る。
その姿は夜の闇へ溶け込むようだった。
女性が窓枠へと足を掛ける。
去り際、彼女は振り返り、小さく微笑んだ。
「王子様がキスでもしてれたら起きれるんじゃない?知らないけどね!」
そう囁くと、女性は音もなく夜の闇へ姿を消した。
静まり返った部屋には、倒れたまま眠り続けるリリーナだけが残されていた。
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