女王は逃がさない
冷たく、薄暗い牢。
窓もなく、時間の流れさえ分からないその部屋で、結奈はぼんやりと天井を見つめ続けていた。
監禁されてから、どれほどの月日が経ったのだろう。
もう数えることもやめてしまった。
身体中には薄く青い痣が残り、手首には鎖の擦れた赤黒い跡が幾重にも刻まれている。
あの日を境に、食事を運んでくる兵士たちは遠慮をしなくなった。乱暴に腕を掴まれ、床へ突き飛ばされることは当たり前とかしてしまった。
抵抗しなくても怒鳴られ、怯えても笑われる。
直接命を奪われることはない。
けれど「死なせない程度」に傷つけられる毎日が、結奈の心を少しずつ削っていた。
泣いても意味はない、助けを呼んでも誰も来ない。
だから最近は、涙すら出なくなっていた。
そんな静寂を破るように、重たい鉄の扉が軋む音を立てて開く。聞き慣れた足音。
そして、見慣れてしまった薄っぺらい笑顔。
「……本が読みたいです」
結奈は視線を逸らしたまま、小さく呟いた。
「本が無理なら……せめて、何か暇つぶしになるものを下さい」
その声には以前のような反抗心はほとんど残っていなく、疲れ切った、小動物のような弱々しい声だった。
リデルは肩をすくめる。
「暇そうですね」
「……はい、だから何か紛らわす物が欲しいです。じゃないと、余計なことばかり考えちゃうので」
結奈は自嘲気味に笑う。
「……考えれば考えるほど……私って、本当に運が悪いなって」
その笑顔は笑顔とは呼べないほど儚く、今にも消えてしまいそうだった。
リデルは、しばらく何も言わなかった。
牢の中に流れるのは、結奈の浅く乱れた呼吸だけ。
やがて、小さく息を吐く。
「……そうですか」
告げられた言葉は穏やかだった。
だからこそ、結奈の背筋に冷たいものが走る。
怒鳴られるよりも、責め立てられるよりも。
この男が静かになった時の方が、何を考えているのか分からなくて怖かった。
結奈は無意識に身体を縮こまらせる。
「……あの」
掠れた声で口を開く。
「少しだけ、一人になりたいんです。一人にして下さい」
その言葉に、リデルは首を傾げた。
「一人になって、何をするつもりです?」
「……何も…最近は考えることも疲れちゃって、ぼーっと天井を見るだけです。それでも、私には十分なんです。」
リデルは黙ったまま結奈を見つめる。
やせ細った肩、青白い頬、伏せられた瞳。
監禁された当初は、泣いて、震えて、必死に帰りたいと叫んでいた少女。
しかし今はその力さえ残っていないようだ。
「……貴女は」
リデルは静かに言う。
「随分、自分を諦めていますね」
結奈は小さく笑った。
「だって、希望を持つ方が、つらいですから」
その返事に、部屋は再び静まり返る。結奈はベッドの上で膝を抱え座り、ゆっくりと額を乗せた。
「最初の頃は」
ぽつり、と結奈は呟く。
「毎日、誰かが助けに来てくれるって思ってました。今日かもしれない、明日かもしれない、そうやって待っていました。」
細い指先が震える。
「でも、一週間経って、一か月経って、何か月も経って……誰も来ない」
結奈は目を閉じた。
「だから、考えるのをやめました、待つのも、やめました。その方が少しだけ楽だったから。」
その姿は、とても聖女と呼ばれる存在には見えなかった。
ただ、心が擦り切れてしまった一人の少女だった。
リデルは静かに呟き、口角をあげた。
「そうですか。ところで、一つ気になることがあるのですが聞いても?」
「……どうぞ」
シーンとした空間を壊すようにリデルは口を開いた。
「…貴女、本物の聖女じゃないでしょう?」
その瞬間、結奈のヒュッと空気を飲み込む音だけがなった。
「…どうやら正解で間違いなさそうですね」
リデルは結奈の態度から図星なのを理解した。
「初めて見た時から、なんだか違和感を感じたんですよ…身体と魂…その二つが噛み合っていないことに…」
「…………」
結奈の心臓は恐ろしいほどの速さで鼓動し、全身から汗が吹き出てくる。
「正直な話、私はどうだっていいんですよ、貴女が本物の聖女であろうとなかろうと…祈っていただければそれでいいですからね。
しかし、貴女がまだ意地を張るおつもりであれば…この事を貴女の大切なお友だちにチクっちゃうかもしれませんね」
「…………」
結奈の顔は酷いほど青ざめ、口をハグハグと動かしている。
「…酷い顔ですよ…美しい美貌が台無しです…まぁ、その美貌は貴女の物ではありませんが」
結奈は返事をしない、返す気力も残っていなかった。
「だんまりですか?まぁいいですよ、確証が得られたのでね」
そう言い、リデルは扉へ向かう。
重い鉄扉が閉まる直前、ヴィリデルーネは振り返らずに言った。
「……貴女が諦めても、私は諦めませんよ」
重々しい音とともに扉が閉まる。
ガチャン、と鍵が掛けられた。
再び静寂が訪れる。
結奈はしばらく動かなかった。やがて、小さく息を吐き、力なく天井を見上げる。
「……バレた…?そんな…」
誰にも届かないほど小さな声で結奈は怯える。
「………でも、そうだよね…嘘はいつかバレるもの…この事も...もう諦めよう」
その呟きだけが、冷え切った牢の中へ静かに消えていった。
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