最後の優しさ
結奈は薄暗い天井をぼんやりと見つめていた。
何もない、窓もない、時計もない、季節すら分からない。
ふと、結奈は足を動かそうとする。
ガチャリ。
イバラのように足に巻き付いた重い鉄の鎖が音を立てる。
(……逃げられない)
そんなことはとっくの昔に分かっていた。それに、今の結奈には逃げる気力すらもう残っていなかった。
その時だった。
重たい鉄扉が、ゆっくりと開く。
ギィ……
「……ご機嫌はいかがですか、聖女様」
聞き慣れた穏やかな声。結奈は視線だけを動かした。
「……元気に、見えますか……?」
「いいえ」
「……」
(なら、何で聞いたの)
結奈は内心でそう思った。
そんな様子の結奈にリデルは少しだけ笑う。
「最近の貴女からは、生きようという意思を感じませんね」
その言葉に結奈は天井を見つめたまま、小さく呟く。
「……何もない部屋に閉じ込められていると……考えたくないことばかり、考えてしまうんです、自分の人生とか……どうして、こんな人生だったんだろう、とか……」
結奈は自嘲するように笑う。
「……疲れました」
その一言だけで十分だった。
リデルは静かに尋ねる。
「つまり、死にたいと?」
「……そう聞こえたなら……否定は、しません」
部屋に沈黙が落ちる。
やがてリデルは肩を竦めた。
「残念ですが、それは困ります。貴女には役目がありますから」
結奈は目を閉じる。
「……反逆罪を背負ってまで、生き延びたいとは思いません。もう十分、醜い人生ですから」
結奈は少しだけ息を吐く。
「……一つ、聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「どうして……私なんですか?フメル王国で新しい聖女が生まれるまで待てば……その方が、簡単じゃないですか……」
リデルは壁にもたれ、小さく首を横へ振った。
「待っても意味がないのですよ」
「……?」
「この国に新しい聖女生まれません」
結奈はゆっくり顔を向けた。
「正確には、先代の聖女が亡くならない限り、次の聖女は現れないのです」
「……え?」
リデルは静かに続ける。
「歴代聖女の記録をご存知ですか?」
結奈は首を振る。
「初めて聞きました……」
「フメル王国には、歴代全ての聖女を記録した書物があります、いつ生まれ、いつ亡くなったのか。レミーラ王国にもあるはずですよ。
…まぁとりあえず、昔、私は暇潰しにその記録を読んでいました、ですが、私はある共通点を見つけたのです」
リデルは指を一本立てる。
「歴代の聖女は必ず、先代が亡くなってから、一週間以内に誕生している。逆に言えば、先代が生きている限り、新たな聖女は生まれない」
結奈は小さく目を見開く。
「……偶然、じゃないですね……」
「私もそう思います」
リデルは微笑む。
「神の仕組みでしょう」
結奈は静かに俯いた。
(…バルツさんが生きている限り……新しい聖女は生まれない)
「……だから、私を」
「はい」
リデルは迷わず頷く。
結奈は苦しそうに笑った。
「……でも、私は……祈りません。もう、これ以上、自分を嫌いになる理由を増やしたくないんです……」
リデルは小さく息をついた。
「困りましたね」
「……ヴィリデルーネ様…」
結奈は恐る恐るリデルにあることを尋ねた。
「…先代の聖女が亡くなるまで、新たな聖女は生まれない…だとしたら、何故尚更私を生かすのですか?…抵抗する私を殺して、レミーラ王国で産まれた新たな聖女を拐う……そっちの方が楽では…?」
結奈はリデルに問いかけた。
しかしリデルは不満そうに声を出した。
「赤子は嫌いです」
「……え?」
「泣く、喚く、思い通りにならない。見ていると潰したくなります」
そんなことを呟くリデルに結奈は思わず口が動いた。
「……こ、怖い人ですね……」
その瞬間だった。
「ひっ……!」
リデルの大きな手が結奈の細い首を包んだ。
結奈は息が止まる。しかしリデルは笑っている。
笑顔だけは崩れない。
「そんな話しはやめにして、本命の話をしましょう」
囁くような声でリデルは言った。
「フメル王国で祈ってください。もし、断るのであれば私は、本当に手段を選びません」
結奈の身体が震える。
怖い、苦しい、泣きたい。
…それでも。
「……ご、ごめんなさい……!」
結奈は涙を零しながら首を横へ振る。
「……できません。わ、私には……できません……」
「そうですか。」
リデルがゆっくりと手を離した瞬間、結奈は激しく咳き込む。
「ゴホッ……!」
「ちなみに」
リデルは何事もなかったように続ける。
「ワープゲートは封鎖しましたから。レミーラ王国から助けは来ません。来たとしてもかなり時間がかかるかと…」
絶望を告げるような声に結奈は静かに目を閉じる。
(……もう、本当に終わったのかな…?)
「では、明日から少し方法を変えましょう」
リデルの言葉に結奈の血の気が引く。
(方法を……変える?一体な何を…?)
恐怖で涙が止まらない。
それでも、小さく、小さく呟いた。
「……私は、絶対に最後まで……祈りません…レミーラ王国にいる人達に、私は、いっぱい、いっぱい迷惑をかけました…だから、私はこれ以上は…」
結奈の呟きにリデルは扉の前で立ち止まり、振り返った。
「そうですか」
あっさりとした言葉に結奈は震える。
「……私は、ヴィリデルーネ様が怖いです……嫌いです……こんなに誰かを怖いと思ったのは、生まれて初めてです」
リデルは薄く笑う。
「それは光栄ですね」
そのまま扉は閉まる。重たい音が部屋へ響いた。
再び静寂だけが残る。
結奈は足につけてある鎖を抱き締めるように身体を丸め、小さく震え続けた。
「……助けて」
しかしその声は誰にも届かず、暗闇の中へ静かに消えていった。
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