血塗れ猫
とうとう始まってしまった。誰も望まなかった戦が。
夜明け前の海は静かだった。
波だけが小さく船体を叩き、その音だけが耳に残る。
レミーラ王国の兵士たちは灯りを消した小型船に身を潜め、息を殺しながらフメル王国の海岸を目指していた。
誰一人として無駄口を叩かない、それほどまでに緊張していた。
無事に帰れる保証など、どこにもない。
やがて船が静かに岸へ着く。
先に潜入していた捜索隊が待っていた。
「こちらです」
小声で案内され、兵士たちは森へ隠してあった幌馬車へ乗り込む。
馬が鼻を鳴らし、ゆっくりと走り始めた。
………
馬車の中は重苦しい空気に包まれていた。
鎧が擦れる音、車輪が石を踏む音、それだけが響く。
若い兵士の一人は胸元から家族の写真を取り出し、小さく微笑んでから再び懐へしまった。
別の兵士は震える手を隠すように強く拳を握っている。
誰もが怖かった、戦場に立つのは初めてなのだ。
「……帰れるかな」
誰かが呟いた、しかし返事をする者はいない。
皆、同じことを考えていたからだ。
その中でリリーナだけはとくに静かだった。
俯いたまま、両手を組み、何度もゆっくり息を整えている。
怖くないわけじゃない、むしろ凄く怖かった。
胸が苦しい、手も冷たい、足だって震えている。
それでも。
(ルーちゃんは……)
脳裏に浮かぶのは、大切な親友。
暗い部屋で、一人きりで泣いているかもしれない。
怖がっているかもしれない。そう思うだけでリリーナの胸が締め付けられる。
(だから……)
リリーナはそっと目を閉じた。
(絶対に迎えに行く)
その小さな決意だけが、リリーナにの心を支えていた。
………
どれほど馬車が走っただろうか。
すると突然。
ヒヒィィン!!
馬が悲鳴のような声を上げる。
そして。
ガタンッ!!
馬車が大きく揺れ、急停止し、兵士たちは一斉によろめく。
「何だ!?」
「どうした!?」
リリーナも壁へ手をつき体勢を立て直した。
予定では、まだ目的地ではない。嫌な予感が胸をよぎる。
リリーナは急いで扉へ駆け寄る。
取っ手へ手を掛けた、その瞬間…
「……!」
そこで見た光景は誰もが息を呑んだ。
そこには道を塞ぐように立ち並ぶフメル王国軍がいた。朝日に照らされる鎧。抜き放たれた武器。
その視線は全員、こちらだけを見ていた。まるで最初から待ち構えていたように。
「……待ち伏せ」
リリーナは小さく呟く。
敵兵の一人が笑う。
「やはり来ましたか」
「国王陛下の読みどおりですね」
その言葉を聞いた瞬間、リリーナは小さく奥歯を噛み締めた。
(読まれてた……!)
侵入経路も、上陸場所も、全て把握されていた。
胸の奥が冷えていく。
しかし。
ここで立ち止まるわけにはいかない。
リリーナは深く息を吸い、振り返った。
そこには、不安そうな顔をした兵士たち。
震えている者もいる、青ざめている者もいる。
「……みんな」
リリーナは穏やかな声で呼び掛けた。
「怖いのはわたしも同じ」
兵士たちが顔を上げる。
「でも、わたしたちがここへ来た理由を忘れないで、戦うためじゃない、聖女様を助けるため」
その一言で、兵士たちの表情が少しだけ変わった。
「生きて帰ろう、全員で」
静かな言葉だった。
それでも、その声は兵士たちの心へ確かに届いていた。
兵士たちは、それぞれ武器を握り直した。
剣の柄を握る手は震え、盾を構える腕にも力が入りすぎている。
誰もが恐怖を押し殺していた。
しかしそる、は敵兵も同じだった。互いに武器を構え、一歩も譲らない。
森を吹き抜ける風だけが、二つの軍の間を静かに通り抜けていく。
張り詰めた空気、息苦しいほどの沈黙、その静寂を破ったのは、敵兵の一人だった。
「止まれ」
低く響く声。
「これ以上先へ進むことは許されない」
レミーラ王国の兵たちは身構える。
リリーナは一歩前へ出た。
「わたしたちは戦いに来たわけじゃありません」
随分と穏やかな口調だった。
「聖女様を迎えに来ました」
敵兵は鼻で笑う。
「それは我々も承知している。だからこそ、通すわけにはいかない」
再び静寂が落ちる。
互いに譲れない。しかし、皆言葉だけでは終わらないことを理解していた。
リリーナは小さく目を閉じる。
(……ごめんね)
リリーナは心の中で謝る。兵士たちへ、両国の人々へ、そして結奈へ。
こんな形でしか助けに行けなかった自分へ。
リリーナはゆっくりと腰の銃へ手を添える。
「みんな」
リリーナは後ろへ声を掛ける。
「無理はしないで、危ないと思ったら下がって、一人で抱え込まないこと」
兵士たちは力強く頷いた。
「リリーナ様も!」
若い兵士が叫ぶ。
「必ず生きて帰りましょう!」
その言葉にリリーナは少しだけ微笑む。
「……うん」
その笑顔は、ほんの一瞬だった。
次の瞬間、森の奥から鳥たちが一斉に飛び立つ。
バサバサッ!!
