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ただ一人

「……いい加減、お返事をいただけませんか?」


冷え切った石造りの部屋に、穏やかな声だけが響く。


「時間がないのです」


ちっぽけな机を挟み向かい合う二人。


優雅に紅茶を口へ運ぶリデルとは対照的に、結奈(ゆいな)は両手を固く握りしめ、小さく肩を震わせていた。


結奈が監禁されてから、早くも二週間が経過した。


昼も夜も分からないこの部屋で、リデルは毎日のように現れては同じ言葉を繰り返す。


「フメル王国の神へ祈ってください」


それだけだった。

そして結奈もまた、同じ答えを返し続けていた。


「……何度聞かれても、答えは変わりません」


かすれた声で、それでもはっきりと言う。


「私は……レミーラ王国の……聖女です。

フメル王国で祈りを捧げることは……できません」


ヴィリデルーネは小さくため息をついた。


「諦めが悪いですね」

「……そ、それは……ヴィリデルーネ様の方です……」


言い返した瞬間、結奈の心臓が大きく跳ねた。


(しまった……)


怒らせたかもしれない、そんな考えが頭を埋め尽くす。

それでも、ここで黙れば押し切られてしまう気がした。


「…バ…バルツさんが逃げた理由を……少しでも考えたことは、ありますか……?」


結奈は震える声で呟く、今にも泣き出しそうだった。


しかしそんな結奈とは対照的に、リデルは眉ひとつ動かさない。


「ありません」


リデルは即答だった。


「そもそも、役目を放棄して勝手に逃げ出したバルツのことをどうして私が考えないといけないのですか?」

「で、でも……」


結奈は唇を噛む。


怖い、逃げたい、それでも。


「……原因を作ったのは……ヴィリデルーネ様、じゃないんですか……」


言い終えた瞬間、結奈は自分でも後悔した。


(あぁ…言いすぎた………)


叩かれる。

首を跳ねられる。


そんな想像ばかりが頭をよぎる。


だがリデルは怒らない、ただ静かに笑っただけだった。


「困りましたね」


その笑顔が、余計に恐ろしい。


「私は聖女(アリス)さまに苦しい思いはさせたくないのですが」

「……」


結奈は思わず目を見開く。


「……よく……そんなこと、言えますね……」


涙が滲む。


「私は今、とても苦しいです……それに、バルツさんだって……聖女、だったんですよね……」


震える声は最後には消え入りそうになっていた。

ヴィリデルーネは何も答ぬまま、立ち上がり、椅子を引く。


「今日はこれで失礼します」


扉へ向かいながら振り返る。


「よく考えてください」


重い扉が閉まり、鍵の掛かる音が部屋へ響いた。


ガチャン――


その音が聞こえた途端だった。


「……っ」


結奈は椅子から立ち上がり、その場へと崩れ落ちた。


荒い呼吸が止まらない。


「……はぁ……っ……はぁ……」


手も足も震えている。さっきまで必死に張りつめていた糸が、一瞬で切れてしまった。


「……怖かった……」


床へ額を押し付け、小さく呟く。


涙がぽたぽたと石畳へ落ちていく。本当は何も言い返したくなかった。


怖かった、怒られたくなかった、殺されたかもしれない。


でも、黙っていたらこのまま祈らされてしまう気がした。

だから必死に声を振り絞っただけ。

ただ、それだけだった。


しばらくして、結奈は壁に手を付きながら、よろよろと立ち上がる。


足に力が入らない。

そのままベッドへ腰掛けると、力尽きるように倒れ込んだ。


(……何か考えなきゃ、逃げる方法を……。)


そう思うのに、頭は真っ白だった。

何も浮かばない。

恐怖だけが心を支配していく。


「……もう、嫌だ……」


小さく漏れた本音。

時計もない、窓もない、朝も夜も分からない。

この部屋で、自分だけが時間から切り離されてしまったようだった。


(どうして私なんだろう……)


自棄になって仕事をやめて、そして気づけば異世界にいて、聖女になっていた。

元の身体にも戻れない、帰る場所もない、愛されている聖女なのに。


その愛は誰も私を見てくれない。


見ているのは聖女だけ。

私は、誰なんだろう。


「……転生したら、幸せになれるって……少しだけ思ってたのに……」


自嘲するように笑う。


「……馬鹿だったなぁ」


涙が止まらない、もう頑張りたくない、もう苦しみたくない。

もう誰かの期待に応えたくない。


「……もし、また生まれ変われるなら」


震える声で願う。


「次は……ちゃんと、一人の人間として……愛されたいな……」


誰かの代わりではなく、聖女でもなく、偶像でもなく。

ただ、一人の結奈として。

それだけが、叶わなかった願いだった。

結奈は膝を抱え、小さく身体を丸める。


「……おやすみなさい」


誰に届くこともないその言葉は、暗闇へ静かに溶けていった。

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