羽音が開始の合図のように辺りへ響き渡る。
そして一斉に飛び交う悲鳴と血飛沫。
乗ってきた馬車は敵軍達により跡形もなくボロボロにされ、馬達肉片がそこじゅうに散らばっていた。
リリーナは兵士達を導くため、敵軍を撃ち殺しながら先頭を駆け抜ける。
「みんな!!早く進んで!早く聖女様を救出するよー」
リリーナの言葉に兵士達は聞くに耐えない雄叫びを上げ先頭を駆け抜ける。
しかし、敵軍も行かせて堪るかと容赦なく兵士を刺し殺してゆく。
殺し殺されの戦場。敵味方関係なく次々と意図も簡単に人が倒れてゆく。
リリーナは込み上げてる感情を押し殺し、前へ前へと走り抜ける。
「行かせるな!前を走る女を殺せぇ!!」
その発言を聞いた敵軍は一気にリリーナへと襲いかかる。
しかし皆リリーナの敵ではなかった。
リリーナの手によりバッタバッタと倒れゆく敵軍達。
リリーナはその隙に魔法を使い自身の行動速度を早める。
敵軍達も同様、自身にバフ魔法を掛け、殺害を繰り返す。
そんなことをしている間にいつの間にか地面は血に染まり、真っ赤になっていた。
鉄の匂いが嫌でも感じる。
そんな気持ちの悪い空間に吐き気を催す兵が何人もいた。
しかし隙を見せると殺されてしまうため、泣きながら吐瀉物を吐き出し剣を振るうものもいた。
カオスが混じりに混じる、しかし戦争とはそんなものだ。
リリーナはなんとか気を紛らわせるために違う事を考える。
(…たった一日じゃさすがに城に向かって攻め込むなんてさすがに無理があるか……とりあえず今は先に来ていた奴らが用意したテントに向かうが優先!)
リリーナは更に速度アップの魔法を掛け、敵軍を殺し、兵士達を引き連れながら用意されたテントへと向かう。
(…コイツらの目を欺きながら向かわないと。 まぁ、欺いたところでどうせまたヴィリデルーネが小賢しい魔法で見つけ出すだろうけど!)
リリーナは舌打ちをしながらテントがあるという森の中へと入ってゆく、が勿論敵軍達もリリーナ達をおい森の中へと入ってくる。
青々しい草が醜い赤に染まってゆく。
リリーナがどうやってテントに向かうかを考えていると、敵軍達にだけ少しずつ違和感が見えてきたのだ。
いきなり座り込むもの。いきなり嘔吐するもの。いきなり苦しみだすもの。
様々だが皆、見て分かるほどに弱ってきているのだ。
リリーナ達は勿論、敵軍達も自身達の様子に理解が追い付いていないようだ。
しかしこれはチャンスだ。 リリーナは銃の引き金を引き、容赦なく敵軍達の頭を撃ち貫いていった。
少し落ち着くと、リリーナは森をゆっくり見渡した。
高く伸びた木々、風に揺れる白い花、どこからともなく漂ってくる甘い香り。
しかし鳥の鳴き声は聞こえない。
まるで森そのものが、何かを拒絶しているようだった。
(この森……)
リリーナの胸の奥に、小さな違和感が生まれる。
(魔法がかけてある…それもかなり強力なな…)
しかし何故魔法がかかっているのかまでは分からなかった。
リリーナは気を取り戻す。
「……進もう」
リリーナは静かに言う。
「今は深追いしてる場合じゃない」
兵士たちは真剣な表情で頷く。
「聖女様を取り戻すために一度セーフゾーンに向かう。いい?」
兵士達は強く頷く。
そんな兵士達を見たリリーナは警戒を強めながら、静まり返った森の奥へと足を進めていった。
……黒髪の少女に見られているとは気づかずに...
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